バラの香りが浴室に広がっている。ピチャン…湯船につかり、花の香に包まれてがら、アンジェリークは昼間のことを
考える。何かを考えるのには落ち着ける場所が一番である。

 昼間のカインの態度はかなりおかしかった。おそらく、カインはキーファーを知っているのだろう。そして、彼の存在が
アンジェリークにとって危険であるということも。

(アリオスのことに関係あるのよね……)
 フウッと溜め息をつく。困らせたという自覚がある。そして、嘘をついていると言う罪悪感のため。よく考えなくても、触れ
てはいけない領域に踏み出しているのかもしれないと言うことがわかる。だが、真実を知りたいと言うのも事実で。

(会わない方がいいのかなぁ……)
 だが、もし会わなくても、なんらかの形でアンジェリークに接触しようとするだろうとも思う。キーファーがアンジェリークを
見る視線はとても好意的なものとは思えなくて。

(アリオスの過去なんて…今更知っても仕方ないのに……)
 興味がなかったと言えば嘘になる。だが、アリオスが語らないから、聞けなかった。彼の過去に触れることで彼を怒らせ
たくはなかった。家族を亡くしたアンジェリークにとっては、あの雨の日に手を差し伸べられたアリオスは掛け替えのない
存在で。あの手を自分から離すことなど、また独りになるなんてできるわけがない。彼が迷惑だと思わない限り、傍に居
たいと思う。たった一人の家族なのだ。

「あんまり…考えるとのぼせちゃうわね……」
 火照った頬に冷たい濡れタオルを当ててから、アンジェリークは風呂を出た。
「ん…おいし……」
 濡れた髪を乾かすのもそこそこに、長袖のTシャツとスパッツという格好で台所から持ってきたミネラルウォーターを
リビングのソファに腰掛けて、喉に潤いを与える。冷たい水が喉を通り抜けていく感覚がとても心地いい。

「はぁ……。どうしよう……」
 空になったミネラルウォーターの瓶をギュッと握り締めて、今日で何度目になるか分からない溜め息を吐く。やはり
カインに一言言った方が良かったのかも知れない…とは思うのだ。だが、啖呵を切って飛び出した以上、今さらカインに
相談もできない。

「バカ、湯冷めするぞ」
 その言葉とともにバサリ…と投げられるジャケット。
「アリオス……」
「風邪をひかれちゃやっかいだしな。貸してやるから、はおっとけ」
「はぁい」
 確かに本当のことなので、言われた通りにジャケットを羽織る。大きなジャケットはアンジェリークにはぶかぶかで。
(あ、アリオスの匂い……)
 雷が怖くて動けない時はいつもこの匂いに包まれて、守られていた。安心できる空間をいつもアリオスが作ってくれた
から。

「どうした?」
 ぼうっとしているアンジェリークの顔をのぞき込んでくるアリオス。
「ううん、何でもない」

 にっこりと笑顔でごまかしてしまう。カインにすら言えなかったことをアリオスに言えるはずもなくて。
「変な奴だな……。ま、いいけどな。ちゃんと髪も乾かしとけよ」
 そう言うと、くしゃくしゃとアンジェリークの生乾きの髪をかき回してしまう。
「もう、アリオス!」
「じゃ、俺も風呂に入るからな。ジャケットはその辺に置いとけ」
「うん…ありがと」
 アリオスが部屋を去ると、ドライヤーを取り出して、アンジェリークは髪を乾かし始める。
(どうしよう…私……)
 身体がどうしようもなく震えてくる。アリオスのジャケットを羽織った瞬間、アリオスの匂いに包まれた瞬間、感じたのだ。
ずっと守られていたことを。居心地が良くて、離れたくない場所だ…と。

(アリオスのこと知るの…怖い……)
 それは紛れもない予感だった。何かが変わってしまう…今までの自分たちではいられなくなる。
(どうしよう…怖い……)
 とてつもない不安にアンジェリークは震える。それはアリオスの匂いに包まれても、止まることはなかった……。

さて、嵐の前の静けさです。この先の展開は痛いんだろうな、きっと。でも、これを書かないと話が成り立たないし。ジレンマ…。

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