アリオスとの会話が終わると、受話器を置いて、カインは溜め息を吐く。
(余計なこと…ではないはずだ)
決して、アリオスの口からアンジェリークに語られることのなかったレヴィアスとしての彼の過去。
アリオス自身が語らなければ、自分が語る資格などない。そう思っていたから、黙っていた。だが、最悪の形で知って しまった
からには、関わった自分も動かざるを得ない。
『わかってるの。いつまでもアリオスの好意に甘えちゃいけないのよね……』
小さい時から、家出をしにここに来た時も、いつも言っていた。自分は世話になっているから、いつかは出て いかなければ…と。
そのたびに、カインは微かな苦笑を浮かべていた。
(あの方が本当に笑えるようになったのは、あなたのおかげだと気づいていないのか……)
今でも忘れられない。アリオスがアンジェリークを連れてきたあの日のことを。
『こいつを引き取るからな』
『は……?』
まるで、拾ってきた犬や猫を飼うような言い方にカインは戸惑ってしまった。両親を事故で亡くした、寄る辺のない子供。 栗色の
髪に翡翠の瞳。彼が亡くした少女にどこか面影が似ていた。
『あの…本気ですか?』
気紛れで子供は育てられないのだ。かつての恋人に似ているからと、気紛れに拾って、一緒に暮らしてみて、あわない から、
ポイ…と言うわけにはいかない。
『本気でなきゃ、連れてこない。手続きの方法を知りたいんだ。おまえなら、わかるだろう?』
『はぁ……』
結局は逆らえないまま、色々と手続きを取った。後見人と言う形で引き取ることを提案し、そのための手続きや、アン ジェリークの
財産管理など、さまざまなことを。そんな中、アリオスが笑えるようになったことにカインは気づいた。
『ひどーい。アリオス!』
『それがどうした』
からかわれて、むくれるアンジェリークを楽しそうに見つめるアリオス。十歳以上年齢の離れた少女を相手に、だ。まる で、本当の
家族のように。いや、家族そのもの。愛した少女を亡くして以来、見ることのなかった彼の表情。
『俺はあいつに何もできなかった……』
彼の愛した少女の死の医療ミスの責任を追求し、責任を認めた病院の幹部たちは辞職に追いこまれたけれど。それ で、少女が
戻ってくるはずがなく。
病院の院長の椅子とて、彼が望んだものではない。彼を院長に…と望む声と、恋人の死を利用した権力の強奪だと 言う声。彼
自身は何も望んでいない。ただ、恋人の死を有耶無耶にされたくなかった。ただ、それだけのことだったのだ。
何も望まないのに勝手に煽り立てる周囲に嫌気がさしたのか、彼はしばしば夜の町を彷徨った。体が壊れるくらいに、浴びる
ほど飲んでは、喧嘩を繰り返して。空しさを無理矢理、埋め込むように。
そんな彼を見ているのは周囲の人間は辛かったけれど。何も言えないままに。ただ、日々だけが過ぎていった。
『アリオス!』
そんな中で、アンジェリークを引き取ると言った彼の真意はまだ分からないが。名前を捨て、新しい町で、医者として やり直し
たい…そう思わせるまでになった。
アンジェリークはその名の通り、彼を救った天使なのだ。闇の中を彷徨っていた彼に光を投げかけた……。
(あなた方の絆がそんなことで揺らぐはずはない……)
そこにあるのが当たり前すぎて、気づいていなかったことはわかる。だから、アリオスの過去を知ったアンジェリークは 動揺し、
アリオスはアンジェリークの様子がおかしいことに気づけなかったとは思う。
だが、それでも、ずっと二人でいたのだ。“二人”でいることが、彼らの当たり前の光景で。誰もがそれを認めていて。 他人がどう
こうできるものではないのだから。
小雨が降る中、アリオスは車を飛ばす。目的はもう二度と訪れることがないであろうと思っていたあの病院。
『おい、頭を打ってるんだろう? ちゃんと見てもらったのか?』
