「フゥ……」
 幾度目かの溜め息をロザリアはつく。女王の間からの帰り道。女王候補としての資質が高かった彼女は女王
補佐官としても有能であった。けれど、補佐官となった彼女はいつしか数え切れない溜め息を吐くことになってし
まっていた。

『ねぇ、ロザリア……』
『陛下、何か?』
 時折、女王候補の時のように、どこか頼るような口調で呼びかけるアンジェリーク。けれど、ロザリアが返事を
する度に少し苦笑して。

『ううん、何でもないの』
 そう首を振って、どこか遠い瞳をするアンジェリークにロザリアは不安を感じていた。(陛下は…本当に私を必要
としているのかしら……)

 女王候補として選ばれた二人は試験を通じ、互いを知ることになった。女王候補として教育を受けてきた自分と
違い、戸惑いながら女王試験を受けていた彼女は普通の感覚で屈託なく前を見ていた。そんなところがなんだか
楽しくて、心許なくて。なんだかんだと言い合っているうちにいつしか仲良くなって。彼女が女王になった時も素直に
祝福することができた。
そして、嬉しかった。補佐官として彼女を支えることができ、彼女が自分を必要としてくれたことが……。

(でも…陛下はしっかりしている……。私がいなくても……。前陛下に言われたから、私を認めているのかも……)
 そんなことはないと信じている。けれど、今の女王はロザリアの知っている少女と違っていた。だから…不安になる
のだ。

(そういえば…よく言っていたわ。『女王候補なんだから、しっかりしなさい!』って。でも……)
 思考の迷宮に陥りそうになって、ロザリアは首を振る。いつしか、聖殿の中庭に出てきていた。穏やかな聖地の
日差しに
ロザリアは目を細める。だが、不意にその足が止まる。(ハープの音色……?)

 綺麗で優しい旋律にロザリアは周囲を見回すと、想像どおり、リュミエールのが噴水に腰掛けてハープを奏でて
いる。聖
地でこのように柔らかな音色を奏でられるのは彼しかいない。

「ごきげんよう、リュミエール」
 曲が終えるのを待って、ロザリアが声をかけると、リュミエールもにこやかに笑顔で迎える。
「こんにちは。ロザリア」
 穏やかな笑顔は彼の司る力そのもののように優しい。
「ずいぶん…迷っているようですね……」
「え……?」
 突然の言葉にロザリアは戸惑ってしまう。リュミエールは穏やかな笑顔のままでハープの弦を爪弾く。
「リュミエール様……?」
「ハープに限らず…弦が弛んでいては、いい音色が奏でられません。ですが…張りつめすぎると、弦が切れ、傷
つくこともあります……」

 そのまま奏でる音色は優しさがあふれている。まるで、心を溶かすかのような音色。
「気づいておられてたんですか……」
「ええ……。あなただけじゃない、陛下のことも…ね……。あなたの心には届いたようですね、この音色は……」
 手を止めて、少し瞳を曇らせるリュミエール。他人に気を遣う性格ゆえに、言葉を選びすぎる癖があるのだ。
「言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうだ」
「オスカー……」
 すたすたと二人に近づいてくるオスカー。
「聞いていたんですか……」
 微かに眉を顰るリュミエールにオスカーは迷惑そうな顔をする。
「人聞きの悪い、聞こえたんだ。聞かれたくない話なら、部屋ででも話せばいいだろう」
「聞かなければいいでしょう。そういうときは気を使うものですよ」
 二人の会話を聞いて、ロザリアは頭を抱えたくなる。相容れないのはわかる。だが…時と場所と言うものが
ある。

「あの…お二人とも……」
 流石にロザリアが声をかけると、二人はその場で止める。
「で…何の話だったかな」
「弦の話ですよ。張りつめすぎた糸は切れてしまう…とね」
「相変わらず回りくどい言い方だな。陛下のことだろう? 俺だって気づいてるさ。しっかりしてると言うより、いつも
張りつめている感じだな。よく疲れないものだ」

「彼女は…頑張りやさんでしたからね……」
 互いに相容れないといっても、女王陛下に忠誠を誓っている存在である。思うところは一つである。
「陛下が張りつめているのはわかってます。けれど、私には何もおっしゃらない。私は陛下の補佐官なのに……。
陛下の御側にいてもいいのでしょうか……」

 ポツリと漏らしたロザリアの言葉にオスカーは人差指をロザリアの唇に当てる。
「こらこら。あの自信に溢れたロザリアはどこに行った? そこが魅力だったろう? それに陛下が君を選んだんだ。
実際、仲が良かっただろう? 男の俺達がうらやましがるほどに」

「相変わらずですのね、オスカー様は……」
 それでも気を遣ってくれた言葉にロザリアは笑みをこぼす。
「あまり一緒にされたくはないですが…あなたと陛下のことに関しては私も同じ考えですよ。一緒にあの女王試験を
乗り越えた友情があるでしょう?」

