そして、翌週の日曜日。体調を回復したアンジェリークは朝食終、片づけを終わると、アリオスの運転する車に乗せられた。
「どこに行くの?」
「……」
聞いても、答えてくれないときは聞いても無駄なので聞かないことにする。それが二人のルール。カーラジオから聞こえて
くる、クラッシックの音楽だけが流れる。
「ちょっと、待ってろよ」
途中、花屋の前で止まると、アンジェリークは一人車内に取り残される。やがて、アリオスが白い霞草の花束を持って、戻って
くるのが見えた。
(ああ……)
何となく、分かり始めた今日の目的にアンジェリークは微苦笑する。だが、それでも、着いていきたい、そう思えた。
「待たせたな」
「ううん。その花、私に持たせてくれる?」
「……」
「無造作に置いたら、可哀想だよ。急ブレーキとかで、床に落ちたりしてもさ」
「ま、そうだな。ほら…」
手渡される白い花を受け取る。霞草だけの花束。不思議な暖かさと、わずかな胸の痛み。そんな葛藤を抱えながら、アンジェ
リークは目的地に着くまで、花束を見つめていた。
そこは海の見える高台にある墓地だった。車から降りたアリオスについてゆく。そして、一つの墓の前にアリオスが足を止める。
「……」
「キーファーから話はある程度聞いてるだろうけどな。ここに眠るのが、エリス。俺の恋人だった女だ」
アンジェリークから、花束を受け取ると、アリオスはその墓前に置く。白い霞草は風に揺らぐ。
「久しぶりだな…エリス……。こいつがアンジェリークだ。前に、話したよな……」
「あの…初めまして。エリスさん……。私、アンジェリークです」
ペコリ…と墓に頭を下げる。アリオスが話していた自分…というのが、とても気になるけれど、何となく聞きたくはなくて。
「エリスはよく笑う奴だった。俺は家の事情ってやつで色々歪んでいたからな。出会った当初は散々だったろうな。あいつ
も……」
苦笑するアリオスに胸が痛む。アンジェリークの知らない、顔だ。ずっと…一緒にいたのに、初めて見る顔。
「でも、いつしか、あいつの存在が俺の心を和ませてくれた。あいつといる時間が俺には大切になった。だが、そう思った途端…
あいつは逝ってしまった……。事故に遭ったのに…適切な治療を受けられなかった。眠るように…逝っちまった……」
「……」
「その後のことは正直、覚えていない。あいつが死ぬ原因になった連中を告発して、追い落として……。頭の連中をすべて追い
やった。だが…何も残らなかった。当然だ。俺自身が俺を許せなかったんだから。俺があいつに無理にでも検査を受けさせて
いれば…死ぬことはなかったんだってな」
淡々と語るアリオスの言葉。淡々と語るからこそ、彼の葛藤がより伝わる。無限のように感じる時間の中で、自分自身を責め
続けて……。
「病院の連中を追い落とした俺に、キーファーは病院の正当なる経営権を主張しろと言ったが、もうそれは俺にはどうでもいい
ことだった。エリスが戻ってこないってことが分かり切っているのに、何をしても無駄だってな……。それからは現実と夢の中に
いた……。酒を飲んでも、眠れず、何も手に付かない……。あいつが生きてたら、見るも無惨に感じていただろうな」
そう言って、ゆっくりとアンジェリークの方を振り返る。
「そんな時だよ。おまえに会ったのは……」
「私と会った時?」
あの雨の日に出会った。二人にとっての始まりの日。二人して雨に濡れていた。
「おまえ、『行くところがない』って言ったな。思ったんだよ。『俺と同じだ』って……。あの時の俺にも、行くべき場所が見つけられ
なかった。俺と同じ匂いをおまえに感じたんだ……」
「アリオス……」
「おまえにあの日に出会って、俺はようやく現実に戻れたんだ。わかるか? おまえがいたから、今の俺がいる。おまえと二人で
