微熱

 足に力が入らない……。
 今にして思えば、あれが徴候だったのだ。ベッドの中に臥しながら、アンジェリークはそんなことを考えてしまう。
 それは木の曜日から始まった。何でもないところで躓いたり、よろけたり。足元のごみ箱につまづいたり。いつもよりも頻度の
多いそれに慣れているはずのレイチェルも流石に心配してきた。

 翌日の金の曜日。熱を計って見ると、6度9分。
「微妙だね」
「うーん……」
 微熱と言えば微熱。だが、アンジェリークの平熱は低い。微熱とは言い難い。
「今日は大人しく寝てた方が……」
 女王補佐官ではなく親友としての忠告。
「大丈夫よ」
 何が大丈夫なのか。何の根拠もないままにアンジェリークはアルカディアの育成に行ってしまった。
 育成や学習まではまだよかった。問題は王立研究院だった。様々な機械が置いてある関係で、王立研究院の温度設定は低く
保たれている。機械には適温なそれは人間には肌寒い。

「入れ換えをお願いします」
 そう依頼して、何処を入れ換えるのかを決めたり、実際に入れ換えたり。かなりの時間を過ごしたためか、半袖のワンピースと
いう出で立ちのアンジェリークは悪寒を抑えるのが精一杯という状態に陥っていた。

「大丈夫ですか、アンジェリーク?」
 悪寒を隠そうとはしても、顔色の悪さはどうにもならない。暖かなお茶を飲ませてもらい、エルンストに送ってもらう羽目になった。
「すみません……」
 エルンストの手を煩わせてしまったことが申し訳なくて頭を下げるしかない。
「いえ、こちらこそ、体調が悪いのに気付かずに……」
 謝り合戦だ。だが、体調が悪いのに、寒いと判っている場所に上着も持たずに出向いた自分が悪い。生真面目で責任感の強い
エルンストに余計な気を使わせて、非常に申し訳ない気分になるアンジェリークであった。



「だから、言ったのに! アナタって人は!」
 館に戻ると、案の上、レイチェルに叱られる羽目になった。エルンストが叱られるよりはマシだから、と甘んじてそれを受けるしか
ない。

「アナタの大丈夫は金輪際信用しない!」
 あまりにもな言い方であるが、自分を心配しての言葉だとは判っている。
「ごめんね、レイチェル……」
 自分の身体を過信しすぎたせいであるのが原因なのだ。謝るべき所は謝るしかない。
「これに懲りたら、無茶しないでよ」
 自分より年下なのに、まるで母親のような口ぶり。それが何だかおかしくて互いに顔を見合わせて笑う二人は箸が転んでも可笑
しい年頃なのであった。



 翌日、土の曜日の定期審査は熱の下がらないアンジェリークの身体を気遣い、お見舞いがてらだと金の髪の女王とその補佐
官であるロザリアがアンジェリークの館で行ってくれた。恐縮するアンジェリークに金の髪の女王は穏やかに首を振る。

「駄目よ。我慢は美徳ではあるけど、無理は禁物。大事にしなきゃ」
と、逆に窘められてしまう。お見舞いに、と持って来てくれたのはフルーツゼリーで。熱がある身体には最高の贈り物だった。


 翌日の日の曜日である現在。やはり状態は変わらない。熱のけだるさと足に力が入らないのと。疲労からだろうと診断された。
「今日一日は大人しくしてること! 誘いに凝られる方が来ても断るから」
 そう言い渡されて、ベッドの中の住人と化してしまったのだ。そして、今に至る。
(今日も待っててくれてるのかなぁ? それだったら、なんだか悪いかも……)
 そう言えば、木の曜日にふらついていたのを見て、心配してくれた。察しの良い彼のことだ。気付いているだろう。
(何かそういうのも淋しいなぁ……)
 そんなことを考えながら、アンジェリークはいつしかまどろみの中に落ちていった。


 大きな手が頭を撫でてくれている…、その感覚に誘われ、目を開けると、金と緑のオッドアイと目が合った。
「アリオス……」
 ぼんやりと見上げていると、アリオスはアンジェリークの顔を覗き込んで来る。閉めていたはずのバルコニーが半開きになって
いるところから、そこから入ったのだろう。

「どうだ、気分は?」
「……まだ、足に力が入らないみたい」
「まだ、熱があるんだな……。メシは?」
「朝にゼリーを一つ……」
 叱られるとは思ったが、喉越しのいいものしか食べたくないのだ。だが、アリオスの反応は意外なものであった。
「じゃ、これなら食えるか?」
「え?」
 身体を起こして、差し出された箱の中を見ると、中にはプリンが入っていた。
「わぁ……」
「一応、卵も牛乳も入ってるし、病人食にはなるだろ?」
 そう告げるアリオス。一体、どんな顔をして買ったのだろう。それが気になるが、下手に聞いて機嫌を損ねるより、素直に好意に
応じた方が良い。

「ありがとう、アリオス。食べてもいい?」
「そうしてもらわねぇと困るな」
「うん」
 口にしてみると、とても甘くて、美味しくて。幸せな気持ちになる。
 治ったら、このプリンをレイチェル達と食べようとそんなことを考える。
 何となく幸せな気分に包まれながら、再びベッドに横になる。
「ありがとう、アリオス」
「馬鹿。病人は治ることだけを考えてろ」
 ぶっきらぼうに頭をなでられる。けれど、それが何だかとても心地よくって。アンジェリークは満面の笑顔をアリオスに向けた。

熱が続いて、一週間以上にはなるんですけど。いまだに下がりません。で、床に伏せながら、携帯で書いたのです。ゼリーやヨーグルトは
買ってきてもらえたんですけど、私はプリンが食べたかったので……。