例えばこんな夜に


例えば…旅の途中ではこんな夜もあったりする…。

 ピチョン…暖かなお湯の中で、アンジェリークは全身を伸ばす。
「気持ち良い……」
 紅葉の村に立ち寄った時、その村の老婦人から手紙を届けるように頼まれた。気分転換に…と、引き受けると、
老婦人はぜひ、自分の家で一泊するように申し出てくれた。質素ながらも、厚いもてなしは旅に疲れた彼らには
心地よいものだった。

 夕食を終えると、あとは休息の時間。それぞれの部屋に引き上げようとすると、老婦人がアンジェリークを手招き
する。

「何ですか?」
「この近くに温泉が湧いてあるんだよ。旅の疲れをとるにはちょうどいいよ。もし良かったら、入って来るといい。あ、
男の人たちには内緒だよ。のぞかれたら、困るだろ?」

 からかうような老婦人の言葉にアンジェリークは苦笑する。
「ありがとうございます」
 それでも、ちゃんとお礼は言うアンジェリークなのであった。

 そして、夜も更けた頃。老婦人の言葉通りに村の外れには温泉があった。今の時間は利用する人間もいない
らしく、独占状態である。温度を確かめてみると、ちょうどいいくらいの温度である。

 ピチャン。軽く水音をあげて、アンジェリークは温泉につかる。適当な温度のお湯にアンジェリークの身体から、
疲れが取れていきそうな感覚をもたらせる。

「ふぅ……」
 全身、お湯に委ねると、睡魔に捕われていきそうな気がする。とても危険な兆候であるが、誘惑に勝てそうもない。
「気持ち良い……」
 つい…うとうとと寝てしまいそうになる。何度も首を振るが…だんだん思考が麻痺してゆく。そして…いつしか、
意識が溶けていった……。


「!」
 息をした瞬間、口の中にお湯が入る…その感覚に、アンジェリークの意識は浮上した。あまり感心できない癖、
風呂の中で寝る癖…である。

「また…やっちゃった……」
 小さくあくびをして、アンジェリークは大きく伸びをする。ずいぶんつかってしまっている。これ以上つかると、湯
あたりしそうだ。

「あがろう……」
 近くにおいてあるバスタオルをとろうとすると…
 ガサ! 木々のざわめく音。アンジェリークは身をすくめる。村の近くでもモンスターが発生している話も聞くので、
念のために護身用に“蒼のエリシア”は持ってきている。音のしたほうに構えると出てきたのは意外な人物であった。

「アンジェリーク……?」
「アリオス……」
 一瞬固まるアンジェリーク。一応、タオルを前にしているので、ある程度は見えない。だが…見えるものは見えて
しまうのだ。

「キャー!」
 ザブンとお湯に飛び込むアンジェリーク。水しぶきがあたりに散乱してしまう。
「な…なんで、アリオスがここにいるのよ……」
「知るかよ。俺が歩いてたら、水音がしたから、ここに来ただけだろうが」
「じゃあ、早く行ってよ。私、上がるんだから」
 見られてしまったショックはかなり大きくて、錯乱しているアンジェリークにアリオスは溜め息を吐く。
「安心しろよ。ない胸に欲情するほど、飢えちゃいねぇ」
 その言葉にアンジェリークは振り返って、アリオスをキッとにらむ。
「ない胸って…どういう意味よ」
「言葉通り…だが」
「ひどい!」
 ザブン、と派手な水音を経てて、アンジェリークは立ち上がる。だが…次の瞬間……。
「え……?」
 急速に血が下がってゆく感覚。そして、暗転する世界。
「おい、アンジェリーク!」
 アリオスの声をどこか遠くに感じたまま、アンジェリークは気を失った。

 ピチャン。濡れたタオルの感触に覚醒を誘われる。
「あ……」
 瞳を開けると、そこにはアリオスの姿。
「私……」
「バカか、おまえ。湯中りするまで入るなんて……」
「う……」
 その言葉にアンジェリークは必死で状況を判断する。ここはアンジェリーク用にあてがわれた部屋。毛布の下の
自分の身体にはバスタオルが巻き付けられている。

「アリオス…が?」
「仕方ねぇだろうが。気を失ったおまえをほっとくのか?」
「う……」
 反論できない自分が悲しい。確かに豊満とは言いがたい身体ではある。だが、それを揶揄された人物に見られた
のは…やはり複雑なものがある。

「ほら。氷水」
「あ…ありがとう……」
 喉を通ってゆく冷たい水にだんだん思考が冷静に戻ってゆく。よく考えなくても、アリオスは助けてくれたのだ。
それを恨みがましく思うのはやはり問題であろうと。

「ごめんなさい……」
「……何が?」
「いいの、ごめんなさい」
「変な奴だな。」
 苦笑交じりのアリオスの言葉。
「じゃ、俺は部屋に戻るからな。おまえもさっさと着替えるんだな」
「え…もう?」
 よく考えてなくても、今は深夜ではある。そろそろ寝なければ、明日に差し支える。けれど…もう少し、アリオスと
いたかった。

「バーカ。俺だって男だぞ」
 ツンとアンジェリークのおでこをつつくアリオス。
「気になる奴の裸を見て、冷静にいられるほど紳士じゃねぇんだよ、おれは」
「え……?」
 その言葉の意味を掴み切れないアンジェリークにアリオスは苦笑する。そして、唇に掠めるようなKISSを送る。
「……?」
 途端にアンジェリークの頬は紅潮する。
「わかったか、バカ」
 それでも、呆然としたままのアンジェリークの頭を撫でてやる。
「じゃ…お休み」
「お休みなさい……」
 パタンと閉じられる扉。アンジェリークは自分の唇を押さえる。胸がドキドキ、する。
「アリオスのバカ……」
 耳まで真赤に染めて、アンジェリークは自分の唇を押さえる。さきほど、アリオスの唇が触れた場所、だ。
 切ない思いが心を支配する。けれど…嫌な感情ではなくて。枕を抱えたまま、この不可解な感情と格闘するアンジェ
リークであった。

温泉ネタでございます。去年の九月に出したコピー本から。うちのアリオスがくだけたのって、この辺からかなぁ…。

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