一つの願い
広い花畑に1本だけたたずむ大樹。森に続く小道。それがこの約束の地にあるすべて。余分なものは何もない。だからこそ、
この場所はアリオスの気に入る場所であった。一人になって、色々と見つめる事が出来るから。
「アリオス〜」
毎週、火の曜日と木の曜日の昼間、この場所を訪れる彼の天使。記憶がなかった時も、記憶を取り戻した今も、この時間は
彼にとって、大切なもの。本来なら、許せるはずのない存在である自分をそれでも必要としてくれた。馬鹿がつくくらい、頑固で、
意地っ張りで、我が強くて。自分の意志を押し通そうとする。だが、それこそが彼にはない強さだった。だからこそ、彼の闇に光を
灯すただ一人の存在になりえたのだ。
何故、今、二人が出会ったのか。それはわからない。不思議な力で導かれた…と少女は言った。アリオス自身も何故、ここに
いるのか判らない。ただ、思うことは、この少女に出会わなければ、自分自身のことを思い出せなかっただろうということ。
「来やがったな……」
口元が緩む。この時間をどれだけ楽しんでいるのか、自分自身でもわかっている。幸い、かなり鈍いこの少女は気づいていない
ようだが。
「あのね……」
アリオスに会えて嬉しい…と、満面の笑顔の少女。この時間がずっと続けばいい…そうアリオスは願わずにはいられなかった。
そして、幾度目かの火の曜日の午後。約束の地の大樹の下でアリオスは空を眺めている。
「遅い……」
いつもなら、この時間にとっくに来ていてもおかしくないのに、アンジェリークは現れない。本来の女王のなすべきことで来れ
ないのかも知れない…と、思おうとするが、嫌な予感がする。
『私、やることはちゃんとしてるもん。見せてあげられないのが、残念』
アリオスと会う時間を大切にしたいから…にっこりと満面の笑顔で語ったのだ。実際、育成や学習でこのアルカディアを走り回
っている様子を何度か見かけたことがある。小さな身体で精一杯頑張っている様子。彼女は女王なのだ…と改めて痛感した。
しばらく空を見上げていると、ようやく少女の姿が見える。だが、少女は一人ではなかった。金の髪に褐色の肌、菫色の瞳の
少女。アンジェリークがいつか語ってくれた女王補佐官であろうと、アリオスは判断し、とっさに木の陰に身を隠す。
「ね…アンジェ、何か思い出せない?」
「ごめんなさい…レイチェルさん。判らない……」
「謝らないで。責めているわけじゃないんだから……」
瞳を伏せる栗色の髪の親友にレイチェルは何もできない自分自身に苛立ちを感じる。
「ただ、アナタがここをよく訪れていたから、何か思い出せないかなぁって、思っただけだから」
「私がここを?」
「そうだよ。火の曜日と木の曜日。そして、お休みの日の曜日。ほかの方にどんなに誘われても、応じないアナタが、だよ?
よっぽど大事な用事が会ったんでしょ?」
今朝、目覚めてみれば、何もかもが判らなくなっていた。自分の名前すらも思い出せない状況で。親友だと言うレイチェルが
言うには、自分は宇宙の女王で大事な責務のためにここにいると言う。だが、何もかもを思い出せなくて。
(……俺のせいか?)
レイチェルの声はよく通るので、嫌でも聞こえてくる会話。記憶を無くしているらしいアンジェリークの様子。何もかもを忘れて
いる。アリオスのことすらも。
「……でもね」
アンジェリークの声が聞こえる。
「ここに私、来たかったってこと、わかるの。待ってる人がいるの……。私がずっと待ってた人が……」
「アンジェ……」
瞳から零れ落ちる涙。無意識に少女が求めているのは……。
フワリ…不意に、羽根が舞い降りるような幻影。そして、次に見えるものは……。
(何だ、あれは……?)
