「アンジェ!」
 声をかけるが、返事はない。必ず、家の中にいるはずなのに。部屋を…台所を、リビングを探しても。どこにもいない。
「……ってことは、風呂か?」
 残された場所に思い至り、アリオスは躊躇いを感じずにはいられない。想いが通じあったといっても、年頃の少女である。複雑な
ものがあるだろう。

「仕方ねぇな……」
 とりあえず、脱衣所の外まで来ると、中に向かって声をかける。
「おい、アンジェリーク?」
 だが、返事はない。脱衣所に入ると、確かに彼女の着替えがある。
「アンジェ?」
 今度は浴室の扉越しに声をかける。人の気配はある。けれど、何の反応も返ってこないのだ。
「……入るぞ」
 一応、声をかけて、扉を開ける。すると……。
「アリオス……?」
 涙に濡れた顔を上げたアンジェリークが懐中電灯の明かりに写し出される。一糸もまとってない無防備な姿のままで、浴室の
床に座り込んでいて。

「アリオス……。ふぇ…ッ……」
 ギュッとアリオスに抱きついてくる。風呂に入っていたはずなのに、すっかり冷めた身体。恐らく、風呂から上がろうとした時に
雷が鳴り、停電したため、パニックに陥ったのだろう。

「ふぇっ……」
 普段は勝ち気な少女がまるで幼子のように泣きじゃくる。
「怖かったの……。真暗で…雷の光だけしかなくって……、アリオスはいなくて……」
「わかった、わかった……」
 そっと髪を撫でる。剥き出しの背中を宥めるように撫でて。抱きしめるとはっきりと判る華奢な肢体。それでいて、少女らしい
柔らかさを帯びている。

 しばらくそうしていると、ようやくアンジェリークが落ち着いてくる。
「落ち着いたか……?」
「うん……」
「じゃ…離れろ。目が慣れてきたんでな。目の毒だ」
「……?」
 アリオスの言葉に首を傾げるアンジェリーク。アリオスは溜め息を吐いて、そっとその身体のラインをなぞる。
「きゃっっ!」
 ようやく自分の姿に気づいて、アンジェリークが両手で身体を隠す。その様子に苦笑しつつ、アリオスはアンジェリークの前に
懐中電灯を置いて、背中を向ける。

「アリオス?」
「それを置いてくから、もう一度、風呂に入ってこい。また、風邪ひいちまうぞ」
「……やだ」
「アンジェ?」
 躊躇いがちに振り返ると、泣きそうな顔でアンジェリークがアリオスを見つめていて。
「一人にしないでよ……」
「おい……」
 自分で自分の言っていることをよく判っていないのだろう…と、判断する。その言葉が意味するものを、それが男を誘う言葉だと
言うことを……。

 苦笑しつつ、白衣を脱いで、アンジェリークにかけてやる。
「とりあえず、それで我慢しろ。後でいくらでも抱きしめてやる」
「嫌っっ」
 アンジェリークは首を振る。
「アンジェ……!」
 アリオスが何か言うより先にアンジェリークがアリオスに抱きついてきて。
「やだ…嫌な思い出しかないんだよ……。我儘だって…判ってるけど……。私の傍に居られるときは…傍にいてよぅ……」
「……アンジェ」
 以前、言っていた。雷鳴がひどく響く夜。一人で怯えながら、両親を待っていた。だが…両親は二度と戻ってくることはなかった
…と。それ以来、雷は彼女にとって、恐怖の対象でしかないのだ。

「お願い…独りにしないで……」
「ばか……」
 そっと頬に口づける。安心させるように、何度も顔中に口づけを落として。
「そんな格好でそんなセリフを言うなよ……。抑えきれないぜ?」
「……?」
「こういうことだ」
 グイッと、少女の顎を持ち上げて、口づける。最初は羽根のように軽く。そして…アリオスの舌がアンジェリークの唇をチロリと
なめる。

「?!」
 驚きにわずかに開いた隙間に簡単に忍び込んでくる柔らかなそれに、アンジェリークはただ翻弄される。深くむさぼられてゆく。
鼓動が早くなって、どんどんと追いつめられて。

「あ……」
 気がつけば、足にはもう力が入らなくて。一人では立てずに、アリオスにしがみつく形になっている。
「ん……」
 今度は優しい口づけ。激しくなった鼓動を沈めるように、フワフワと柔らかく。
「驚かせたか?」
「……」
 何と言えばいいのだろう。アリオスのことは好きだし、アリオスも自分と同じ想いなのは判っているけれど。
「惚れた女がこんな恰好でしがみついてきたら、いくら俺だって、理性を保てるほど、人格者じゃねぇよ」
 いくら想いが通じあったと言え、出会った時から、ずっと見守ってきた少女である。乱暴に扱いたくなかった。これから、二人で
過ごす時は長いのだ。いつか…少女が身も心も自分を受け入れられる時までは、待つつもりだったし、待てるつもりだった。

 だが、こんな状況になってしまえば、簡単にその決意は崩れてしまう。そんな自分にアリオスは内心で苦笑するしかない。
「……だから、離れろよ。今の俺は危険だぜ?」
 そう告げて、アンジェリークを離そうとする。だが、アンジェリークはアリオスの服の裾を掴んだまま。
「おい……」
「嫌…離れてないで……」
「おまえ…自分で何を言ってるか、わかってるのか?」
 その言葉にアンジェリークは答えず、そのままアリオスの胸に顔を伏せる。
「おい……」
「わかってるもん……」
 外の雨の音に掻き消されるのではないかと思うくらいに、注意しなければ聞き逃しそうなほどの小さな声だった。
「アリオスでなきゃ…嫌……。どんなことだって……。だって…私がアリオスを好きなのよ。だから…アリオスじゃなきゃ…嫌なの
……。傍に居てほしいのも…こうしてほしいのも……」

 その言葉とは裏腹に、震えている声。華奢な肢体。けれど、服の裾を掴む手は緩まない。離されぬように、強く握り締めていて。
それはまるで幼子が母の手から離れないようにしている仕種と同じもの。それをさせているのは…ほかでもなく、アリオス自身。

「馬鹿……」
「馬鹿でいいもん……」
「ま、馬鹿は俺もだな……」
 苦笑混じりに呟いて、腕の中に少女を閉じ込める。抱きしめれば、彼の腕の中に十分収まってしまう少女。何よりも大切な存在。
どうして手放せると言うのか。

「ずいぶん…冷えちまってるな……」
 大きな手の平が少女の背中をなで回す。その仕種にアンジェリークの身体がビクンと震える。
「こんなに冷えちまったら、風邪をひいちまうぜ?」
「アリオス……?」
「暖めてやるよ……。嫌か?」
 言葉と同時に、フッと…吐息を耳元に吹きかけられて、アンジェリークが身体を震わせる。そして…その言葉の意味が次に入り
込んできて、真赤になってしまう。だが……。

「嫌じゃない……。アリオスが暖めてくれるんなら……」
 かろうじの勇気で告げる。服を掴んでいた手を離し、その背中に震える腕を回す。
「おまえの嫌な思い出なんて…全部消してやるよ……」
 そっと、囁かれる言葉と共に舞い降りてくるのは、柔らかな口づけ。そこからが始まり。
 雨はまだ降り続けている。今夜中に止むことはない…天気予報の言葉。だが、二人にとって、それはどうでもいいこと。触れあう
その唇さえあれば……。

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