午前中の診療は滞りなく終わった。いつものようにアンジェリークが作っておいてくれた昼食をとると、夕方までの診療までに、
午前中の診察の計算や薬の在庫の確認等を行ない、休憩となる。
「あ、あの、ユージィン。駅前まで、お買い物に行ってもいい?」
流しにつけておいた食器を洗いながら、ユージィンに尋ねるルノー。いつもルノーとユージィンが洗い物を担当しているのだ。
「何かほしいものでもあるのですか?」
「あの…アンジェに、プリンを買ってあげたくて……」
彼らしい言葉にユージィンは思わず笑みをこぼす。
「判りました。じゃあ、私と行きましょうか」
そう言って、すすぎおえた食器を食器乾燥機に入れようとすると、不意に落ちる人影。
「ジョヴァンニ……?」
「ユージィン、悪いけど、あんたに話があるんだ。ルノー、ショナと一緒に行ってくれないかな」
一瞬、キョトンとするルノーだが、コクリと頷く。
「あ、あの…ショナがいいって言ってくれたら……」
「僕はいいけど……」
「じゃ、話は決まりだね」
そう言い切ると、ジョヴァンニはルノーの背中をポンと押してやる。
「きっと、アンジェは喜ぶよ」
「あ…ありがとう」
嬉しそうに笑うルノー。
「このデータが入力できたら、一緒に行くよ」
「ありがとう、ショナ」
その様子を見ながら、ジョヴァンニはユージィンにニッコリと笑いかける。思いっきり、含みがある笑顔。
「彼らがいてはまずい話…ですね」
「まぁね」
「では、彼はどうします?」
食後の一服をリビングでたしなんでいるカーフェイに視線を向ける。
「邪魔なら、席を外してやるよ。駅前のパチンコ屋にいる。あいつらが来たら、携帯に連絡入れろ」
あいつらとはもう、常連と化しているウォルターとゲルハルト。
「いいよ。あんただって、関係者だしね」
「……?」
「あいつがアンジェに接触したみたいだから」
「……成程」
カーフェイは納得したように、くわえていた煙草を灰皿に押しつける。
「あいつ…とは?」
二人の会話の流れに戸惑うユージィンにジョヴァンニはポケットの中にしまっておいた写真を取り出す。
「何故、あなたがこれを……?」
「アンジェが持ってたんだよ。こんなもの持ってるって言えば、先生の過去を知ってる人に限られるよね」
「……キーファーですか」
幸福そうに寄り添う写真の中の二人。ユージィンが知るアリオスの、いや、レヴィアスの幸福な時間。
「あなたたちにも接触してきたとは……。そして、アンジェリークにですか……」
「様子がおかしいってルノーが言ってた理由、わかってくれたかな」
「キーファーがあなた方に接触したのなら、ある程度の事情はご存じでしょう。何が聞きたいのです?」
「あんたがどう思ってるか…かな。あんたは先生に心酔してて、そのために動いたって話だし」
「そこまでわかってて…ですか」
「うん♪」
不敵に笑うジョヴァンニに対し、ユージィンは穏やかな笑みのまま。ただ、空気が緊迫しているのをカーフェイは感じる。
「……。私はレヴィアス様を尊敬しています。ですが、今のあの方を否定することはできない。私もきっと、『今』を楽しんでいるの
かも知れませんね」
何気ない、当たり前に過ごす日常。空気のように存在する心地よい毎日。いつしか、それがあるのが当然と思ってしまっていて。
「それって……」
「賢明なあなた方なら、私の言葉の意味をわかっていただけると思うのですが」
その言葉にジョヴァンニはつまらなさそうに肩を竦めてしまう。
「なんだ、あんたと一戦でも交えてやれると思ったのに…さ」
悪戯っぽくジョヴァンニが笑う。もちろん、本気で思っているわけではないが。
「それにルノーのこともあるってか?」
カーフェイの指摘にユージィンはニッコリと笑みを浮かべる。
「ええ。あの子は明るくなりましたから。あの子から笑顔を取り上げることはできません。それに…どれだけ、時を戻そうとしても、
動いている時間は止められませんから」
きっぱりと言い切ってさえ見せるユージィンにジョヴァンニとカーフェイは少々戸惑っている様子。