 少し迷惑そうな表情をしつつも、穏やかに諭すリュミエールの言葉。
「陛下にも何かお考えがあるのかも知れません。ですから、あまり悲観的にならないほうがよろしいですよ。何か、一
曲いかがですか?」

 綺麗な長い細い指がポロンとハープを爪弾くと、ロザリアは素直に頷いた。リュミエールは穏やかに微笑むと、その
司る力そのもののような優しい音色を紡ぎ始めた。

「綺麗……」
 演奏が途切れた瞬間、聞こえたパチパチいうと拍手の音。リュミエールの手が止まる。演奏を聞いていた二人も
その拍手の音の主を探す。すると、いつのまにか小さな少女が三人の前にいた。

「すごい綺麗な曲。えっと…お兄ちゃんよね」
「ええ…お兄さんです……」
 あどけなく確認するような口調の少女に思わず素直に答えるリュミエール。明るい金の髪が日差しにきらきらと反射
している。

「ロザリア…この子に心当たりは……?」
 こっそりと耳打ちするオスカーにロザリアは首を振る。
「いえ……。でも…感じません? どこか懐かしい感じがして……」
「それは俺もだが……。聖殿に迷い込んできたのか?」
 それはありえない話。聖殿には守護聖たちのほかにも、女王や守護聖たちを守護するために兵士たちがいる。女王
のいるこの場所にそう易々と入り込めるはずがない。

「どうしたの?」
 あどけなく首を傾げているその様子がなんだかとても可愛くて、思わず笑みをこぼしてしまう。
「お嬢ちゃん、迷子かい? どこから来たか言えるか?」
 そういって、オスカーが軽々とと少女を抱き上げると、
「わーい、高ーい」
と、きゃっきゃっと無邪気に喜んでいる。
「オスカー…あなたの趣味に口出しするつもりはありませんが…そのような幼子を……。同じ守護聖としては犯罪者を
出したくないのですが……」

「リュミエール様……」
 人間、相性と言うものがあるのは知っている。だが……。
「何の話?」
「何でもないのよ……」
 とりあえず、笑顔で誤魔化そうとするロザリア。少女も釣られて笑顔。あどけないその笑顔はやはりどこか懐かしい。
そして、気づく。どうしてこんなに懐かしく感じるのか。

「なんだか…陛下に似ているのね、この子……。可愛い笑顔がね」
 オスカーに抱かれたままの少女の前に立つと、ロザリアは優しくその金色の柔らかな髪に触れる。
「お姉ちゃんも綺麗よ 」
「ふふ…ありがとう……」
 あどけない少女の笑顔が懐かしいのはロザリアの知っているアンジェリークがそんな笑顔だったから。いつからだ
ろう…アンジェリークが笑わなくなったのは。

「どうしたの…お姉ちゃん……」
 不意に沈んだ表情を見せたロザリアに少女の瞳も曇る。
「何でもないの……。ただ、この宇宙を支えてる女王陛下も今の貴方みたいに笑ってたの。でも…今はあまり笑って
くれないの。だから、寂しいな…って、思ったの」

「笑ってない女王陛下のこと…嫌い……?」
 少女の言葉にロザリアは静かに首を振る。
「違うのよ。陛下のことが大好きだからなの。だから、いつも笑っていてほしいの。陛下の笑顔が一番好きなの……」
 こんな小さな少女に理解できるかどうかなどと考えずに言葉にしてしまった。けれど、どうしてか言葉にせずにはい
られなかった。

「陛下の笑顔が……?」
「ええ、そうよ……」
 にっこりと笑顔を浮かべるロザリア。
「おいおい、ロザリア。陛下のことを好きなのは俺も同じだ。あの笑顔は周りを明るくさせてたからな。このお嬢ちゃん
以上だ。お嬢ちゃんは…あと十四、五年後な」

「貴方の趣味を押しつけてどうするんですか……」
 静かにたしなめながら、リュミエールは少女に微笑みかける。
「陛下によく似たお嬢さん。私も陛下の笑顔が好きなんですよ。眩しい笑顔がね。貴方もその笑顔を持ち続けてくだ
さいね」

「うん」
「いいお返事ですね。そこにおかけなさい、貴方に一曲引いてあげますから。オスカー、下ろしてあげてください」
「ああ」
 噴水に少女を腰掛けさせると、リュミエールはハープを奏で始める。その演奏にオスカーとロザリアも心を染み通
させる。心にとけてゆく水のような優しい音色が空間を満たしてゆく。

「あら…あの子は……?」
 気がつくと、少女の姿は消えていた。ついさっきまで、その場にいたはずなのに、気配すらも消えていて。
「……ジュリアス様に報告する必要がありそうだな……」
「ええ……」
 そう言いながらも、三人は少女がいた感覚にどこか暖かなものを感じていた。それはかつて知っていたはずの感覚に
似ていた……。

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