『大丈夫だって、おっしゃってたわ』
『CTとったのか?』
『取らなくても、大丈夫だろうって。レヴィアスは心配症ね』
地下街の大きな爆発事故で病院の中はごった返していて。人手が足りなくて、看護婦であるエリスが後回しにされた のだ。今は
一人でも、人手が必要だから…と。
(あの時、割り込んででも、検査をさせてれば……)
あの後、眠るように逝ったというエリスの遺体を目にして、何度後悔しただろう。エリスの死を自分たちのミスとは認め ない病院
側の対応を苦々しく思い、行動に移った。院長の甥であるとか、自分がその病院の勤務医であるとか、そんな 立場は関係ない。
エリスを死に追いやった連中が許せなかったのだ。ただ、それだけだったのだ。
『恋人の死を権力争いに利用だなんて……』
すべてが終わった時、そんな声が何度も聞こえた。彼らに何がわかると言うのか。院長を退陣させ、自分がその椅子に 座ったと
しても、エリスは戻ってこないのだ。ただ、空しさだけが残って。何もかもどうでも良くなって、ひたすら彷徨い続 けた。そんな日々。
(あの日も雨だった……)
自分と同じ無機質な瞳の少女と出会ったのは。
『行くところがないの……』
両親を亡くしたばかりの少女。恋人を亡くして、何もない自分。似ている…と思った。だから、手をさしのべた。
『行くわ…私……』
さしのべた手を取った少女。降り頻る雨の中にいたから、互いにずぶ濡れになっていて。触れた手はとても冷たかった けれど。
あの瞬間から、互いに独りだった存在は“二人”になったのだ。
『似ていますね……』
アンジェリークを引き取る手続きをしていた際、呟くように言ったカインの言葉に首を傾げた。
『似てる?』
『ええ…彼女に、エリスに……』
その言葉を聞いて、初めて、アンジェリークにエリスの面影があると気づいた。だが、それだけのことだ。エリスはエリス だし、
アンジェリークはアンジェリークだ。
『そうか…似ていたのか……』
『お気づきにならなかったのですか?』
戸惑ったようなカイン。おそらく、あの時、エリスの面影をアンジェリーク見いだして、アリオスが引き取ると言ったのだ… と、思って
いたのだ。
『それなら、安心しました』
あの言葉はそう言う意味だったのだろう。そんなこと、考えてもみなかったと言うのに。
『それと、俺の名はアリオスだ。レヴィアスと言う名は捨てた。あいつの前ではその名で呼ぶな』
『……わかりました』
全ての手続きを終え、アンジェリークとの新しい街での、新しい生活が始まった。キーファーは病院の院長の椅子をどう するのか
…と何度も詰め寄ってきたが、一族の遠縁の医師にすべてを任せたのだからと、はねのけた。
そして、人は集まり出す。ユージィンは自分がいないあの病院で働く気がないと言って、やってきた。自分のやりたい ようにさせて
くれそうだから…と、ジョヴァンニが。飲み屋で知り合ったカーフェイ。腕が確かなら、年齢は問わない…と、 ショナが。ユージィンが
連れてきたルノー。
止まっていた時間が動き出したのだ。アンジェリークと出会ったあの瞬間に。 停滞したアリオスの時間を動かしたのは紛れもなく、
あの雨の日の出会いなのだ。
(俺はあいつに甘えていたのかもしれない……)
自分より十以上も歳の離れた少女。からかうと、すぐにムキになって。時には厳しいツッコミもあったり、たわいない喧嘩 もして。
だが、それでも最後には笑いあっていた。
互いの存在があるのが当然だと思っていたのかもしれない。アンジェリークが不安に思っていたことにも気づいてやれなくて。
アリオスはきつく唇を噛み締める。
車はやがて病院にある通りにさしかかっていった。
うふふ…。カイン、美味しいよねぇ…。やっぱり。部下の中では1番人気だもんね…。いいのか、アリオス…。