時は遡る。二人が出会ってまだ日も浅い頃のこと。
 ガタガタガタ……。外は激しい風と雨。窓枠がきしむ音。
「ったく……。安眠妨害もいいとこだぜ……」
 そう言いながら、グラスの中の琥珀を煽るアリオス。眠れぬ夜の友はこれに限る。
「あいつは平気だろうな……」
 雨の日に出会った少女を引き取って数日。両親を亡くしたばかりで気落ちしていた少女であったが、慣れてくると、
しっかりしており、

意外と気の強い面を持っていた。こんな嵐など、平気だろう。まして、二人が出会ったのは雨の日。そんな日に一人
外で雨に打たれていたのだから。

「しかし…よく降るな……」
 何気なく窓の外を見ると、空に鮮やかな閃光。そして、しばらくすると、激しい轟音。
「9秒って事は…三キロくらい先か……」
 冷静に分析などしてしまう。嵐は嫌いではない。だが、雷のせいで電化製品が御釈迦になるのもやっかいなので、
ついこんなことをしてしまうのだ。

 コンコン……。雨の音に掻き消されそうなくらいに弱々しいノックの音。
「アンジェ?」
 扉を開けてやると、枕を抱えたアンジェリークの姿。その瞳にはいつもの気の強い輝きはない。
「どうした? まさか…雷が恐いとか……」
 それ以上の言葉をいう前に、アンジェリークがしがみついてきた。
「って、おい?」
 いきなりしがみつかれて、どう反応すればいいのか、戸惑うアリオス。だが、アンジェリークの身体が小刻みに震えて
いる。

「どうした、アンジェリーク?」
 なだめるように優しく背中を撫でてやる。何度かそうしてやるうちに、身体の震えが落ち着いてきたようだ。
「こんな嵐の日だったの。お父さんとお母さんがおでかけして……。私、一人で待ってたの。雷が鳴って…恐かった……。
でも、お父さんとお母さんが戻ってきたら、平気になるって…我慢してた……。でも…帰ってこなかったの……」

「アンジェ……」
「恐いの……。アリオスがいなくなっちゃったら……。私……」
 ぎゅっとしがみつくアンジェリーク。震えている声。そっと顔を見ると、今にもこぼれ落ちそうな涙。
「そっか……」
 いくらアリオスに慣れたといっても、両親のことは少女の心にかなりの傷を残していた。そんな少女がこんな激しい雷の
鳴る夜に、一人で部屋にいるのには耐え切れるはずがない。アリオスは自分の心臓の位置に少女の耳を当ててやる。トクン
トクン…命のリズムが刻まれる音が小さな少女の耳に届く。

「アリオス……?」
「雷のかわりにこの音を聞けよ……。眠れる魔法だ……」
 そう告げると、少女を抱き上げてベッドまで運ぶ。少女を抱いたままベッドに入ると、少女はあどけなく見つめてくる。
「アリオスの匂いがする……」
「嫌か……?」
 その言葉にアンジェリークは首を振る。
「ううん…暖かいの……」
 アリオスの心音を確かめるためにアンジェリークは更にアリオスに擦り寄る。アリオスはそんな少女を包み込むように抱き
寄せた。

「一緒にいてやるから……」
「ありがとう……」
 腕の中の少女が寝つくまで、優しくアリオスは髪を撫でてやる。外はまだ激しい雨と風が止むことがない。だが、アリオスの
腕の中のアンジェリークは確かな命のリズムの音に誘われ、眠りに落ちる。二度と惑わされることのないままに……。


 そして、現在。
「先生、進んでないよ」
 ジョヴァンニのその言葉と共にドボドボとグラスに琥珀が注がれる。今日は土曜日。明日は日曜日で医院はお休みなので、
ジョヴァンニとカーフェイとで飲みに来ているのだ。ちなみに、このメンバーのため、ジョヴァンニは珍しく、パンツ姿。

