lipstick
「ホワイトデー?」
レイチェルの告げた言葉を聞き返すアリオス。その彼の様子に軽くため息をつくレイチェル。それは諦めのため息。
(バレンタインも知らないってったっけ…)
何故、自分がここまでしてやる必要があるのだろう…とは思う。だが、彼の愛する恋人はレイチェルの大切な親友である。
彼女の悲しむ顔は見たくない。笑顔の方がいい。彼女を誰よりも幸せに出来るのは悔しいけれど、彼だから。
「あのね、ホワイトデーって言うのはね…」
まるで小さな子供に説明するように、懇切丁寧に説明してあげるレイチェルはやはり有能な女王補佐官なのであった。
それから数日後。やはり1ヶ月前ほどではないが、それなりに浮き足立っている聖殿の中で、アンジェリークは書類に
目を通していた。
コンコン。ノックの音に顔を上げる。
「俺だ」
扉の向こうからのアリオスの声。
「アリオス?」
「入るぜ」
「う、うん」
ガチャリと扉を開けて入ってくるアリオスにアンジェリークは立ちあがって迎え入れる。
「どうしたの、この時間は剣の訓練でしょ?」
「浮き足立ってる連中を相手にしても仕方ねぇだろうが。怪我するのがオチだ。だから、今日は早めに切り上げたんだ」
「そうなの」
こともなげに答える少女にアリオスは苦笑する。やはり期待などしてなかったようだ。まぁ、バレンタインを知らなかった
自分がホワイトデーを知るはずもないと思ってのことだろうが。そういう意味では、レイチェルに感謝した方がいいのかも
しれないとすら思ってしまう。
「で、俺も便乗させてもらったわけだ」
「え?」
「手、出せよ」
戸惑うより先に右手を取られる。
「やるよ」
ポンとアンジェリークの手のひらに置かれたのは、小さな長細い箱。
「アリオス?」
「今日はそういう日なんだろ? 生憎、俺はあまったるい菓子なんざ買う気にもなれなくてな」
「今日、ホワイトデーって、知ってたの?」
「まぁ…な」
闇に伏せておいてもいい真実と言うものもある。
「開けても、いい?」
「お前にやったんだから、好きにしろよ」
「うん」
中から出てきたのはリップスティック。鮮やかでな真紅。
「これ……?」
「お前に似合うと思った」
「自分で買ってきたの?」
「ああ、お前に似合いそうに色を選ぶんだからな」
「……」
ある意味、お菓子を買うよりずっと恥ずかしいはずである。どんな顔をして買ったのだろうかと思いはするが、彼の場合、
酒を買うように自然に手にとっていたのかもしれない。何よりも大切な彼の“天使”の為なのだから。
「でも、私にはちょっと大人っぽいかも」
鮮やかなルージュの色は少女が好むものより、大人びていて。少し、ためらってしまう。
「つけてみろよ。似合うと思ったから、買ったんだ」
「う、うん……」
それでも、彼の言葉に逆らえなくて。というより、自分には大人びていると思った色のルージュを似合うと思って買ってくれた、
そのことが嬉しくて。年上の彼に少しでも近づきたい、いつも、そう思っているから。
恐る恐る、つけてゆく。鏡に鮮やかなルージュが唇にのせられる。映っているのは確かに自分の顔なのに。何だか、別人の
ようで。
「あの、変じゃない?」
内心ドキドキである。自分が自分でないような、そんな感じ。ジッと見つめるアリオスの瞳が怖い。やっぱり、似合わないん
じゃないか、そんな不安。
「あの、アリオス……?」
返事がないと言う事はやはり似合わないのだろうかと、不安に心がゆれる。そんな少女の不安に気づき、アリオスはそっと
少女に頬に触れる。
「ああ、悪ぃ。思ってたより、お前に似合ってんだからな。驚いた」
「本当……?」
ジッと見上げてくる少女の顔は不安に彩られたまま。その中で、ルージュがひかれた唇がどこか、艶めいて見えて。
「ああ、証拠を見せてやる」
「え……?」
戸惑うより先にふさがれる唇。羽のように優しく、フワリ…としたくちづけ。
「似合いすぎて、キスしたくなるくらいに…な」
その言葉にルージュの色以上に少女の頬が染まる。その様子を見て、アリオスがこらえきれないように笑っている。何だか、
とても悔しい。
「ねぇ、アリオスにもつけてあげる」
「おい」
拗ねたように見上げる少女の瞳は本気の色。とっさにルージュを取り上げてしまう。からかいが過ぎたのは認めはするが、
してやられるほど、彼は優しい性格ではない。
「これで、つけらんねぇな」
「…わからないわ。こうすればいいもの」
そっと少女が背伸びをする。腕を伸ばして、青年を引き寄せる。
「アンジェ……?」
互いの唇の距離が近づいて行く中で、ゆっくりと閉ざされる少女の瞳。重ねられる唇。
「どう……?」
自分からしかけたことに真っ赤になる少女にアリオスはクスクス笑う。少女からの精一杯の背伸びのキス。たった1本の
リップスティックは彼女を少しだけ大胆にする魔法をかけたようだ。
「フン、まだ完全についてねぇな。もっと、つけてみろよ」
グイッと少女の背に手を回し、耳元で囁きかける。アリオスの服のすそを掴んで、きっとアリオスを見つめる少女の潤んだ
瞳。この瞳が彼をいつも捉えて止まない。そして、今日は彼が送ったルージュをのせた唇が彼を誘っている。その誘いに応
じるように、再びアリオスはアンジェリークに口づけた。
ホワイトデー創作です。アリオスが買いそうにない、意外性のあるものを考えてみたら。キスしたくなる唇って、いいなと
思ったので…。誰か、この男を止めてやってください。
|| <Going my Angel> ||