アンジェリークの通う高校は王立スモルニィ女学院高等部。王立だから、学費が安く、 しかも家から近い…
そんな理由で選んだ高校であるが、なかなかに頭が良くないと入れ ない。
「おはよう、アンジェリーク」
教室に入ると話しかけてくるのは、一つ年下のクラスメイト兼、親友のレイチェル。 優秀な彼女は一年飛び
級でアンジェリークと同じ学年なのである。
「おはよう、レイチェル」
「ね、今日の課題だけどさ……」
彼女の学校生活と言う日常はこうして始まるのである。
学校生活の潤いと言えば、やはり昼休みである。
「おいしい。やっぱ、アンジェのお弁当は最高だね」
「レイチェル……。学食のおばちゃんがにらんでくるわよ」
「ええ、だって、本当のことじゃない」
ここはいわゆる学生食堂である。アンジェリークはお弁当持ちであるが、ジュースを 買って、席に陣取ってる
のである。レイチェルの方は両親が共働きでパンなのを 見兼ねて、一人分を余分に作るのも同じと言うことで、
アンジェリークがレイチェルの 分のお弁当も作ったりする。もちろん、レイチェルがいつもパン代にもらっている
お金はアンジェリークに渡してある。
「でも、アナタって、よくやるよね。朝の準備に、お弁当でしょ。それに、家事全般。 それで私のライバルやってる
んだもん。よく、疲れないなって、思うよ、ワタシ」
「だって、私、お世話になってる身分だもん。レイチェルだって、私より 年下なのに、学年トップじゃない」
「だって、ワタシ、天才だもん」
簡単に言ってのけるレイチェル。その言動ゆえに、反発をくらいやすいが、さっ ぱりとした性格のため、それも
ない。ある意味、得な性格である。
「で…バイト、始めるつもり?」
「うん。大学行くのに、お金要るでしょ? 奨学金だけじゃ、辛いかもしれないし……」
「でも…アンジェ、親のお金、あるんでしょ?」
アンジェリークの事情をある程度知るレイチェルの言葉にアンジェリークは首を振る。 親のお金と言うのは、アン
ジェリークの両親が彼女に残した遺産である。アリオスの知り合いの弁護士が管理してくれている。月々に分割して、
アンジェリークに振り込まれる ようになっている。
「少しはあるけど…家を出るときに、とっとかなきゃ……」
「アリオスさんとこ出るつもり?」
「そうじゃないけど……。いつまでもお世話になるわけには行かないもの。アリオスに 恋人ができたら、私、邪魔に
なるのよ。アリオスはとっくに適齢期だし」
「ふーん。」
レイチェルから見れば、不思議な感じである。実の家族以上の絆を二人に感じている のだ。
「ま、そうなったら、ウチに来なよ。ウチってば、親が海外赴任で弟と二人きりだし。 下宿代はいらないから」
「そのかわり、ご飯作れってことね」
「だって…誰かに作ってもらうご飯のほうがおいしいし」
クスクス笑いあう。複雑な家庭環境のため、好奇の視線で見られることもあるアン ジェリークにとって、レイ
チェルはやはり親友なのであった。
そして、放課後。
「じゃ、アンジェ」
「うん、バイバイ、レイチェル」
帰り道の本屋の前で、アンジェリークはレイチェルと別れる。学校帰りにあるこの 本屋はけっこう大きめの本屋で、
文房具や事務用品も多数に取り扱っている。
「えっと…バイト雑誌……」
積まれているバイト情報誌を適当に手を取って、パラパラと一目すると、アンジェ リークは溜め息を吐く。
「難しいなぁ……」
家のことと勉強をして。その邪魔にならない程度のアルバイト…とは、なかなかない。
わかってはいたが、やはり現実は厳しい。
(でも…お金貯めないとね……)
あの雨の日にアリオスがさしのべてくれた手があるから、今の自分がある。けれど、 いつまでも、あの手に甘えて
いるわけにはいかないと自覚している。アリオスの傍に 居たいとは思う。だが、アリオスが自分を必要としない日が
いつかやってくる。その 時に…あと腐れなく、出ていけるように。
「アンジェリーク?」
ぽんと肩をたたかれて、振り返る。そこには見知った人の顔。
「カイン!」
「久しぶりですね」
「うん、本当に」
懐かしい顔にアンジェリークは顔を綻ばせる。カインはアリオスの旧い知人で、弁 護士をしている。アリオスが
アンジェリークを引き取る時の手続きをしてくれたのも 彼である。彼は当時、学生であったが、知り合いの弁護
士を通じて、手続きをしてくれたのだ。今もアンジェリークの両親が 残したわずかな遺産を管理してくれている。
「でも…カインがどうしてここに?」
「注文してた法律書が届いたので、裁判所の帰り道でもあるし、取りに来たんですよ。 アンジェリークは?」
「えっと……」
バイト雑誌は店に戻しているので、今は手に持っていないけれど。どこから彼は見て いたのだろうか。