「…で、やっこさんたちは?」
「雨が降りそうだから、工事を急ぐから遅れるって連絡があったんだ。まぁ、いいじゃない。あいつらのボトル明けとこうよ」
 あいつらとは、ゲルハルトとウォルターのこと。おいしい酒があるから…と、この店に誘われたのではあるが、現場の仕事が
追い込みらしく、まだ来ていない。外は雨が降りだしたらしく、雨宿りに入ってくる客も少なくない。

「……かなり降りそうだな」
「やだな…帰るまでに止むといいんだけど」
 そんな言葉とは裏腹に、外の雨はきつくなってきている様子。
「悪い、遅れて!」
 ぱたぱたと入り込んでくるゲルハルトとウォルター。手持ちのタオルで身体を拭いてから、アリオスたちの座っているテーブル
にやってくる。

「遅いよ、二人とも」
「すまねぇ……。どうしても、終わらなくて……。といって、手を抜くわけにはいかねぇしな。突貫でやろうもんなら、またこいつが
怪我をしかねねぇし……」

 そう言って、ウォルターをチラリと見る。
「ひでぇな。まるで俺が怪我ばかりしてるみたいな言い方じゃねぇか」
「みたいな…じゃなくて、事実だろう」

 反論しようとするウォルターに対して、カーフェイのツッコミは厳しい。まぁ、ウォルターは外科医であるカーフェイの常連とも
言える存在なのだから、仕方ないのかも知れない。

「で、やっぱり雨が降りだしたもんで。急いで片づけて、ここに来たんでさぁ」
「肉体労働者の敵だもんね…雨って……」
「しかも、本降りになってきてやがる……」
 言われてみると、ざわめいた店の中からも、激しく降る雨の音が聞こえてくる。
「ま、おまえらのボトルを明けるまでには止まないだろうからな、遠慮はしないぜ」
「げ、カーフェイ。鬼かよ、おまえ」
「普段、世話になってんだ。これくらいは当然だろうが」
「おまえが世話してんのは、ウォルター。俺が世話になってんのは親分なんだからな」
 もっともな言葉であるが、聞くわけがない。ジョヴァンニと二人、ぐいぐい飲んでいる。底無しどころか…枠すらもない。
「こいつらは……。あ、親分。飲んでくださいよ。親分が好きそうな酒があるんでさぁ……」
「……」
「親分?」
 反応のないアリオスにゲルハルトが首を傾げる。
「ああ…すまない」
 ガタン! 急に立ち上がると、アリオスは身仕度を整える。
「あれ、先生、どうしたの?」
「悪い、用事を思い出したから、帰る。支払いはこれで頼む」
 そう言うと、札入れから数枚の紙幣を差し出す。
「うわ、先生。お金持ち」
「足りなきゃ、自分らで払えよ」
「はーい」
 去ってゆくアリオスに手を振るジョヴァンニ。
「どうしたんだ、先生は?」
「アンジェだと思うよ」
 首を傾げるウォルターにあっさりとジョヴァンニは答える。
「ああ…なるほど……」
 カーフェイも納得した様子。
「何で…姐さんが?」
 首を傾げるゲルハルトに二人は微妙な笑みを浮かべる。
「ま…長年つきあった勘ってやつだ」
「あの人がそれ以外で動くことって、僕達知らないもの」
 ごもっともな意見に納得してしまうゲルハルトとウォルターである。なんだかんだ言っても、アンジェリークを大事にしている
ところは周囲から見ても一目瞭然なのだから。


 一方ではアリオスは雨の中、傘もささずに走っていた。嵐になりそうな…そんな雨の降りかたである。天気予報では雨だと
言っていたが、こんなに激しい雨だとは考えていなかった。

(やばいな…この降りかたじゃ……)
 思った途端、遠くの空が光り出す。そして、遠くで聞こえる轟音。
(こりゃ…帰らなきゃ、俺がやばいって……)
 帰る途中で雷にあたって感電死というまねだけはしたくない。家路を急ぐアリオスであった。