神秘の光に包まれた青年が姿を現す。
「エルダ……」
レイチェルが青年の名を呼ぶ。アンジェリークの前に時折、姿を現し、アンジェリークの声にのみ反応する謎の存在。そう、
アリオスも聞いた。
“女王よ……”
エルダはそっとアンジェリークに手を伸ばす。アンジェリークはされるがまま。長い指が少女に髪に、頬に触れる。
「あなたは私を知ってるのね……。私もあなたを知ってる…懐かしい……」
アンジェリークは無邪気にされるがままになる。誰よりも懐かしく感じるその存在に安心できる。ようやく安堵の表情を見せた
アンジェリークにレイチェルは溜め息を吐く。エルダの正体は未だ謎のままで、簡単に近づいていいのかどうか判らないけれど。
アンジェリークがここを許せるのだ。こんな記憶がない状態でも。信用しないわけにはいかない。
“しばらく…あなたの時間を私に預けてください……”
「……何のこと?」
“……”
無防備に首を傾げるアンジェリークにエルダは応えず、姿を消してしまう。
「何の話なんだろう……?」
「……とりあえず、陛下に報告しよう。戻るから、ね」
「ん……」
レイチェルに促されて、アンジェリークは約束の地を後にする。最後に、一瞬だけ、大樹の方を振り返りながら……。
「何だよ、あれは……」
アンジェリークたちが去ったのを確認すると、アリオスは苛立たしげに木に拳をぶつける。躊躇いもなくアンジェリークに触れた
エルダ。簡単に触れさせたアンジェリーク。自分以外の男に、だ。
(あんな顔…俺だけに見せてればいいんだよ……)
誰でも簡単に信用する少女。傷つくことが判っていても、それをやめようとしない。その甘さが命取りになる…そう告げたことも
あった。自分以外の男が彼女に触れることを許せない。それは確かな独占欲と嫉妬。それを認めてしまったアリオスと、唇を痛く
噛み締めた。
そして、二日後の木の曜日。アンジェリークは一人、この約束の地を訪れた。
『今のところ育成も順調すぎるほどだし。多少の遅れは取り戻せるわ。何より、焦るのも良くないわ』
金の髪の女王は無理に記憶を戻すまねをしなかった。彼女自身、何かを感じている様子で。この数日、守護聖や協力者たちが
引っ切りなしに訪れて、いろいろと優しくしてくれて。早く記憶を取り戻さなければ…と焦っていた。だから、その言葉で少し、楽に
なれた気がした。
「本当に一人で大丈夫?」
レイチェルが心配げに聞いてきたけれど。
「ごめんなさい……。一人で行きたいの」
そう告げて、一人で来た。ここは彼女にとって、大切な場所。記憶がない今でも、そう感じていたから。
広い花畑。一本の大樹。その前にたたずむ青年。狂おしい瞳で見つめてくる。知らないはずなのに、どこか懐かしい眼差し。
アンジェリークはゆっくりと彼に近づく。
「……こんにちは」
その言葉にまだ記憶を取り戻していないことに気づき、アリオスは眉を顰る。
「用が無いなら、帰れよ。あんたは俺を知らないはずだろう?」
口調がきつくなっている、その自覚はある。
「……でも、ここに来なきゃいけないって思ったの。あなたを見たら…あなたに会わなきゃって、思ったの……」
ポロポロと少女瞳から涙が零れ落ちる。
「お、おい。泣くなよ……」
泣かせるつもりなどあるはずがなく。ただ、あの時の無防備な表情が未だに心に残っていて。
「何も判らないの……。皆さん、親切にしてくれるのに……。思い出さなきゃって、思うんだけど……。この間ここに来た時、私、
ここに来たかったことだけは判ったの。きっと…あなたに会いたかったんだわ……。なのに、そんなことすら思い出せなくて……」
記憶が戻らないことへの焦り…それが彼女を追いつめている。
「馬鹿……。そんなことで泣くな」
「……?」
キョトンと見上げてくる瞳は無防備で。何もかもさらけだしていて。出会った時から、何も変わらない。彼だけに見せる瞳。
「ゆっくりと思い出せばいい。俺は待っててやるから。おまえがそうしてくれたように…な」
「私…が……?」
