土曜日は半日で授業が終わる。チャイムの音とともに、生徒たちは部活に、帰宅にと足を急がせている。
「アンジェ。今日は一緒に帰ろ! 今日は部活休みなんだ」
 天才少女の名は学問だけではなくて。レイチェルはスプリンターとして陸上部で活躍をしている。だが、そんな
友人の誘いにアンジェリークは残念そうに首を振る。

「ごめん、寄るとこあるの」
「あ、そうなんだ。デート?」
「違うわよ。カインに会いに行くの。知ってるでしょ、アリオスの知り合いの弁護士さん」
 アンジェリークが以前、カインに用事がある時に着いてきたことがあるレイチェルはすぐに思い出して、ポンと
手を打つ。

「ああ。知ってる。へぇ、以外。アナタってああいうのが好みなんだ。でも、気をつけなよ。世間はそういうの援助
交際として見るよ」

「あのね……」
 いくら親友の言葉とは言え、これはあんまりである。
「アハハ。ゴメン、ゴメン。アンジェにはアリオスさんがいるしね。野暮なこと言っちゃったネ」
「もう……」
 親友のあっけらかんとした言葉に頭を抱えてしまう。
「じゃあ、約束は1時半なの。急ぐから」
「うん、じゃ」
 バイバイと手を振って、アンジェリークを見送るレイチェル。
「でも…やっぱり、アリオスさんとの『二人』が一番いいネ。見てるこっちが羨ましくなるんだから」
 呟いて、笑みをこぼす。アンジェリークの家に遊びに行くと、その雰囲気の暖かさにすぐに気づく。そして、二人を
見ていると、とても自然な空気に包まれていることが一目でわかる。『二人』でいるのが、とても自然なのだ。

「ワタシも天才って言われてるけど、こればっかりはねぇ」
 そういう二人を見ているから、理想が高いのだと、自分に言い聞かせるレイチェルはそれなりにお年頃であった。

 約束した時間にカインの事務所に赴くと、事務員の女性がアンジェリークに気づき、迎え入れてくれる。
「いらっしゃい、アンジェリークさん」
「こんにちは」
 事情が事情なので、色々な関係でこの事務所に出入りする機会が多いアンジェリークはこの事務員の女性とも
旧知の仲である。

「今、先生は接客中だから、待っててね」
「いえ、お構いなく」
 遠慮しても、いつもアンジェリークの好きなお菓子とお茶を出してくれる。大事なお客様とカインがいつも言って
いるせいもある。しばらく待つと、カインが別の部屋から出てきた。

「アンジェリーク。お待たせしました」
「ううん。ごめんなさい。お仕事の所、御邪魔して」
「いいえ。それより、話…とは?」
「ここじゃ……」
 躊躇うアンジェリークの様子に只事ではないことを察して、カインは努めて穏やかな声を出す。
「わかりました。では、隣の部屋にしましょう」
 その言葉にうなずくと、アンジェリークは席を立った。

 この部屋はカインが依頼人と話す部屋である。壁紙は穏やかな色にされており、心を落ち着ける雰囲気にしている。
出してくれたお茶も香りがよく、心を和ませる。だが、それでも、アンジェリークの表情が固いことにカインは気づいて
いた。

「あの方が何か言われたのですか?」
 カインの言葉にアンジェリークはきょとんとする。
「いえ、あなたがここに見えるのはあの方と喧嘩したときでしょう?」
 その言葉にアンジェリークはクスリと笑う。まだ彼女が小さい頃、アリオスと大喧嘩するといつもここに駆け込んできた。
『私、家出する!』
 喧嘩の原因は聞いてみると、他愛ないことばかりで。それは二人が本当に仲のいい証拠。カインがトンな優しい言葉で
慰めても、

『いや、帰らない!』
の一点張り。泣きつかれて眠ってしまう頃にいつもアリオスが迎えに来て。
『ったく…しょうがねぇなあ』
 口ではそう言いながら、アンジェリークを背負うアリオスの瞳はいつも優しくて。翌日には仲のいい二人に戻っていた。
そんなときもあったのだ…と思いだす。

