あの日も雨だったことを改めて、アリオスは思い出す。あの時の雨はたたきつけるように降っていた。だが…今の雨は、しっとりと降り
注いでいる。それは何処か包み込むように。
「アンジェリーク……」
車から下りる。雨に濡れるのにも関わらず、傘もささずに歩いてゆく。そして……。
ブランコが揺れる音。あの時と同じようにそこまで歩いてゆく。
「……よう」
「!」
ブランコをこいでいた少女は驚きで顔をあげる。あの時は無機質な瞳だった。だが…今は……。
「アリ…オス……?」
何か言おうとして、口をつぐんでしまう。
「どうした、こんな雨の中?」
あの時にも言った同じ言葉。あの時と同じ言葉。今でも思う。どうして、あの時、声をかけたのか。だが、すべてはここから始まった。
「……行くところがないの」
そう言うと少女は顔を背ける。微かに震えている声。迷いに満ちた瞳。自分の居場所を求めさまよう…あの時と何ら変わらない、小さな
少女のまま。
「……そうか。俺と一緒だな、アンジェリーク」
「……?」
アリオスの言葉にアンジェリークは首を傾げる。アリオスにはちゃんと家がある。何も持たない自分とは違うのだ。そう、無言で告げる
アンジェリークにアリオスはゆっくりと近づいてくる。そして、アンジェリークの視点に合わせるように、膝を着く。
「俺も行くところがないんだ……」
「嘘……。アリオスにはおうちがあるじゃない」
その言葉にアリオスは首を振る。そして、アンジェリークの頬にそっと手を当てる。
「あの家は俺とおまえの“二人”の家だろう?」
「アリオス……?」
「あの家は俺一人じゃ…広すぎる……。おまえがいて、ちょうどいいんだ。いや、おまえじゃなきゃ…意味ない……。」
そっと包み込むように抱きしめる。冷たい身体。どれくらい、この雨の中に一人いたのだろう。雨に打たれながら、何を考えていたのだろう。
不安に揺れる…迷いに揺れる心を抱えて。自分の居場所はないのだ…そう思い込んで。
「帰るぞ。どれだけ人が心配したと思ってる……。おまえは俺のたった一人の家族だろう?」
耳元で囁かれる言葉。
「だって…私は……」
「俺にはアンジェリークって存在が必要なんだ。それがおまえだ。他の誰でもない。おまえが、だ」
「あ……」
アンジェリークの瞳からこぼれ落ちる涙。雨に打たれて冷え切った頬に流れる熱い雫。
「……ごめん、ごめんなさい」
「悪かったな…不安にさせて……。気づいてやれなくて……」
その言葉にアンジェリークは首を振る。
「恐かったの…アリオスの昔のこと聞いて……。『私』って存在が本当にアリオスの役に立てるのかって……。必要にされなかったら…
どうしようって……」
「馬鹿……。いらないんなら、最初からそう言うだろうが……」
そっとその背中を撫でてやる。この腕の中にすっぽり収まってしまうくらいの華奢な存在。大切な…そう、ちゃんと言える。誰よりも大切な
存在だと……。
「雷が鳴って…でも、アリオスがいなくて……。恐くて…一人なんだって思ったら、恐くて……。アリオスがいないのなら…私、あの家に
居場所なんてないんだって…思ったの……」
「ごめんな…一人にして……」
大切なものであるはずなのに、人に言われるまで気づかなくて。周囲はみんな気づいていたと言うのに。二人が二人でいることが当然で
あることが……。あの家は二人の家だと……。
「ずっと…一緒にいろ……。“俺たち”の家…に……」
「“私たち”の家……?」
「ああ…昔から、あの家は俺たち“二人”の家だろう?」
「ん……」
嬉しそうにアンジェリークが微笑む。力の入らない手で、アリオスの背中に腕を回す。抱きしめあう。雨に濡れたはずなのに…伝わる
暖かさ。そして…響きあう鼓動。確かにそこにいると言う証。
「帰ろう…な……。いや…帰ってこい。俺をもう二度と独りにするな……」
「うん……。私も独りになりたくない……」
包み込むような雨の中、抱きしめ会いながら、二人は自分たちの存在を確かめあう。本当に必要な居場所をようやく見つけた。二人が
“二人”でいるための場所を……。
「……」
そんな光景を呆然と見つめる人物とほっとしたような笑顔で見つめる人物。
「これで、あの二人の中に入り込めないことが…わかったか……? 彼女がいるから…あの方はあの方でいられるのだ」
「……!」
だが、その言葉が聞こえないかのように、すたすたと二人の元に歩いてゆく。
「カーフェイ?!」
あわててカインが止めようとするが、そのまま歩いてゆく。
「レヴィアス様……」
「キーファー……」
キーファーの姿を見て、アンジェリークはビクリ…と身を竦ませる。
「馬鹿馬鹿しい…あなたともあろう御方が、そんな小娘に振り回されて……」
そう呟くと、クルリと背中を向ける。
「そんな小娘に振り回されるだけの卑小な存在なら、我が病院には相応しくないですな。せいぜい、町医者で終わるといい!」
そう言いながらも、悔しそうに唇を噛み締めるキーファー。
「キーファー…おまえ……」
「誤解するな、カイン。あの方はもういない。ここにいるのはただの町医者だ。小娘に振り回されるしかない…な。私は仕事がある。カイン、
おまえに付き合わされたんだ。送って行け」
「……わかった。車で待っていろ」
そう告げると、カインは毛布の入った大きな鞄を渡す。
「そう言うことですので。私はこれで」
「ああ…すまないな……」
「いえ……」
ゆっくりとカインは首を振って、笑みを見せる。
「お二人が“二人”に戻ったのなら、それでいいです」
「ありがとう…カイン……」
「いえ…お大事に、アンジェリーク……」
カインが去って行くと、アリオスはアンジェリークを抱き上げる。
「あ…アリオス……?」
いきなりの体勢におもいっきり動揺してしまうアンジェリーク。もう、小さな子供ではないのだ。こんな体勢は恥ずかしくて。
「帰るぞ、“俺たち”の家に」
有無を言わさないその言葉。だが、暖かく感じる。
「うん……」
ゆっくりと頷いて、アンジェリークはアリオスの肩に顔を伏せた。
やっと書きたかったシーンに行けた〜。このシーンがすごく書きたかったの。雨の中でのあの光景の繰り返し。でも、あの頃と違った
心で、関係でって二人が〜。ここまでの道のりの長さは一体……。しかし、カイン。相変わらず、美味しすぎ……。