「ああ。もし、思い出せなくても、俺がおまえを守ってやる。おまえ一人で何もかもを背負う必要ない。俺はそのためにおまえの
傍に居る……」
そっと腕の中に閉じ込める。この天使を守るために…今、ここにいる。今、はっきりと自覚したこと。あの旅の時もそうだった。
アリオスの前でだけ、自分をさらけだしていた。
「ふぇっ……」
腕の中で泣きじゃくる少女。無意識の重圧に必死で堪えていたものが、堰を切ったように流れ出す。それを受けとめてくれる…
それが目の前の彼。憶えてなくても、知っている。こうやって、彼は支えてくれることを。
“女王よ……”
不意に聞こえてくる声にアリオスはアンジェリークを抱きしめる腕の力を強める。
目の前に現れたのはこの間の青年。
「エルダ……?」
穏やかな瞳でエルダはアリオスとアンジェリークを見つめる。
“あなたが幸せになれるのなら…私は彼を許せる……”
「……何の話?」
“あなたが愛する人ならば……。どうして、祝福できないはずがあろうか……”
エルダの中から、弾ける光。まぶしさに瞳を閉じる。そして……。
「……私、一体……?」
「アンジェ?」
自分の状況が判らず、戸惑っているアンジェリーク。エルダは静かに告げる。
“いずれ…時が来ます……。試すようなまねをして、申し訳ありませんでした”
「……何の話なの、エルダ?」
“あなたが何を捨てても選ぼうとした男を…見たかっただけ……。あなたの傍に居るのに値する存在かどうか……”
そう告げると、エルダはアリオスを見つめる。それはまるで見守る者のような瞳で。アリオスは戸惑う。どこか、アンジェリークの
眼差しに似ているのだ。崇高な女王の瞳に……。
“どうか……”
最後の言葉は風に消えてしまう。そして、エルダの姿も。
「どうして…エルダがこんなところに……? それに、私、ベッドで寝ていたはずなのに……」
「アンジェ?」
会話が噛み合わない。ふと、アリオスは一つのことに思い当たる。
「おまえ、記憶が戻ったんじゃ……?」
「記憶って…何のこと?」
「……一から話してやるよ」
淡々と話すアリオスの話の内容にアンジェリークは顔が真っ青になる。
「……結構、大変だったんだ。って、大変じゃない。やーん、早く戻らなきゃ!」
今までの育成の遅れを取り戻さなきゃ…と焦るアンジェリークをアリオスは自分の腕の中に閉じ込めてしまう。
「あ、アリオス〜」
「心配かけた罰だ。今日は俺につきあえ」
「……そんな」
アリオスの力に逆らえるはずもなく、おとなしくアンジェリークはされるがままになる。
「俺以外の奴に、あんな顔見せるなよ」
「何の話よ……」
「いいから、うんと言え」
「う、うん」
わけが判らないままに頷く。何をそんなに怒っているのだろうとおもうけれど。この腕の中はとても心地よくて。離れたくない…と
思うから。おとなしく、されるままになるアンジェリーク。穏やかな風が二人を包み込んでいた。
深い闇の中。エルダは思いを馳せる。アンジェリークの記憶を封じたのはエルダ自身。アリオスの心を試すためにそうした。
それができるのは…彼だけだから。彼の予想以上の結果だった。
“どうか…アンジェリークを幸せに……”
やがて来る、目覚めの時までエルダは祈る。栗色の髪の天使の本当の幸せは彼にあると気づいたから……。彼といる時のアン
ジェリークの幸福な心、それが伝わってくる。
“そのために…あなた方は出会ったのだから……”
託された希望を持つ天使。そして、彼女を守ろうとする青年。その思いさえあれば、きっと今以上に強くなれる…そんな予感。
そして、それが唯一の希望。
それを胸に、エルダは時を待つ。栗色の髪の天使がもたらす、開放の時。そして、全ての真実が明らかになる日まで……。
15000番を踏まれたゆきねこ様からのリクエストです。トロワネタです。ただ、リクエストの趣旨に思いっきり反しています。かろうじで
エルダに嫉妬するアリオスは書けましたけど……。ああ、すみません……。
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