昨日からの雨は止まないままに、今朝もまだ降り続けている。
「今日も雨なんだ……」
 雨の音で目を覚ましたアンジェリークはベッドから起き上がろうとしたが、頭に激痛が走り、倒れそうになる。
「頭痛い……。風邪かな……」
 身体を動かそうとするたびに、響くように頭痛がする。身体自体、気怠くて、熱を帯びている。
「ご飯…作らなきゃ……」
 それでも、ベッドから出て、まずは顔を洗う。着替えてから、朝食の準備に入る。長年、身についた習慣。
(いつもの朝の始まりでいいんだよね……)
 朝ごはんを作って、アリオスに食べさせて、学校に行って……。変わらぬ日常の始まり。そう、いつもと変わ らない
はずの……。

 知ってしまったことを知らなかったことにできるはずもない。だが、ここはアンジェリークにとってはかけがえの ない
場所で。アンジェリークにここにしか“ここ”にしか居場所がない。“置いてもらっている”立場であろうと……。



 アリオスの朝はアンジェリークの足音で始まる。アンジェリークと暮らしはじめて身についた、彼にとっての 朝の始まり。
(今日は足音がおかしい……?)
 いつも元気よく、家中を動き回る足音は今日は元気がない。ガバッと起き上がると、いつものようにシャワーを 浴びずに、
キッチンへと向かう。

 気配を消して、キッチンを覗くと、いつも通りに朝食を用意しているアンジェリークの姿。だが、動くたびに苦し そうに眉を
顰ている。どことなく、気怠げな様子。

(顔色が昨夜より悪いな……)
 風邪気味だったところをずぶ濡れで帰ってきたのだ。身体にいいはずがない。アリオスは溜め息を吐いて、 キッチンに
入った。

「コラ!」
 グイッと腕をつかんで、引き寄せる。思った通り、身体全体が熱っぽい。
「キャ……!」
 突然後ろから腕を引かれたアンジェリークのは戸惑ったようにアリオスを見つめている。近くで見ると、顔色の 悪さが
手にとるようにわかる。

「熱、あるだろ?」
「さぁ…計ってないから……」
「ったく……。座ってろ!」
 軽く舌打ちをすると、アンジェリークを無理矢理椅子に座らせ、体温計を持ってきて、アンジェリークに差し出す。
「計れ」
「…ご飯、作ってから」
 そう言って、立ち上がろうとする身体を押さえつける。
「バカ、その前にだ」
「やだ」
 ブンブンと首を振る。こうなると、互いに意地の押しつけあいになる。大抵はアリオスがさりげなく折れてやるの だが、
相手は病人。しかも、昨日からの風邪を悪化させているのだ。

「アンジェ!」
 強い口調で言うと、身を竦めてしまう。
「大丈夫よ、アリオスに迷惑かけないから」
「迷惑とか、そういう問題じゃないだろうが。後で悪化させて、肺炎でも起こされる方が迷惑だって、言わないと 分からない
のか」

「……」
 反論できないアンジェリークにアリオスは体温計を握らせようとする。だが、
「いい、ご飯作るの!」
 パシッとその手をはねてしまう。危うく、アリオスの体温計が床に落ちそうになる。
「自分の身体のことは自分が一番わかってるもん! だから、大丈夫なの!」
 そう言って、アンジェリークは椅子から立ち上がろうとする。その表情はどこか苦しげで。それは決して風邪の ためだけ
ではないことをアリオスに感じさせた。

(アンジェリーク……?)
 よく考えなくても、普段のアンジェリークなら、こんなに聞き分けが悪いわけがない。
「おい、何かあったのか?」
 その言葉にアンジェリークは身体をビクリとすくませる。
「何でもないの……。お願い、ご飯の準備させて……。あたしにできること…これくらいしかないもの……」
 泣きそうな、途方に暮れた表情。それはあの雨の日の出会いの時のような……。
「おい……」
 だが、アンジェリークはそれ以上何も答えず、朝食の準備を続けるだけ。
「ごめん…ご飯作ったら、ちゃんと熱計るから……。シャワー浴びてきてね」
 顔色が悪いままに笑う。にっこりと張り付いた作り笑顔。こんな笑顔を見せたことは今までなかったのに。
「このバカ……!」
 勝ち気であり、強情な少女である。これ以上は平行線しか望めない。アリオスは軽く舌打ちをすると、シャ ワーを浴びに
向かった。


