「お体が治る前でゆっくりしてね。ここは私たち以外にはいないし」
「いえ。そういうわけには……」
いくら体調が悪くても、ひとつの場所に長居はできない。
「坊ちゃんには借りを作りたくはないですから」
「まぁ、お前の性格からすればそうだろうな」
「…わかっているなら、お暇させていただきますよ。助けていただいたお礼は言いますけど」
そう言って、まだふらつく身体をおして、白鳳が起き上がろうとすると、カナンは白鳳からスイを取り上げた。
「坊ちゃん?」
「悪いな、白鳳。今から、スイは僕の人質だ。返して欲しくば、素直に静養しろ」
にっこり笑ってそう述べるカナンにさすがの白鳳も唖然とした。
「あら、いい方法ね〜。まだ、熱もあるみたいだし。おとなしく人質になってくれる?」
リナリアまでもが、スイに話し掛け始める。これが天然なのだから、さらに厄介だ。
「そういうわけでな、スイ。これから、お前は僕の人質だ」
「きゅるりー」
兄の体調が悪いことをちゃんとわかっているスイはコクリと頷く始末だ。
「あら〜。あなたを大事に思ってるから、ちゃんと言うことを聞いているのね〜。じゃあ、人質は大事に扱わないとね。カナン、チーズケーキを焼いてあるから、食べていらっしゃい。その間、この人の面倒は見るから」
「姉上、それはちょっと……」
人質作戦を逆手に取られては困ると危惧するカナンに対し、リナリアはニコニコと笑っている。
「大丈夫よ」
何をもって大丈夫なのかと言い切れるのか。
「わかりました。おとなしくしますよ。女性に手を上げるほどは落ちぶれてはいませんから」
カナンに負けたわけではない。このニコニコとおっとりした女性を相手にはやりにくいと判断したからだ。暖簾に腕押し、ぬかに釘…というやつだ。打てば響くカナンの方がよほど扱いやすい。
「ね、カナン」
「わかりました。行こう、スイ」
リナリアに促される形でカナンとスイは部屋を辞した。
「ごめんなさいね、あの子は言い出したら聞かないから」
湯冷ましをコップに入れたものを渡しながら、リナリアは困ったように笑う。
「そうですね……。周囲は苦労してるでしょうね」
あえて反論はしない。事実なのは間違いがないのだから。
「でも、根はいい子なの。おこらないで上げてね」
「……はい」
悪気のない態度。目的のために手段を選ばない部分はあるけれど、今の場合は白鳳の身体のことを考えてのことだ。
「もし、あの子に借りを作るのが嫌なら、そうね。あなたは旅をしてるんでしょう? あの子に旅の話をしてあげてくれる? ここはあの子には退屈みたいで。毎日、こっそり森のほうに一人で冒険に行っていたみたいだから」
「はい、それはかまいませんが……」
なんと言ったらいいのやら。言葉を選んでいる白鳳にリナリアは言葉を続ける。
「あの子に心には翼があるから。だから、限りない空を追いかけちゃうのよ」
「……」
「だから、少しでも多くの話を聞いてもらいたいのよ」
「あなたは……」
言いかけた言葉を白鳳は飲み込む。気づいているのだろうか。カナンが王子だけで終わる道を選ばないことを。自由な魂がひとところに留まらないことを。
「私たちのご先祖様はね、旅をしていた人たちよ。色々な土地を巡って、堕天使を滅ぼして、私たちの国を築いたの。私たちの中にはその人の血がちゃんと受け継がれているのよ」
おっとりと笑いながら告げるリナリアに、白鳳は言うべき言葉が見つからないままだった。