キーファーが喫茶店を出た後、アンジェリークが喫茶店を出た頃には、雨がぽつぽつと降り始めていた。
『雨が降るからな、持っていけ』
そう言って、持たせてくれた傘を見つめる。シンプルなブルーのチェックの柄の傘。ああ見えても、なかなかの心配症
なのだ。
昔から、アリオスは病気や怪我には人一倍敏感だった。肝臓の悪いゲルハルトと飲みに行くと言っても、一緒の時は
彼の身体を考えて、ドクターストップをかけていると、ジョヴァンニが言っていたことを思い出す。
アンジェリークが病気や怪我をすると、かかっている本人よりも心配そうな顔をしていた。医者の割に心配症なのかな
…と思っていた。亡くした恋人が手遅れだったから、人一倍敏感になっていたのだと今更ながらに思い知らされてしまう。
(あれって…私だからじゃなかったのか……)
胸がまた痛くなる。今のアンジェリークにそっくりだと言うアリオスの昔の恋人。面影を重ねて見ていたのだろうか。
(もし、私が男の子だったら……。もし、私が全くあの人に似ていなかったら……)
堂堂回りの考えに陥りそうになり、首を振る。それはあくまでも仮定に過ぎないとアンジェリークは判っている。
今、二人でいることが現実で、それがすべてだと笑ってしまうこともできるのだ。だからといって、感情がついてゆく
はずもなくて。
(私…何のための存在なのかな……)
いつしか土砂降りになった雨の中、傘が妙に重い。土砂降りの雨の中で役にたたなくなってゆく。
雨を吸った服が重い。顔にまで雫がかかってゆく。けれど、立ち止まることもできなくて。
「風邪…ひいちゃう……」
呟いて、顔にかかった雫を拭おうとする。だが、その中に暖かい雫が混じっていることに気づく。
「私…泣いてるの……?」
自分自身の涙に戸惑い、何度も拭おうとする。だが、止め処もなく溢れてくる。
(どうして……?)
自分でも気づかない感情の昂ぶりが形となって現れて。
(何が悲しいの……?)
自分自身に問いかけても、答えは見つからなくて。ただ、溢れる涙を拭うのが精一杯なまま。
「アンジェリーク?」
不意にクラクションの音と共に呼びかけてくる声にアンジェリークは身を竦める。振り返ると、見慣れた車。
「どうしたんですか、こんな土砂降りの中で……?」
「カイン……」
雨が降り注ぐこともかまわずに、車の窓を開けて、カインが声をかけてくる。
「この雨じゃ、傘は役に立ちません。送っていきますよ」
そう言って、助手席の方のドアのロックを外し、車に乗るように促してくれる。
(カインはみんな知っていたんだ……)
漠然とそんなことを考えてしまう。カインはいつもアンジェリークに対して、丁寧な態度で気遣ってくれた。だが、今は
その気遣いがとても痛かった。
アンジェリークの知らないアリオスの過去を知り、アリオスがそれを話さないわけを知っていたのだ。昨日、キーファーの
話を持ち出したら、接触しない方がいいと言ったのはそう言う意味だったのだろう。今のアンジェリークには何事もなかった
ように振舞うことなどできるはずがない。
「何でもないの……。ありがとう……」
それだけを言うのが精一杯で。カインの顔もまともに見られないままに、アンジェリークは走り出した。
「アンジェリーク!」
カインが呼びかける声を振り切って、アンジェリークは走り出す。冷たい雨に身体も心も打たれ、冷え切ったまま……。
「このバカ、電話くらいかけたら、迎えに行っただろうが!」
家に戻った途端、玄関で出迎えたアリオスが頭ごなしに怒鳴ってくる。
今朝、雨が降るからと持たせたはずの傘は土砂降りの雨で役に立たなかったのか、濡れねずみで帰ってきたのだ。当然
といえば当然。
そう言う時は普通、雨が弱くなるまで待つか、アリオスに連絡して、迎えに来てもらえばいいのだから。一応、アリオスも
車の免許は持っているし、特売日などにはアンジェリークは遠慮することなく、買い物に付き合わせるのだから。まして、
今朝からアンジェリークは体調が悪そうだったのだから。雨に濡れて、いいはずがない。
「風邪をひきかけのくせして、雨に濡れてくるな!」
「……ごめんなさい」
それだけを言うのがアンジェリークには精一杯だった。今はアリオスと目を合わせるのも怖い。その瞳にアンジェリーク
自身が映っているのかが判らなくて。
「……ったく」
俯いたままのアンジェリークを反省しているのかと思い、アリオスは軽く溜め息を吐く。
ワシャワシャと無造作にタオルでアンジェリークの頭を拭いていってやる。
「それで拭いたら、ちゃんとシャワー浴びて暖かくしてるんだぞ」
ポンとアンジェリークの背中をたたくと、アリオスは自室に戻る。後に残されたアンジェリークはタオルでひとまず体を拭くと、
バスルームに向かう。
濡れた服などを洗濯機に入れてから、アンジェリークはシャワーを浴びる。熱いシャワーが冷え切った体を温めてゆく。
(熱い……)
うっとりと目を閉じる。だが…身体は温まっても、心はいつまでも温まらない。
(何なんだろう…これ……)
判らないままのもやもやが胸に広がる。苦しくて、息ができなくなる。うずくまって、熱いシャワーに打たれる。いつまでも
温まらぬ心を抱えたまま……。
うう、アンジェ、大丈夫かなぁ……。(お前が言うなよ…) 書いてて痛いのは痛いけどアンジェはもっと痛いんでしょうね。
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