「そうじゃないの。あのね…こんなこと聞いてもいいのか分からないけど。でも、カインじゃないと……」
「アンジェリーク?」
「アリオスの昔のこと、知ってるのはカインくらいでしょう? ねぇ、どんな昔…だったの?」
「……」
 どう応えるものか、思案して、カインは言葉に詰まる。今まで、アンジェリークからこんなことは聞いてこなかった。
『聞こうとは思わないのですか?』
 そう訊ねたカインに以前アンジェリークは答えたのだ。
『だって…話さないんだもの。気になるけど…聞いちゃいけないことかもしれないし。だから、聞かないの』
 そうきっぱりと言い切ったはずなのに。なぜ、今、彼女は聞こうとするのか…と。
「何か…あったのですね」
 カインの言葉にアンジェリークの肩がピクンと反応する。
「どうして…アリオスは私を引き取ってくれたんだろう」
「アンジェリーク……」
「私、その理由、今も知らない。もし、アリオスが私を引き取ってくれなかったら、私、親戚の家をたらい回しにされた
かも知れない。見ず知らずの私にアリオスが手をさしのべてくれたから。私、今こうしていられる。でも、でもね。どう
してあの時、私に手をさしのべてくれたんだろう。私、アリオスのこと何も知らないの」

 一気に話してしまうと、少しだけ温くなったお茶を一口飲むが、その瞳には不安な色が映し出されたまま。
「それが理由だって言ったら、信じる?」
「……いいえ。それなら、とっくに私に訊ねてきたはずですからね」
「そっか……」
 アリオスほどではないが、カインもアンジェリークを見てきた人間である。彼女が嘘を吐いているかいないかくらい、
すぐにわかる。アンジェリークは、溜め息を吐く。

「そうよ。嘘。じゃあ、本当のこと言うわね。知らない人にね…アリオスの過去を知るって人にね、声をかけられたの。
その人、私に言ったわ。『あなたには“アリオス”と名乗っているんですね』って。私の知らないことを話してやるって
言ったのよ」

「…どこで、それを?」
「学校帰りよ。学校の近くでね。最初、怪しい人かと思ったわ。実際、怪しかったけど」
「……」
 カインの表情が一瞬強ばるのをアンジェリークは見逃さなかった。
「何か言われたのですか?」
「別に何も言われてないわ。でも、気になるから、聞きに来たの」
 明日に会う約束をしていると知ったら、きっとカインは止める…そんな予感がアンジェリークに本当のことを言うのを
躊躇わさせた。

「……。その男とは会う約束をしたのですか?」
「ううん。怪しい人だし」
「それならいい……」
 安堵のため息を漏らすカインにアンジェリークは胸が痛む。多分、それはアンジェリークにとってよからぬ者である
ことをカインが知っているからだ。

「あの方の昔のことは…あの方がいずれ必要になれば、話されます。それまで待ってあげてください」
「どうして? 私が知ったらまずいことでもあるの?」
「それは……」
 アンジェリークの真摯な瞳にカインの心がゆらぐ。だが、アリオスが話していないことを自分が話していいはずがないと
彼は思うのだ。二人がいるのは現在で。過去のことなど…必要ないのだ…と。だが、そんな彼の気遣いはアンジェリークを
苛立たせるだけだった。

「……もういいわ」
「アンジェリーク?」
「ごめんなさい。御邪魔しちゃったわね。もう、帰る」
 鞄を抱えて、部屋を飛び出したアンジェリークをあわててカインは追いかける。
「お待ちなさい、アンジェリーク!」
 だが、アンジェリークは振り返ることもなくて。冷めた紅茶だけが、室内にアンジェリークがいたことを表わしていた。
(様子がおかしい……。まさか、キーファーが……?)
 彼の危惧があたっているのならば、肝心なことはどこまでアンジェリークが本当のことを自分に話したか…である。もし、
キーファーと先に接触していたとすれば、今の自分の態度に不審を感じても仕方がない。

(しまった……!)
 遅すぎる自分の判断にカインは唇を噛む。

 嵐は少しずつ、近づこうとしていた。

ああ、とんでもないところまで来てしまいましたね。はぁ、無事に書き上げられるんだろうか、自信ない…。

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