夕食後は食後のコーヒーと共に、リュミエールのハーブに耳を傾ける。それがクラヴィスの習慣であった。それは長い間
変わることのないもの。今でも、だ。ただ、今は小さな天使が彼の膝の上に鎮座している。最初はクラヴィスと共におとなしく
聞いているのだが、夕食後でおなかが一杯のところに穏やかなハープの音色。いつしか、すやすやと眠りに落ちてしまう。
「……」
起こさないように抱き上げると、揺籠にそっとアンジェリークを運ぶ。
「この方がいると、それだけで幸せになれる気がするのですよ」
穏やかに微笑するリュミエール。この小さな天使がクラヴィスの前に現れることによってもたらされた変化はどれも好ましい
ものばかり。隠者のごとくのようだったクラヴィスの生活が少しずつではあるが、明るくなってきている。以前は締め切っていた
カーテンを開けるようになったのも、庭で遊ぶアンジェリークの姿を見るためだ。楽しそうに庭を飛び回る小さな天使を彼もまた
どこか楽しそうなのだ。時々、庭に出るようになったのも、そのためだ。仕事以外では外に出ることがなかった頃に比べ、かなり
の進歩である。
(それに私も楽しい日々になりましたからね)
今まで、あまりの生活への関心のなさを見兼ね、リュミエールが何かと、クラヴィスの面倒を見てきたが、小さな天使が彼ら
の前に現れてからは、天使が中心の毎日になった。
すっかり、クラヴィスに懐いてしまい、彼の膝が指定席になって。食に関心がなく、あまり手をつけたがらなかったクラヴィスが
きちんと食事をとるようになったのも、大きな進歩だ。食べないと、アンジェリークが瞳を曇らせ、心配そうな顔をしてしまうのだ。
「食べればいいのだな?」
小さな天使にそんな顔をされてしまうのは困るので、苦笑混じりながら、きちんと食事を取るようになった。自分に懐いてやま
いアンジェリークの面倒を見ているうちに少しずつ生活に潤いを見いだしたのだろうとも、リュミエールには思える。
愛らしい天使はその存在だけで、周囲を幸せにできるのだ。
もちろん、クラヴィスだけでなく、リュミエールもアンジェリークを気に入っている。クラヴィスに光をもたらせたということだけで
はない。小さな身体で精一杯、動き回るアンジェリークはとても可愛い。お気に入りのお菓子をあげると、満面の笑顔で感謝と
喜びの意を伝え、抱き付いてくる。花や蝶と戯れる姿の愛らしさに何度スケッチブックを開き、その姿を写しとっただろう。スケッチ
ブックの数だけ、アンジェリークの愛らしさがあるのだ。
「だが、いつまでも、このままというわけにはいくまい」
「クラヴィス様?」
揺籠の中の天使から、視線を外すと、クラヴィスは窓から、空を眺める。
「天使にはそれに相応しい場所があるのかもしれぬ……」
「それは昼間のお客様のことですか?」
リュミエール自身は気配を感じることはなかったのだが、クラヴィスが感じとった人間とは違う気配。アンジェリークの持つ
それに似ていたと言う。
「人の家を無断でのぞいてくるような人が住む世界が、ですか?」
さりげないを通り越して、刺がたくさんあるその言葉には苦笑するしかない。昼間も思い切り勢いよくカーテンをしめていた。
「様子を観察したかったのだろうな」
恐らくは異界に住む存在である。人間の世界に、仲間が身を置いていると知れば、心配でならないのだろうと容易に想像が
つく。
「今更、アンジェリークを迎えに来たとでもいうのでしょうか……」
「さて、な……」
気紛れに水晶球が映しだした青い薔薇が示した意味はこのことだったらしい。
「もし、そうだとしたら、何か手を打たないと……」
今更、何の権利があるというのか。生まれたばかりの小さな天使を広い、育て、何よりも慈しんでいるのは、クラヴィスである。
(生活の世話はリュミエールであるが)
「その必要はない……」
「クラヴィス様?!」
「大切なのは、アンジェリークが幸福であることだ……。違うか?」
小さな天使の瞳が悲しみに曇ることがあるのなら、手放しはしない。だが、アンジェリークがそれを望み、幸せになれるのなら、
止める権利など、クラヴィスにあるはずもなく。その手を離さねばならないのだ、と。
「本当にお優しい方ですね……」
すべてはアンジェリークの幸福のためだというその言葉は、アンジェリークを本当に愛しんでいるからだ。それが痛いくらいに
わかるからこそ、何とか手はないかと、リュミエールは考えるのだ。
(せっかく、毎日を明るく過ごせるようになったというのに……)
小さな天使のもたらした細やかながも、楽しい日々。それを取り上げる権利など誰にあるというのか。
(やはり、対策を考えましょう……)
穏やかな顔の奥底で色々と策を巡らせてゆく。アンジェリークが眠っている時に話を振ったのはまずかっただろうかと思いつつ、
止めもしないクラヴィスであった。
案外、いい性格をしてるのかも、このクラヴィス……。
|| < Growing up > || < 11 > || < 13 > ||