あの家で暮らし始めて、人間が増えて……。それはおまえがいたからだ」
グイッとアンジェリークを引き寄せて、アリオスはエリスの墓前に向き合う。
「エリス…俺はちゃんと生きている。ちゃんと、おまえがいない現実に向き合ってる。こいつのおかげでな……。それで…いいん
だよな……」
風に揺れる霞草。それはまるで頷いているかのようで。
「だから…いいよな? こいつと幸せになっても……」
「アリオス……?」
今、何を言ったのか……。現実感がなくなっている。あまりにも自然に言われた言葉。だからこそ、信じられなくて。
「おまえと作れなかったもの…それ以上のものをこいつとなら築けるから……。おまえとこいつにそれを誓う……」
クイッと、頭を引き寄せられて、アンジェリークはされるがままになるだけ。
「……」
「アンジェ……?」
何も言わないアンジェリークの顔を一目見て、アリオスは苦笑する。ポロポロと翡翠の瞳から流れ落ちる雫。
「馬鹿…何泣いてんだ……」
「わかんない……」
頭が混乱する。アリオスの大事な人が眠る場所の前で言われたその言葉に。アリオスが言った言葉の意味を自分の中に取り
込むことに。認めることが何となく恐くて。
「ほら…行くぞ」
グイッと手を引かれる。アンジェリークはされるがまま。アリオスは振り向きざまに、大切な女性が眠る場所に声をかける。
「また…こいつをつれてくるから……」
返事のかわりであるかのように、霞草が風に優しく揺れていた。
次に連れてこられたのは、墓地から見えていた海。寄せ手は返す波の音が、どこか心地よい。
「手…出せよ」
「う、うん……」
言われるままに右手を出す。すると、アリオスのポケットから取り出される小さなベルベットの箱。
「これ……?」
「開けてみろよ」
有無を言わさない言葉。そっと…その箱を開ける。
「あ……」
中にはプラチナとダイヤの指輪。アンジェリークはアリオスを恐る恐る見上げる。
「いらねぇんなら、その海に投げてくれ」
ブンブンと首を振る。何か言おうとするが、喉の奥が渇ききって、声もでない。
「ア……」
泣きそうな顔で、何度も口をパクパクと動かすアンジェリーク。アリオスはそっと少女を腕の中に閉じ込める。
「捨てねえってんなら…離さねぇぞ。覚悟…できてんのか?」
口調は悪戯っぽく。だが、その声は真摯で。耳元から入り込んでくる、その言葉にアンジェリークはただ頷くしかできなくて。
「や…アリオスじゃなきゃ……」
華奢な腕がしがみついてくるのに、アリオスは微笑する。
「本当の家族になるんだ。これからは……」
二人でいること。それが基本だった。二人で築いたたくさんのもの。今更、手離すことなどできるはずがない。二人だから…
色々なことを乗り越えられる。今までも…これからも……。
「幸せに…なろうね……」
“する”とか“してもらう”とか、そんなものではなくて。こうして、大事な人と抱きしめあえる人がいる…それが“幸せ”の本当の
形。それが“二人”のあり方だから。
「アリオス…大好き……」
ギュッとしがみつきながら告げられるアンジェリークのその言葉にアリオスは苦笑する。
「バカ…先に言うなよ……」
そっとその頬に手をかけ、自分を見上げさせる。
「愛してる……」
自然に口をついた言葉。いつから…などとは、分からない。ただ、二人でいることがあまりにも自然すぎたから。見過ごして
いた当たり前の形。誰かに言われるまで、気づかなかった。当たり前の光景。だから、ちゃんと形にする。二人が二人でこれ
からもいるために……。
波の音が聞こえる。そして、互いの鼓動が重なり合う。やがて…ゆっくりと二人の距離が近づいていった……。
このシーンも書き始めた頃から暖めていました。このシーンに辿りつくまで、どれだけかかってやがる……。