「あの、今日の夕食の参考に…料理の本を立ち読みに。」
「料理の本なら…向こうの棚ですが……」
「えっと……」
この人にはどうもごまかしが聞かないことを悟るアンジェリークである。
「アルバイト探してるの……」
「おや……」
「お願い、アリオスには内緒にして!」
手を合わせてくるアンジェリークに戸惑うカイン。しかも、ここは大きい本屋。女子 高生とスーツ姿の自分との
取り合わせはかなり目立つようだ。
「とりあえず…ここで立ち話も何ですし。お茶でもいかがですか?」
「うん……」
カインの言葉に頷くアンジェリーク。カインはほっと溜め息を吐くのであった。
本屋の近くにある喫茶店に二人は入る。アイスティーとコーヒーを間にはさみながら、 沈黙は続く。
「あまり固くならないでもらえますか。あの方には黙っておきますから……」
「ごめんなさい……」
俯くアンジェリーク。
「それで…どうしてアルバイトを? 私があなたに渡している金額は不足はしないはず ですが……」
アンジェリークの両親が亡くなった際、財産の処理をしてくれたのはカインである。 アンジェリークを一人残し、
知人の家に行った帰り道に二人の乗っていた車はハンドル 操作を誤った車に激突され、大破した。即死だったと
いう。アンジェリークがアリオスと 出会ったのはその葬式の後のことだった。財産の処理と事故の慰謝料をまとめ、
月々 アンジェリークの手に渡るようにカインが動いてくれたのだ。
「私…大学行きたいの。できたら…医学部。お金かかるから、アリオスに迷惑かけたく ないの……」
「あの方は迷惑だと思ったら、ちゃんと口にされますよ」
「それに、私のせいでアリオスが結婚できなかったりしたら、嫌じゃない……」
そう言って、アイスティーを口にするアンジェリーク。
「それは…たぶんないと思いますよ」
「どうして、そう言い切れるのよ」
「そんなことを気にするような女性をあの方が選ばれると思いますか? 思わないで しょう?」
きっぱりと言い切るカインにアンジェリークは一瞬息を呑む。
「あの方とは旧いつきあいですが…そういう女性にあの方が心魅かれたことなどあり ません」
「じゃあ、どんな人とつきあってたの?」
興味津々な瞳。なんせ、アンジェリークがアリオスに引き取られてからというもの、 アリオスは女性の気配を
感じさせない。医学生だった頃はまだしも、開業 医になってからというもの、周りはすべて男である。女装看護
婦はいても、女性事務 員はいない。だから、アンジェリークは自分のせいでアリオスが結婚できないのでは
ないかと気にしているのだ。
「それは内緒です。私があの方に叱られてしまう」
「なんだ…つまんない……」
そう言って、窓の外を眺めるアンジェリークをカインは複雑そうな表情で見つめる。
(ずいぶんと…似てきたな……)
表情や何気ない仕種。ただ…違うのはカインの知る彼が少女に対する態度だ。アン ジェリークに対する態度は
カインの知る彼の表情の中で、一番気を許しているように
すら見える。
「どうしたの、カイン?」
自分を見つめるカインの視線にキョトントスルアンジェリーク。
「あ…いえ、何でもありません」
「そう? じゃ、私、そろそろ帰らなきゃ。そろそろ、この近くのスーパーでタイム サービス始めるの」
「はぁ……」
すっかり所帯染みて…いやいや、主婦してるアンジェリークにカインは微笑する。
「ここの支払いは私がしますよ。それより、早く行かないと」
「え…うん。ありがとう」
じゃあね、と一礼してから、去ってゆくアンジェリークを見送ると、カインは席を 立ち、会計をすませてから、
店の外に出る。
「おや…珍しいですね、寄り道ですか……」
外に出た途端に話しかけられる。
「キーファー……」
スーツ姿の青年にカインは少し眉を顰る。慇懃無礼を形にしたような…そんな雰囲 気をまとうこの人物をカインは
快く思っていなかったから。
「女子高生とお茶ですか、結構な身分なことだ……」
「彼女はあの方が引き取られた少女だ……。それくらい、知っているだろう……」
「ああ…なるほど……」
納得したような頷くキーファー。
「しかし…あの方の気紛れもどこまで続くのか。あのような何も持たぬ小娘など……」
「キーファー、口が過ぎるぞ」
「おや…ずいぶんとムキになる。まぁ、あの方の気持ちも分からないことはないですが ……。おっと…私も急ぎます
からね。では……」
去っていったキーファーをカインは苦々しげな表情で見送ると、その場を去っていった。
さて、カイン登場です。私、ジョヴァンニの次にお気に入りかもしれない。キーファーはね、うん。多分、皆さんが思う通りに
行動してくれるかもしれません。