「意外だねぇ……」
「よくも悪くも私もここの…というより、あなた方の影響は受けているようですから」
鮮やかな笑みで切り替えされれば、苦笑するしかない。
「性格悪そうなのは元からだろうが……」
二本目の煙草に火をつけようとするカーフェイの指から、ユージィンは煙草を取り上げる。
「ここ…禁煙にしてましたよね」
にこにこと無敵な笑顔。
「性格悪そうじゃなくて…悪いの間違いだな」
大げさに溜め息を吐くカーフェイ。
「ですから、影響ですよ」
しれっと受け流すユージィンなのである。
「でも…そうでなければ、私もまた、時に捕われていたのかもしれませんね……」
ふと思い出す。あの頃の荒んだ瞳をしていた彼をどうすることもできなかった。そんな彼が出会った少女がアンジェリーク。もし、
アンジェリークに出会わなければ、今の彼も、自分もありえなかったと思うから。
(未だに時に捕われている…というより、それが彼なりの忠誠なのだろうけれど……)
今、あの病院は院長の遠縁の者が院長となり、経営は健全化されているらしい。だが、キーファーの目的はあくまで、レヴィアス
があの病院に戻り、院長となることだ。ユージィンの元にも彼からの連絡があったから。
『すべてはレヴィアス様のためなのですよ』
躊躇うユージィンにそう笑ってみせて。彼にとっての切り札の言葉を持ち出して。
それでも、ユージィンは彼の話を蹴った。今のレヴィアスを、いや、アリオスとして生きる彼を否定することなどできない。それが
ユージィンにとっての忠誠なのだから。
不意にタイマーの音がする。
「ルノーがいつも手伝ってくれるのですが……」
「はいはい。手伝えばいいんだね」
食器を片づけながら、ふと、外を見つめると、まだ雨が降り続けている。朝方より、ひどくなっているようだ。
「帰るまでに止むといいんだけどなぁ……」
そう呟いて、ジョヴァンニは食器棚に食器を戻した。
「雨が止まないな……」
昨日からずっと降り続けている雨にアリオスは顔をしかめる。風邪気味で体調が悪いのに、アンジェリークが濡れて帰ってきて、
更に悪化させたためだ。
「アンジェ、起きてるか?」
コンコン…とノックをしてみるが、返事はない。無理に起こすこともないと、アリオスはその場から去る。
(様子がおかしいのは、風邪のせいだけじゃないな……)
昨日の帰宅の最に、妙におとなしかったことが妙に引っかかる。いつもなら、憎まれ口の一つもたたくはずなのだ。
(何があったんだ……?)
この年頃の少女なら、多少の秘密を持っていても不思議ではない。だが、何故か、あの苦しそうな表情が引っかかるのだ。
「ったく、手を焼かせるな、あいつは……」
自室に戻り、煙草に火を付ける。ゆらり、ゆらりと紫煙が上がる。医学書に目を通そうと、手を伸ばした瞬間に、携帯の着信音。
「はい?」
『レヴィアス様……。カインです。ご休憩中の所、申し訳ありません』
「おまえか……。珍しいな」
カインはそこそこになの知れた弁護士で、忙しいはずだ。その彼がこんな昼間に電話してくることは滅多にないこと。
『すみません…少し、確認したいことがあるのですが……』
「確認……?」
電話口でのカインの口調はどこか躊躇いを隠しきれていない。
『いえ、私の考え過ぎかも知れませんが……』
「はっきりと言え」
沈黙が数秒流れる。待つのはあまり好きではない。何か言おうとしたが、カインが決意したかのように息を呑む音が聞こえ、黙る
ことにする。
『……わかりました。アンジェリークの様子に変わったところはないでしょうか?』
「どういうことだ……? 何か知っているのか?」
『……やはり、そうですか』
どこか後悔するようなカインのため息が、やけにリアルにアリオスの耳に届いた。
別人第2段、ユージィン……。でも、崇拝する相手が不幸なままより、大事な相手ができたら、祝福したいと思いたいのですが…。
ふぇーん、世間が怖い…。
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