『キーファーに会ったのかも知れません……』
「キーファーに? どういうことだ?」
 奇妙な取り合わせにアリオスは眉をしかめる。キーファーからはあの病院を離れてからも、何度も連絡があった。何の
ために院長を追い出したのだ、せっかくの院長の椅子を手放すのか…と。だが、取り合わずに今までいた。

『先日、アンジェリークが私の元に訪れました。貴方の過去の話を聞きたい…と。その時に、キーファーに会ったと言って
いたのです。私は、会わないほうがいい…といったのですが……』

「あいつがそれを聞くはずがない…か」
 アリオスはアンジェリークに過去の話はしたことがない。聞いてこなかったし、話したところで、まだ子供だったアンジェ
リークに理解できるはずもない…思っていた。

『そして、昨日のことです。雨の中の彼女を見ました。全身ずぶ濡れで……。私を見て、様子がおかしかったのです。もし、
キーファーに会って、貴方のことを聞いていたのなら……』

「……俺の過去を知らせて、どうするつもりだ?」
 長い灰になった煙草を灰皿に押しつける。アンジェリークの様子がおかしかったのは納得はできる。だが、そんなことをして、
アンジェリークが動揺したとして、何のメリットがあると言うのか。

「俺はもうあの病院に戻るつもりも、関わるつもりさえない。それは俺が決めたことだ」
『……わかっております』
 エリスが死んだ時、ひたすら自分の保身を図る連中がいて、彼女の死を厄介がる始末にすらなって。それが許せなくて、
行動を起こしたのだ。その後のことなんて、考えていなかった。

『私が調べたところ、あの病院の体質は改善されていますよ。ですが、実権はキーファーが握っています』
 医師でもなく、経営者でもない彼が…だ。
『おそらく、貴方を院長に…と考えているのでしょう』
「ち、馬鹿馬鹿しい……」
 舌打ちをするアリオス。だが、それとアンジェリークがどう結びつくのか。アンジェリークが彼の過去を知ったとして、何を
変えられると言うのか。

『貴方にはそうでしょうけれど……。ですが、アンジェリークはよく言っていたのですよ。自分は世話になってる人間だから
…と。そんな彼女が自分の存在が貴方の足かせになる…と、聞かされていたとしたら……』

「莫迦か、あいつは……」
 普段は遠慮の欠片もないくらいに振舞っているというのに。そんなそぶりを見せたことなどなかったのに。
「大体、遠慮してたところなんか、俺は見たことも……」
 不意に思い出す。今朝のアンジェリークの様子がおかしかったことに。昨日の帰宅時に目を会わせなかったのは……。
(莫迦は俺か……)
 普段の気の強さに隠れて見えないアンジェリークの弱い部分。いや、見せていないのだ。今まで、気づきもしなかった。
『貴方の負担になりたくない、以前にそう言っていました。貴方がいつか誰かを選んだときに邪魔になりたくないとも……』
「だから…キーファーの口車に乗ったってことか……」
『まだ彼女は不安定な年頃です。貴方が思うほど、彼女は強くないはずです……』
「ああ、そうだな……」
 今でも雷が恐くて怯えているのだ。自分が傍に居なければ、耐えられないままで。ふとしたことで不安に陥る…そんな年代の
少女であることに気づかなかった。いや、忘れていたのかも知れない。そこにあるのが当たり前で、自然で……。そんな関係
だったから。

「連絡、悪かったな。悪いが、野暮用を思い出した」
『……アンジェリークによろしくお伝えください』
「わかった」
 携帯を切る。そして、ため息を一つ。アンジェリークに語ることのなかった過去を人伝で知らさせる羽目になるとは思っていな
かった。しかも、相手はキーファーである。どのように知らされているかわかったものではない。

「あの莫迦……。思ってることがあるなら、はっきりと言えばいいだろう……」
 何を聞かされたのかはわからない。だが、それが本当なのかどうかはアリオス自身に確かめるしかないのだ。一人で抱え
込んで、どうするつもりだったのか。

