Going Home


 カーテンの隙間からさし込む夕日が、部屋を僅かに赤く染め上げる。
 もうすぐ日暮れだ。
 それを確認して、アンジェリークはにっこりと微笑んだ。
 あともうちょっとすれば、アリオスが帰ってくる。
 小さな羽をぱたぱたと羽ばたかせて、アンジェリークは窓に近寄った。
 外に出るわけにはいかない。人に見つかりでもしたら大騒ぎだ。とんでもないことになる。
 だからちょっとだけ顔を出して、カーテンの隙間から外を覗く。
 
 もうすぐ、あの曲がり角に背の高い影が見えるだろう。
 そうしたら玄関の鍵が開く音がして、アリオスが帰ってくる。
 青年を出迎える瞬間が、アンジェリークは好きだった。
 言葉は話せないけれど、にっこり笑えば優しく笑い返してくれる。抱きしめてくれる。
 温もりに包まれる、何よりも好きな時間。
 もう一度外を見る。
 もうすぐ。あとちょっと……



「おつかれさまでした、先生」
「おつかれ」
 勤務時間も終わり、私服に着替えたアリオスは、病院の裏口から外に出た。
 空を見上げると、そこは黄昏のきれいなグラデーション。
 家で待っているだろう幼い天使を思い出し、口元が自然と綻ぶ。
 そう言えば、もうそろそろ彼女の好きなアイスクリームが切れる頃だ。
 今日あたり買って帰ってやろう。
 そんなことを考えながら、青年は家路を急いだ。

 ――はずだったのだが。

「よう、アリオスじゃないか」
「っ!」
 背後から肩を叩かれて、アリオスの心臓が跳ねあがった。
 喉もとまで出かかった悲鳴を無理に押し込んで、彼は剣呑な視線で振り返った。
 陽気な金色の瞳が輝いている。
「……カティス」
 同じ病院に勤める外科医で、それなりに面識もあったが、正直、彼はこの男が苦手だった。
 腹の中を探れない笑顔。
 ――何を考えているのか、まったく分からない。
「今帰りか」
「ああ。じゃあな」
 家ではアンジェリークが彼の帰りを待っている。
 こんなヤツに付き合っているヒマなど、カケラもない。
 アリオスはさっさと話を切り上げて帰ろうとしたのだが、そうは問屋が降ろさなかった。
 踵を返そうとした瞬間、肩をガッシと掴まれた。
「つれないぞ、アリオス。それに最近、付き合い悪いじゃないか」
「あんたには関係ないだろ」
 同居している天使の事など言えるわけがない。
「まあ、そう言うな、アリオス。呑みに行くのも立派なスキンシップのひとつだぞ」
「俺はてめぇとスキンシップ何ぞするつもりはない」
「まぁまぁまぁ。この前うまい酒のある店を見つけたんだ。行ってみたいだろ? 行ってみたいよな」
「――だから」
 アリオスがみなまでい終わるより早く、ぐっと肩を抱き込まれた。
「ちょっ……おい! ちょっと待て!」
 ウソだろう!?
 ずるずると引きずられて、アリオスは悲鳴を上げそうになった。
 何を言ってもまったく聞きやしない。
 ――アンジェッッ!
 マンションのある方角を振り仰ぎ、胸中で天使の名前を叫んだ。
 気分はもう、戦地へ送り出される兵士だ。

「さて、そうだな。まずは――――――」
 カティスの陽気な声が、ひどく恨めしかった。



 太陽はすっかり落ちてしまった。漆黒に彩られた空に、ぽっかりと月が浮かんでいる。
 ――アリオスはまだ帰ってこない。
 アンジェリークはベッドに顔を埋めたまま、アリオスを待っていた。
 小さな白い羽が、力なくシーツの海に埋もれている。
 もう、どのくらいの間こうしているのだろう。
 いつもなら、アリオスはとっくに帰ってきている頃なのに。
「〜〜」
 想わず涙が込み上げてきて、アンジェリークはきゅうっとシーツを握り締めた。

 寂しい。
 怖い。
 ――一人取り残される事が、これほど辛い事だったなんて。

 その時だった。
 カチャッと小さな音がした。
「!」
 栗色の髪を跳ねさせて、ぱっと顔を上げる。
 そして、幼い羽を精一杯羽ばたかせると、音のした方――玄関へと向かった。



「――っ!」
 不意打ちだった。
 ものすごい勢いで突撃して来たそれに、アリオスの身体が仰け反った。
「なっ……!?」
 条件反射のようにそれを受けとめて、何とか体勢を戻す。
 慌てて見下ろせば、見慣れた栗色の頭が胸に張り付いていた。
「アンジェ……?」
 驚いて名前を呼ぶと、天使はさらにぎゅうっとしがみついてきた。
 何度も何度も首を振って、ようやく見上げてきた海色の瞳は、涙で潤んでいた。
 ぽろぽろと零れた大粒の涙が、アリオスのシャツに幾つもシミを作る。
 小さな身体が小刻みに震えて、アリオスに精一杯寂しいと訴えていた。

「……」
 声も出せずに、泣き腫らした瞳を見つめる。
 ひたひたと湧きあがってくる罪悪感。
 どうして気付かなかったのだろう。この世界で、彼女の頼るべき相手は自分だけだったのに。
 こんなに寂しい思いをさせるのだと分かっていたのなら、カティスを殴り倒してでも帰ってきた。
「アンジェ」
 包み込んでいた腕に、力を込めて抱きしめる。
「悪かった」
 小さな小さな、彼の天使。

 ――しがみついてくるその小さな手が、確かに大切だと想った。

「……悪かったよ。もう一人になんかしねぇから泣くな」
 こくこくと頷きながら、それでも泣き続けるアンジェリークの背中を撫でて、抱きしめて、アリオスは暫く玄関に佇んでいた。



 翌朝、出勤しようとするアリオスを、アンジェリークはなかなか放したがらなかった。
 アリオスが説得しようとしても、ふるふると首を振るだけ。
 相当、昨夜のが堪えたらしい。

 アリオスは微かな苦笑を浮べ、そっとその栗色の頭を撫でた。
「今日はちゃんと帰ってくるから、心配すんな」
 ほんと? と訴えてくる天使に軽く頷く。
 アンジェリークはアリオスの顔と、シャツを握り締める自分の手を見比べて、ようやく――それでも躊躇いながら、その手を放した。
「そうだな、今日は昨日買いそびれたアイスを買ってきてやるよ」
 そうアンジェリークに言い残して、アリオスは玄関を後にする。
 ――今日こそは早く帰ろうと誓いながら。。


END

タチキさんが書いてくださいました。めっちゃくちゃ可愛いです。らぶらぶぶりがv カティスがいい味を出してます。ありがとうございますvv