 そして、アンジェリークはというと、リビングでクッションを抱きしめて、テレビを見ている。…が、画面には集中していない。
「嫌な雨……」
 激しく降り続ける雨にアンジェリークは溜め息を吐く。雨や風は嫌いではない。だが…雷だけは駄目なのだ。未だに恐くて、
一人ではいられない。

「アリオスのバカ……」
 自分でも理不尽な八つ当たりだと思う。アリオスにだってつきあいはある。アンジェリークが友人と寄り道をするように、アリ
オスにだって、誰かと一緒に飲みに行く時間は必要だとは思う。だが…何もこんな日に飲みに行かなくてもいいのではないか
…と、つい思ってしまうのだ。

(わがままだ…私……)
 ぎゅっとクッションを抱きしめて、溜め息を吐く。自分の立場は十分にわかっている。アリオスに世話になっている身分だ。わが
ままを言えるはずもない。

「暖かいものでもいれよう……」
 キッチンに行って、ホットミルクを入れる。よく眠れるようにアリオスの秘蔵のブランデーも少しだけ入れる。
「ふぅ……」
 一口だけつけて、テーブルに置いた瞬間、
「  !」
 窓の外に走る閃光にアンジェリークは身を竦める。しばらくした後に響く轟音。
「や…やだ……」
 がたがたと震えながらクッションにしがみつく。このクッションはアリオスの気に入っているもので、昼寝をするときはよく枕
がわりにして、ソファで眠っている。

(恐い……)
 クッションにしがみつくのはアリオスの匂いがするから。昔から雷で眠れない時はアリオスについてもらっていた。アリオス
がいない夜はアリオスのベッドに潜り込んでいた。さすがにこの年になってはそんなこともできないから、せめて、アリオスの
匂いがする物にしがみついていないと、恐くて動けない。

 ガチャリ! 玄関の開く音。
(え……?)
 クッションを抱えたまま、アンジェリークは玄関に向かう。
(アリオス……?)
 今日は飲んでくるから、こんな時間に…とは思う。けれど…こんな夜はいつも傍に居てくれたのもアリオスだから。
「アリオス……」
「よ…ただいま……」
 ずぶ濡れ姿でアンジェリークに笑いかけるアリオス。
「遅くなるって……」
「気が変わって、帰ってきた……。それより、タオル。濡れたままで入ってもいいのか?」
「う、ううん。待っててね」
 クッションをその場に置いて、バタバタとアンジェリークがタオルを取りに走る。
(ああ…やっぱりな……)
 気が強くても…やはりまだ駄目なのだとアリオスは思う。アリオスがリビングに自分のものを置くのもその理由の一つ。
自分がいないときに、アンジェリークが安心できるように…と、思ってのこと。

(甘いよな…俺も……)
 なんだかんだ言っても、大事な同居人であることには変わりなくて。一人で不安になっているのに、一人にできるはずも
ない。

「もう、風邪ひくわよ。医者の不養生なんて嫌だからね」
 そう言いながら、タオルでアリオスの頭を拭うアンジェリーク。先ほどまでの不安そうな様子はない。
「シャワー、浴びてくる。コーヒーを入れててくれ」
「うん」
 バスルームにアリオスが向かうのを確認すると、アンジェリークはクッションをその手に抱える。
「ありがとう……」
 それはとても微かな声で。アリオスには届いてはいなかったけれど。そう言わずにはいられなかったから。そのまま、アンジェ
リークはキッチンに向かうのであった。

 その頃…リビングではすっかり冷めてしまったホットミルクがその用を忘れられていたことは言うまでもない。

「アリオスがアンジェにタオルって言うシーン、すっかり夫婦だよね」この話を一番最初に読んだ方の言葉。
そうなのかなぁ…。勝気で、アリオスを振りまわしていても、弱点はあるんですよね。


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