「仕方ねぇな……」
 白衣を無造作に椅子にかけ、ジャケットを羽織る。車のキーをポケットに突っ込んで、部屋を出てゆく。
「先生……。どちらに?」
「野暮用だ。夜の診察までには戻る」
 ユージィンの問いに答えると、玄関まで出ようとする。だが、その前にジョヴァンニが立っていた。
「急いでるんだ。どけ」
「その前に、確認したいことがあるんだ」
「何?」
 急いでいるので、ついいらだちに声になる。だが、それを気にするはずもない相手である。
「これ……」
 そう言いながら、ジョヴァンニが差し出したのは古い写真。彼が今の彼である前の……。大切だった女性と過ごした宝物の
ような時間。

「こんなもの…どこで……」
「アンジェが持ってたんだよ……」
「……!」
 アンジェリークに過去を話したこともないから、当然エリスの写真などを見せたことがあるはずもなく。アンジェリークが勝手に
部屋を荒らしたとも考えられなくて。

「キーファー…か……」
 自分の過去を知り、この写真を持っている人物と言えば、限られている。カインもユージィンもそのようなことをするとは考え
られない。

「似てる…よね。アンジェと……」
「何が言いたい?」
「別に……」
 だが、その言葉とは裏腹にまるで挑発するかのような口調と表情。
「僕はアンジェが気に入ってる。ここの居心地がいいのはあの子がそうさせてくれてる部分もあるし」
 そこで言葉を切って、ジョヴァンニはアリオスを見据える。普段の彼とは打って変わった態度。
「僕は先生とアンジェの“二人”でいるところが好きなんだ。でも、先生にとってのアンジェは何? この人の身代わり?」
「およしなさい、ジョヴァンニ!」
 たしなめるようにユージィンが叫ぶ。だが、ジョヴァンニは引くことをしない。
「それを知って、どうするつもりだ……」
「別にどうもしないよ。二人の問題だもん。でも、もし、身代りだって言うなら……。僕があの子を口説く権利ができるわけだ」
 クスリと笑う。子悪魔の笑み。
「莫迦が……」
 フゥッとアリオスは溜め息を吐く。
「先生?」
「あいつはおまえの手に余るってこと知らねぇのか。あいつの相手ができるのは俺だけだ。今も、これからもな……」
「ふぅん……。それって……」
「あいつはあいつだ……。それ以外の何ものでもない」
「……何だ。つまんない」
 そう言うと、ジョヴァンニはわざとらしく、大げさに肩をすくめてしまう。
「用はそれだけか」
「うん。そう」
「馬鹿馬鹿しいことで引き留めるな」
 そう言い捨てると、アリオスはバタバタと外に出てゆく。ドアがわざと乱暴に閉められたのは、牽制なのか、否か。
「おまえのキャラクターじゃないんじゃないのか?」
 からかうようなカーフェイの言葉にジョヴァンニは悪戯っぽく笑う。「引っ掻き回すのが得意だからねぇ……」
 そう言いながら、癖のある髪を手ぐしで流す。
「たまにはこういうのもいいんじゃないかな。なんせ、僕は“白衣の天使”様だし。天使を応援するのもたまには…ね」
「確かに天使には性別はありませんが……」
「おまえの場合、“悪意の天使”だろうが……」
「あはは…そうかも」
 けらけら笑う。居心地のいい場所。こんないいところを手放したくはない。それは誰もが願うこと。だから、たまには白衣の
天使も悪くはない。そう思うことにするジョヴァンニであった。

ここからはアリオスに視点が変わります。さて、アリオスはどう言う行動をとりますかね。うふふ。しかし、皆いい人だよね。っていうか、
あの二人が“二人”でいるとこが好きなのよ。そんな二人が見たいからと言う我が侭だよね。結局。

| <BACK> ||  <NEXT> ||