「まずはこれをご覧になってください」
差し出されたのは二枚の新聞記事の切り抜き。一枚目は何年か前に起こった地下街のガス爆発。大きな事故だったらしく、切り
抜きも大きいもの。そして、もう一枚は……。
「医療ミス……?」
日付はガス爆発の日付よりも一年以上たった後のもの。ガス爆発に巻き込まれた女性が手当を受けた先の病院で、医療ミスに
より亡くなったことが判明したもの。しかも、その病院は医療ミスを隠すために、院長自らが率先して、カルテの改竄を行なったという。
「その記事の亡くなった女性が彼女ですよ」
「……!」
「そして、その病院の院長があのお方の叔父……。あなたが以前、訪れたあの病院のね……」
「あ……」
思い出す。レイチェルのお見舞いに行った時の看護婦たちの強ばった顔。アンジェリークを見て、驚いていた。まさか、それが
こういう意味だとは……。
「私も驚きましたよ。あの娘は天涯孤独でしたからね。幽霊が訪れたのかと……」
「悪かったわね。両足がついてて」
ぷいと顔を背けるアンジェリーク。
「彼女は頭を打っていたのですよ。平気そうにしていましたがね。あのお方はちゃんと治療を受けるように言いました。頭の怪我は
恐いですからね。ですが……」
チラリと新聞記事を見つめる。
「脳外科の医師は院長の子飼いの男でした。ガス爆発の事故で多くの患者が運ばれている忙しい中、看護婦一人に時間をかけて
いられないと、レントゲン一つとらずに大丈夫と診断しましたが、その数時間後、容体は急変し……。彼女は二度と帰らぬ人になり
ましたよ」
「……れっきとした医療ミスじゃない」
「ええ……。あのお方は担当医を責めました。きちんと検査を受けさせうぇれば、こんなことにならなかったと。病院側としては、この
ことが表に出ると都合が悪い。まして、院長がこの件で失脚すれば、あのお方に病院の権力が移ってしまう。ですから、あのお方の
目に留まる前にカルテの改竄を行なおうとしました」
聞けば聞くほど、怒りが沸いてくる。当事者でない自分がこうなのだから、アリオスはどんな気持ちで時を過ごしていたのだろう。
「もっとも、私がその前にあのお方にカルテを渡して、すり替えておきましたがね。後は裏を固めて、世間に公表……。院長は医師を
切り捨てようとしましたが、たたけば埃の出る身体でしたからね。失脚させるには十分でしたよ」
「でも…あなたとアリオスと二人だけで?」
「いえ…ユージィンは当時薬剤師として働いていましたし、カインは弁護士を志していました。ユージィンは当時、院長がわざと高い
薬を使い、請求を水増ししたことを知っていましたし、カインは法的手段に訴える時に裏で動いてくれた。私たちはあの御方に心酔
していましたからね。医師としての腕だけじゃない、人間としても、人を統率するものとしても……」
彼の口調からその言葉に嘘はないと思える。彼の言動にはアンジェリークには計り知れないものが在るが、それだけは何となく
わかる。口調が違うのだ。
「それで…どうなったの?」
「大々的にマスコミに取り上げるように計らいましたからね。当然、院長は失脚ですし、病院の人事も一掃されましたよ。誰もがあの
お方が院長となり、病院を立直しされるものだと信じておりました。膿を出し尽くした功績として、その資格は十分に在りますからね」
「それって……」
何かが違うと思うのは気のせいだろうか。多分、アリオスが望んだのは病院がミスを認めて、エリスに謝罪の意を表わさせること。
まずはそれからだ。大切な恋人を亡くしてすぐに、権力争いに身を投じるような性格ではないとアンジェリークは信じている。
「ですが、あのお方は病院から去ってしまった……。後は残された者たちで病院を再建しましたよ。病院に残ったのは反院長派の
者が主でしたからね。いつか、あのお方が戻ってくるのを信じて…ね……」
そこまで言うと、じっとアンジェリークを見つめるキーファー。まるでアンジェリークを責めるような眼差し。だが、アンジェリークには
そんな目で見られる覚えが在るはずもない。
「何か私に言いたいの?」
その言葉にキーファーは含み笑いを漏らす。
「その日付をご覧になってはいないのですか?」
医療ミスのほうの記事を指さされ、アンジェリークは何気なく記事に目を向ける。
「これ……。私とアリオスが出会った年……?」
この記事の数ヶ月後に、あの雨の日の出会いがあった。あの時、アリオスは言った。
