「痛い!」
診察室におなじみの悲鳴が響く。多少…というより、かなり乱暴な手つきでカーフェイはいつも通りに、怪我をしたウォルターの手当をしているのである。
「もっと優しくしてくれよ……」
「それが嫌なら、別の医者に行くか、怪我をするな……」
怪我が治れば、また新しい怪我をこさえてしまうのだ。まるで、自分の腕が悪いみたいではないか。それがカーフェイの言い分である。
「そう言えば、先生は? 薬をもらおうと思ってきたんだが」
キョロキョロと内科の診察室の方を見るゲルハルト。明かりが点いてないのが気になるらしい。
「先生は野暮用」
「あ…姐さんを迎えに言ったんだな」
ぽんと手を打って、一人納得するウォルター。だが、カーフェイとジョヴァンニは顔を見合わせる。
「ちょ…何で、それを知ってんの」
「……?」
いきなりジョヴァンニに掴みかかられて、戸惑うゲルハルト。だが、ジョヴァンニは損なことに構ってはいない。
「お…おい……」
「いいから、早く言って!」
「わ…判ったから。は、早く、手を……」
「え……?」
気がつけば、ゲルハルトの首を締め上げている。看護婦の格好をしているとは言え、中身は男である。ちゃんとそれなりの力があるのだ。
「馬鹿でも一応、世の中の役には立ってるんだからな。殺すなよ」
「うるさいな、カーフェイ。ゲルハルト、ごめんね」
あっさりと手を解くジョヴァンニ。しかし、ゲルハルトの立場は一体……。本人は気にしていないが。
「ここに向かう途中で見かけたんだよ。声を書けたんだが、気づかなかったみたいでな」
「どの辺で……?」
「えっと……」
記憶を巡らせるゲルハルトが告げた場所を聞くと、ジョヴァンニはすたすたと出てゆく。
「あの…俺の包帯は誰が……?」
いつもなら、丁寧に巻いてくれる(性格はともかくとして、ジョヴァンニはやることはちゃんとやる看護士なのだ)ジョヴァンニが去って
しまい、ウォルターは戸惑う。
「俺がやる」
「え……?」
包帯を手にするカーフェイ。そして…新たな悲鳴が診察室に響いていった。
雨は降り続けている。幾度もワイパーがフロントガラスの雨を拭ってゆく。
「ちっ……」
信号が黄色から、赤に変わり、仕方なく停止する。
「あの馬鹿…行き場所くらい書いていきやがれ……」
探せるところは全部探した。なのに、何処にもいない。そもそも、いつもはカインのところに行っているのに。今回に限り、行っていない
と言う。
(エリスのことをちゃんと話しておくべきだったのか……?)
話す必要がないから、話さなかった。他意はない。出会った頃のアンジェリークはまだほんの子供だったのだ。亡き少女の面影を追える
はずもない。
こんな雨の時に思い出すのは、あの孤独な瞳。雨の公園で出会ったあの瞬間。
『行くところがないの……』
それはアリオスにも同じことで。互いに独りだった存在は。あの瞬間に“二人”になって。傍に居ることが当たり前…少なくとも、アリオスは
そう感じていたから。
(俺は…あいつの何を見てたんだ……)
しっかりした勝ち気な性格の反面で、雷を恐れる少女。亡くなった両親を思い出して。そんなほんの少しのことでも、細波のように揺れる
心を持っていたのに。
PiPiPi……。携帯の着信音。
「はい?」
「あ…先生。運転中に携帯電話着信してる〜」
電話の向こうのジョヴァンニの明るい声に神経を逆なでされる。
「切るぞ」
「嘘嘘。あのさ…今、ウォルターとゲルハルトが来てて」
「今日は現場での作業は無理だろうが……」
「機械の整備の途中で怪我したんだって。ま、それは置いといてさ。アンジェの姿を見たらしいんだけど」
「……! ちょっと待て。信号が変わった。渡ってから、停車する」 信号が変わる。携帯を持った状態で車を発進させ、信号を渡った時点で、
道の端に停車する。
「で、どの辺で見た?」
「…んとね……」
ジョヴァンニから聞き出した地名を聞いて、不意にアリオスの記憶のに蘇る光景。それは何もかもに疲れて、さまよっていたあの日々。
そして……。
「先生?」
「……わかった。悪いが、風呂の準備をしててくれ。あと、ストーブも出しとけ。ユージィンなら、場所がわかるはずだ」
「先生、それって……」
ジョヴァンニが確認する前に、アリオスは携帯の電源を切る。そして……。
『はい?』
「カインか?」
『……アンジェリークはこちらには』
「そうか、おまえのところにも連絡が入っているか」
よく考えれば、いつもアンジェリークが転がり込んでいたのだ。今回もまず、ユージィンが連絡をしていたはずである。
「今、事務所か?」
『いえ…探すのをお手伝いしようと思って、車を出したところです』
「なら、話が早い……。悪いが、毛布を用意して、俺が言う場所に持ってきてくれ……」
『……アンジェリークが見つかったんですか?』
「……あいつが行く場所をようやく思い出した。場所は……」
『そこは…確か……?』
冷静だったカインが戸惑ったような声を出している。
「ああ…そうだ……。じゃあ、俺はそこに急ぐ」
『はい……』
携帯を切ると、アリオスは再び車を発進する。
(何処にもいない…か……。そうじゃない…今のあいつには行く場所がない……)
キーファーの言葉で揺れた心。不安な心で一人のままでいることに耐えられなくて。
(馬鹿だな…あいつは……。いや、馬鹿なのは俺か……)
ずっと傍にいるのに、気づいてやれなかった。人に言われるまで、自分の中にあるアンジェリークの存在の意味に気づけなかった。他の
誰でもなく、アンジェリークだから一緒にいるのだ…ということを。エリスの死で、何もかもったと思っていた心に、光を差し込ませたのは……。
(ちゃんと…いろよ……。いてくれよ……!)
半ば祈るような気持ちでアリオスはアクセルを踏み込んだ。
ようやく、1番書きたかったシーンに行けます。うう、長かったなぁ。ここまで来るのに、1年近くかかってるんだもの。最初に書いたの
いつだっけ……。