レイチェルが盲腸で入院して、一週間後。アンジェリークは彼女の入院している病院に向かっていた。退院
祝いをする約束をしていたのだ。アリオスは飲みに行くと言っていたので、夕食の心配はいらない。

「レイチェル!」
「あ、アンジェ」
 病室に行くと、もう荷物をまとめたレイチェルが嬉しそうに招き入れる。
「ネ、今日はどこ行こうか? お見舞いに来てくれたお礼もしなきゃいけないし」
「えっと…ケーキが食べたいなぁ」
「じゃあ、駅前に行こうよ」
 キャイキャイとはしゃぎすぎて、看護婦さんの視線が痛いが、気にする二人ではなくて。
「じゃ、ワタシ。会計に行って、精算済ませてくる」
「うん、待ってる」
 病院のロビーの長椅子に腰を下ろし、アンジェリークはパラパラと文庫本をめくる。だが、不意に自分を見つ
める視線に気づき、顔を上げる。

(誰……?)
 周囲を見回すと、受付の側に一人の男性が立っている。白衣は着ていないが、胸にプレートをつけているところ
から、この
病院の関係者であろう。まるで値踏みするような視線でアンジェリークを見つめている。さすがにアンジェリークが
怪訝そうな顔をすると、含みを持ったような笑みを浮かべ、事務室らしき部屋に入ってしまう。

「何よ…あれ……」
 どこの誰だか知らない男にそんな視線で見られる覚えはない。
「何なのかしら、この病院……」
 レイチェルの見舞いに行った時にも看護婦が強ばった顔をした。自分に何があると言うのだろう。まったく覚えが
ないのである。

「どーしたの? きっつい顔して」
 すっかり仏頂面になってるアンジェリークにレイチェルが少しだけ引き釣った表情になる。この表情の時のアンジェ
リークを敵に回せば、かなり恐いのだ。

「ねぇ、この病院って、何なのかしら。人の顔を何だと思ってるのかしら……」
「……。また、変な目で見られたの?」
「しかも、今度は怪しいおじさん……」
「え…誰?」
「えっと……。あの部屋に入ったんだけど……」
「じゃあ、事務の人かなぁ……」
 二人顔を見合わせて考えるが、どうなるものでもない。
「ま…いっか」
「そうだね、とりあえず。ケーキおごったげるから、忘れなよ」 
 とりあえず、どうにもなりそうにないことは手早く忘れようとする都合のいい思考の二人なのであった。


 静かな音楽が流れるバーのカウンターに銀髪の青年は一人カクテルをグラスを傾けている。チャリン…微かな
ベルの音。すっと、青年の隣に腰掛ける。

「カイン…か……」
「遅くなりました」
「いや…それほど待ってはいない……」
 上着を預け、自分の分のカクテルを注文すると、カインは一つ溜め息を吐く。
「どうした? 俺と飲むのは気を使うか?」
「いえ…そのような……。ただ…私のしていることは出過ぎたまねかも知れません。このようなところに呼び出して
しまって……」

「別にかまわんさ。今日はあいつも遅いしな」
「そうですか……」
 一口カクテルを口に含むと、カインは口を開く。
「キーファーが何か言ってきたりはしませんか……?」
「キーファーが? いや、別に……」
「それならよろしいのですが……。この間、アンジェリークにお会いしました。その帰りに偶然会ったのですが……。
あの者は彼女を快く思ってはおりますまい。あなたが戻らないのは…彼女のせいだとでも言うように……」

 その言葉に青年は皮肉げに笑う。
「俺が戻らないのは…俺の意志だ……。俺は今の方が自由にやれるんでな。しがらみなんぞないしな……」
「ええ……。それはわかっております……。それに今のあなたはとても楽しそうですから……」
「楽しそう?」
 その言葉にグラスを持っていた手を止める。
「ええ。アンジェリークと一緒にいるからでしょう。あなたはよく笑うようになりました。それはいいことだと思います。
きっと…彼女も喜んでいるはずです……」

「カイン!」
 ダン! グラスを置く音。一瞬、店内が静まり返る。
「あいつのことはもう話すな……」
「申し訳ございません……。ですが……」
「今の俺はアリオスだ。レヴィアスという名は捨てた……。もう、過去はいらない……」
 吐き出すように言ったその言葉は痛みを伴っていて。それは本当に捨て着れない苦しさのためだと、彼は気づいて
いないのだ…とカインは思う。

(でも…それでも、あなたは随分と変わられた……)
 カインはアンジェリークと出会う前の彼を知っている。荒んだ瞳と心を持った頃の彼を。だからこそ、今の彼が幸福で
あることを理解でき、二人が二人でいることを強く願うのだ。

「わかりました。ですが…お気をつけください。キーファーもまた、あなたを慕うがゆえに、行動を選ばないでしょう」
「覚えてはおこう……」
 再び、グラスを傾けあう二人。だが、交わすべき言葉は少なくて。店内の音楽だけが、奇妙にこの空間の中に溶けて
いった……。


すみません、全然展開が遅くて。カインが書けて嬉しい。密かに人気あるんですね、この人。


|| <BACK> ||  <NEXT> ||