One more
履きなれないパンブス姿の自分を鏡に移して、アンジェリークはため息をつく。淡い桜色のそれは彼女が今着ている
若草色のワンピースによく似合っている。
17歳の誕生日に両親から送られたパンプスをアンジェリークは今まで履かないままでいた。何となく、自分にはまだ
早い気がして。だが、女王試験のために飛空都市に行くことが決まり、履かないままのそれを何故か持ってきてしまった。
「なんだか、ちょっとだけ目線が高いのかな」
慣れない踵の高い靴では何度も躓きそうになる。だが、彼女がこのパンブスを履く気になったのには理由があった。
「あ、そろそろ、出かけなきゃ」
時計を見ると、そろそろ出る時間。アンジェリークは慌ててドアまで駆けてゆく。だが、扉を開けた瞬間、バランスを
崩してしまう。
「きゃ…」
そのまま地面とキス…と思いきや、支えられる。
「何をしている…」
「クラヴィス様…」
自分を支えているのがクラヴィスの腕と気づき、慌ててアンジェリークは態勢を戻す。
「おはようございます、クラヴィス様」
にっこりと笑顔を向けるアンジェリークにクラヴィスは微かに笑みを浮かべる。
「約束の時間には間に合ったな」
「はい。お迎えに来ていただけて、嬉しいです」
「気が向いただけだ…」
「でも、それでも、私は嬉しいです」
ニコニコと向日葵のような笑顔を向けられれば、クラヴィスとてかなうはずもない。そうでなければ、日の曜日に
わざわざ約束してまで、この少女と会うなどしない。
「…今日は?」
言葉少ないクラヴィスの言葉。
「そうですね。森の湖でお散歩しましょう」
「そうだな」
二人並んで、森の湖に向かう。その途中、アンジェリークはチラリと隣のクラヴィスを見つめる。パンブスを履こうと
思ったのはこの青年の背がとても高すぎて。いつも見上げているから。少しでも近い視点になりたくて。
「どうした?」
「い、いえ。なんでもありません」
慌てて首を振る。こんなことを考えていたと知ったら、きっと呆れられてしまう。決して、口には出来ない。
いつも恋人たちでにぎわう森の湖には今日に限って誰もいない。二人っきりの空間。
(うう、何話そう…)
庭園は騒がしいから嫌うだろうと、静かな森の湖を選んだのだが、いざとなると沈黙が重すぎる。
「ねぇ、クラヴィス様……」
それでもなんとか話題のきっかけを作ろうとアンジェリークがクラヴィスに話し掛けようとする。だが、慣れない
ヒールで足元の石にバランスを崩してしまう。
「キャ…!」
「アンジェリーク!」
今度はクラヴィスの腕は間に合わず、見事に転んでしまう。
「大丈夫か?」
差し伸べられた腕をとって、立ちあがろうとするアンジェリーク。だが、
「痛!」
立ちあがろうとして、不意に顔をしかめ、足首を押さえる。
「くじいたようだな」
赤くはれた足首を見て、クラヴィスが冷静に告げる。
「ごめんなさい…」
せっかくの休日がこんなことで不意になって、しゅんとするアンジェリーク。
「慣れぬ靴を履くからだ…」
「ごめんなさい…」
ますますもって、落ち込んでしまう。涙まで出てきそうになる。
「今度は足場のいい場所で履くことだな」
「今度って…?」
「お前さえ良ければ…の話だ」
「それって…」
瞬きして、その言葉を反芻する。次の瞬間、落ち込んでいた顔に光が戻る。
「わかりました。また、お願いしてもいいんですね」
「足が治れば…考えぬこともない」
「はい」
嬉しそうな表情。その表情が見たくて次の約束を告げてしまった自分自身にクラヴィスは苦笑する。
「では、とりあえず、足の治療だな。靴を持っていろ」
「は、はい」
言われるままにパンプスを持つ。すると、クラヴィスはアンジェリークを抱き上げる。
「く、クラヴィス様?」
「歩けぬのなら、おとなしくしていろ」
「でもでも、私、重いですよ〜」
「これで重いのなら、私はかなりの力持ちになる…」
アンジェリークが慌てるのにもかまわず、すたすた歩き出すクラヴィス。
(ふぇーん…)
思ってもいなかった展開にすっかりアンジェリークはパニックになっている。だが、ふとした瞬間に気づいてしまう。
(あ、クラヴィス様の視線に近い…)
抱き上げられた態勢なので、当然、視線の高さはクラヴィスに近くなる。そのことがなんだか嬉しくなる。
「どうした?」
「いえ、なんでもないんです」
そう言いながらも、嬉しそうな表情を見せているアンジェリークにクラヴィスは微かに戸惑った顔をする。
(少しずつでもいいから、同じ視点になりたいなぁ)
桜色のパンプスを見て、クスリと笑う。足は少し痛いけれど、幸せな日の曜日をアンジェリークは過ごしたのであった。
こういう話もいいかなぁ…と。でも、これのジュリアスバージョンとか、ゼフェルバージョンを夢見る私って一体……。
しかも、何故か、ルヴァ様とは思いつかない…。