「三十七度五分……」
 水銀の体温計が示す目盛りにアリオスはあきれた口調を隠さない。アンジェリークの平熱は普段は三十五 度台である。
これがどれほどの高熱であるか、本人に自覚がないわけがない。

「それ、壊れてるのよ……」
 ぷいと顔を背けるアンジェリーク。だが、アリオスはアンジェリークの額に手を当てる。アンジェリークのもの とは違う、
大きな手。安心できる、手だ。

「冷たい……。手の冷たい人は…心が暖かいのよね……」
 うっとり止めを閉じるアンジェリーク。
「バカ、おまえの頭が熱いってことだろうが……ユージィンが来たら、薬を出させる。それまで寝てろ」
「ごめんなさい…迷惑かけて……」
「迷惑とか、そういうもんじゃないだろう」
 やはり様子がおかしい。
「アンジェ……」
 何があったのか、聞こうと口を開いたところで、ピンホーンとチャイムの鳴る音。
「お、おはようございます……」
 おどおどと入ってくるルノーにアンジェリークは笑顔を見せる。
「おはよう、ルノー」
「あ…あの。どうしたの。顔色、悪いけど……」
 心配そうなルノーがアリオスを見上げてくる。
「ああ、こいつ、風邪をひいてるんだ。ユージィンが来たら、学校に連絡するように頼んでくれ」
 何故か、学校への連絡係はユージィンである。まぁ、この病院のスタッフの中で、外部と接触するのには彼 以外に任せら
れる人がいないと言うこともある。

「ほら、部屋に戻るぞ……」
 軽々とアンジェリークを抱き上げると、一瞬だけ、アンジェリークが強ばった顔をするのをルノーは見てしまった。
(アンジェリーク……?)
 どうやら、アリオスは気づいていない。言うか、言わまいか迷ううちに、アリオスはアンジェリークを運んでいって しまう。
「おっはよう。あれ?」
 軽快に入ってくるジョヴァンニ。だが、いるべき二人がいないことに気づき、首を傾げる。
「あ…あの、アンジェ、風邪ひいたみたいで……」
「ふぅん……」
「あ…あのね。アンジェの様子…おかしいんだ。な、何だか…いつもと違う……。いつもの“二人”じゃないんだ ……」
「アンジェの様子が……?」
「う、うん……。う、うまくは言えないんだけど……」
 言葉をうまく紡げないルノーだが、彼の心配そうな様子からも、おかしいことは間違いなさそうだ。
(あの男が……? まぁ、僕でも同じ手を使うけどね……)
 ジョヴァンニとカーフェイに接触してきた男のことを思いだし、ジョヴァンニは眉を顰る。
「ジョ…ジョヴァンニ?」
 黙ってしまったジョヴァンニにただならぬものを感じたのか、ルノーが恐々と見つめている。
「ああ…ごめん。何でもないよ。お茶、入れてくれる?」
「う、うん……」
 よくアンジェリークと一緒にお茶を入れているため、ルノーの入れるお茶は美味しい。
(でもさぁ、ここの空気が居心地悪くなることは嫌だったりするんだよね、僕は……)
 この病院は居心地がいい。それぞれが自分のやりたいように、言わば放任状態でいながら、ちゃんとつながりが あって。
それはアリオス一人の存在のためではない。アンジェリークの存在もあってのことだと言うことをみんな
判っている。
(当の本人たちが判っていたら、問題ないんだけどね……)
 思いに耽りながら、ジョヴァンニはルノーが入れた紅茶を飲みはじめた。

いや、本当は二人が言い争うシーンをルノーが見て泣きそうになる…の予定でしたが、アンジェが思ったより、強情だし…。
うう、これ、完結するのかなぁ。こんなに長くなるとは…。

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