『俺も誰もいないんだ……』
あの時は幼くて、目の前に差し出された手しか見えていなくて、深く意味など考えなかった。自分と同じように大切な誰かをなくした
としか……。
「あのお方があなたを引き取り、開業医を始めたと聞いた時は驚くしかありませんでした。カインはカインで反対もせず、ユージィンは
あのお方について行くし……。正直、あのお方の考えることはわかりませんでしたがね。ですが、今の成長したあなたを見て、わかり
ましたよ」
「何がわかるって言うのよ!」
キーファーが何が言いたいのかが分からない。そもそも、何のためにアンジェリークを呼び出しw、こんな話をするのか。真意が
見えてこない。
「写真を見たでしょう? あなたはあの娘に生き写しだ。あの娘の面影をあなたに見て、あなたを引き取ったのですよ。そうでなければ、
見ず知らずのあなたを引き取るわけがない。違いますか?」
「……!」
言葉を返せない。言われてみればそうなのかも知れない。だが、そんなことは感じなかった。家族として、一緒にいる…そう信じて
いた。だが、もし、キーファーの言葉通りならば……。揺れる瞳のアンジェリークにキーファーは内心でほくそえむ。それこそが、彼の
目的なのだから。
「あのお方のお心をお慰めするための存在なのですよ。あなたは。ですが、あなたの存在は非常に邪魔なのです」
「私が…邪魔……?」
まるで、ナイフで切り裂かれるような口調。心が切り裂かれそうな感覚。
「いつまで、あのお方を一介の開業医のままで終わらせるおつもりですか? あの方の腕はあんな小さな開業医で終わるものでは
ないのですよ。大病院でこそ、振るわれるべき腕なのですから」
「私にそんなこと言われたって……」
この男は何を言いたいのだろうか…とアンジェリークは思う。アリオスが開業医として生きているのは、彼の意志であり、それこそ、
アンジェリークが口出しすることではないのだ。
「分からないのですか? あなたを養っているからですよ。あなたはあのお方にとって、お心を慰めるのには必要な人物だ。だが、あの
お方があの病院に戻るにはあなたの存在がネックになる。あのお方はあなたがいるから、戻られないのですよ」
「そんな…私のせいにしないでよ。それに、アリオスはそんなこと、一言だって言わないわ。」
「あのお方は慈悲深い方ですからね。あなたのような幼い娘を追い出すようなまねなどできないでしょう。違いますか?」
「そんな……」
追いつめられてゆく感覚。何もかもが分からなくなってゆく。
「私は……」
「あなたがあの家を出れば、心置きなくあのお方は病院に戻れる。本当にあのお方のことを考えるのならば、あなたのとるべき行動は
一つのはず」
そこまで言うと、キーファーはニヤリと笑う。追いつめられた小動物を更に追い込むかのように。
「あなたとて、誰かの身代わりは嫌でしょう? それとも、もうその身体で、あのお方をお慰めしているのですか?」
「……!」
カァッとアンジェリークは頬が紅潮する。
「バカにしないでよ。そんなことアリオスは言わないわよ! アリオスに対して、すごい侮辱じゃない!」
「それすらできぬ小娘なら、本当に役にも立ちはしない。レヴィアス様の気紛れはどこまで続くのやら……」
揶揄するような言葉。アンジェリークにとってのアリオスなど、キーファーには何の意味もない。
「まぁ、私の用件はそれだけです。あなたは頭のいい娘だ。自分のとるべき行動はすぐにわかるでしょう」
それだけ言うと、キーファーは席を立つ。
「そろそろ行かねばならないのでね。支払いは先に済ませておきますよ。ごゆっくり」
「あ……」
立ち去るキーファーに何か言おうとするが、言葉が出てこない。ただ、その背中を見送る形になる。
(私……?)
胸が痛い。苦しくて、苦しくて。テーブルの上に残された写真がアンジェリークを追いつめる。自分によく似た少女と寄り添うアリオス
の姿。
テーブルの上のアイスティーの氷は溶けてしまったが、、一口も飲まないまままま、アンジェリークは胸の痛みと戦っていた。
はぁ、やっと、キーファーの本領発揮です。でも、頭の怪我は本当に怖いです。私、阪神大震災の時、頭を打ったので病院に
行くとちゃんとCTとってもらえたしね。
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