Tears
宮殿の中庭でその光景をエンジュが見たのは偶然のことだった。女王補佐官であるレイチェルの元に赴こうとしたら、見てしまったのだ。
(あれは……)
中庭で仲むつまじく寄りそう二人。それはエンジュがよく見知った二人だった。
中庭で何度かあったことのある青年、アリオスとこの宇宙を統べる思考の存在である女王、アンジェリーク。その二人が寄り添いあい、語り合っている。互いが互いを慈しむように交しあう眼差し、幸福そうな女王の表情。普段のシニカルな表情からは考えられないくらいに優しいアリオスの表情。幸福な恋人達の姿。まるで、そこだけが現実と切り放されたかのように。
(あれ……?)
ズキズキと胸が痛む。アリオスとは中庭で会ってから、数度しか会話を交していない。時々、サクリアの流現に訪れた、星系であったりするだけだ。人を寄せ付けぬ冷たい感じがした。けれど、それは彼がひそかに何かを背負っているということも知った。
女王補佐官のレイチェルから、彼は味方だといわれた。悪い人ではない、と。それはエンジュにもすぐわかった。ぶっきらぼうだけれど、優しい人だ、と。数度の会話でそれはすぐにわかった。だから、もっと、仲良くなれればいいな、と思っていた。
(あんな表情をするんだ……)
見たこともない表情を女王に向けている。それはひどく優しくて、甘い。たった一人の女性にだけ向けられている、それ。自分に向けられることがない。そう思うと、胸はますます痛くなった。
「……」
それ以上は見ていられなくて、エンジュはその場を立ち去るしか出来なかった。せめて、二人の邪魔にならないように足音を立てないようには気をつけて。そんなことに妙に気が回る自分が妙におかしく感じた。
(陛下、すごく幸せそうに笑っていた……)
守護聖がそろうまでの間、一人で宇宙のすべてを支えていたためもあってか、華奢で儚げなイメージがあった。だが、アリオスと共にいるその姿はただの一人の少女だった。自分とそう変わらぬ年の少女の見せるそれ。あれもまた、女王の真の姿の一つなのだと思った。ただ一人の人の前にだけ出せる……。そして、それを受け止め、彼女を支え、その愛を享受する……。なんて、幸福な姿なんだろう、と思う。一枚の絵のように、完璧な姿。
(そっか、だから、アリオスさんは陛下のために頑張ってるんだ……。だから、レイチェル様も、アリオスさんを信用していて……)
パズルのピースがぴたっとあうようにすべてが納得できてしまう。
(私だけが知らなかっただけかぁ……)
アリオスの存在は表立ってはいえないものらしい。エトワールとして、この聖獣の宇宙の育成の手伝いをしているといっても、エンジュは部外者だ。女王の影で働く存在、まして、それが女王と仲睦まじい存在であるというのなら。
(やめよう、考えたくない……)
思考がぐるぐると回る。こんな自分は嫌だ。とりあえず、このもやもやした感情を何とかしなくてはいけない。そう思ったエンジュはうつむいたまま、歩く速度を速めた。
「うわっ」
「きゃっ!」
前を見ないままに歩いている状態だったので、廊下の曲がり角のところで思いっきりエンジュは人にぶつかってしまった。
「ご、ごめんなさい。大丈夫ですか?」
「いえ、レディの方こそ……」
ぶつかった相手は聖獣の宇宙の闇の守護聖、フランシスである。エンジュがぶつかったのにも関わらず、彼女の心配をしてくれる。それがエンジュには申し訳なくてたまらない。
「気になさらないでください。私が悪いんですから、フランシス様……」
儚げな印象を与えるこの人にぶつかってしまったことはかなり責任を感じてしまう。これがヴィクトールだったら、謝れば快く許してくれるだろうし、レオナードだったら象が踏んでも壊れない(…かなり失礼ではあるが、それくらいに強い人だと認識しているらしい)と思うので、ここまで胸が痛まない。
「どうかなさったのですか、レディ?」
「え?」
戸惑う隙もなく、フランシスの手がエンジュの頬に触れた。
「フ、フランシス様?」
「辛そうな顔をしていますよ……。あなたはいつも元気で笑っておられるのに……」
「や、そんなことないですよ? 私は今日も元気ですって!」
そう言って、エンジュは無理やりに笑顔を作ってみせる。元気なのが自分の信条。元気じゃないはずがない。だが、そんなエンジュの笑顔にフランシスは顔を曇らせた。
「フランシス様……?」
「嘘はいけません。レディ。私にはわかりますから」
伊達にサイコテラピストをしていたわけではない。エンジュの嘘など軽く見抜いてしまう。いや、自覚していない嘘だ。エンジュは嘘などついていない。少なくとも本人はそう思っている。
(これでは埒が明かない、か……)
こういう場合は無理に聞き出すのは賢明ではない。ならば、他の方法を取るしかない。
「レディ、少し時間はありますか?」
「え、あ、はい。もう、後はエウローラ号に戻るだけですから」
レイチェルの元に赴いた後は特に用事はなかった。サクリアの拝受は既に済んでいる。あとはエウローラ号に戻るだけだ。いつもなら、、占いの館や王立研究院にいったり、セレスティアで買い物をするということも選択肢に入るが、今日はとてもそんな気分にはなれなくて。
「じゃあ、大丈夫ですね? 私の執務室に来ませんか? 美味しいお茶を頂いたんですよ」
「え……」
「行きましょう、レディ」
有無を言わさず、エンジュの手を取って、フランシスは自分の執務室までエンジュを連れて行った。
そのまま、エンジュは執務室の奥の部屋に連れて行かれ、ソファに座らされた。やがて、フランシス自らが入れたお茶を出された。
「どうぞ、レディ」
「ありがとうございます」
フランシスが入れたお茶は香りがよいものだった。こわばった心の奥が溶けていくような感覚になる。
(何だか、涙が出そう……)
溶けていくような感覚は涙腺を緩めさせられるようで。エンジュは軽く首を振る。
「どうかなさいましたか、レディ?」
「い、いえ。なんでもないです。頂きますね」
せっかくお茶を入れてくれたフランシスの好意を無駄にしてしまっては失礼だ。エンジュはお茶を一口飲んだ。
「美味しい……」
すばらしいのは香りだけではない。一口飲んだだけで、口の中に広がってゆく味わいは何ともいえない。エンジュはほぅっとため息をついた。
「お気に召していただけて嬉しいですよ、レディ」
「何だか、ほっとします……」
けれど、気を抜いたら、何だか泣いてしまいそうで。自然と態度がこわばってしまう。フランシスはそんなエンジュの隣に座り、そっとその頬に手を寄せた。
「フランシス様……?」
「辛いことがあったのですか? あなたのそんな顔をしていると、私の胸も痛くなる……」
「ご、ごめんなさい」
「謝らないで。そんなつもりじゃなかったのです。ただ、レディが悲しいと、私も悲しくなるのです……」
瞳を曇らせるフランシスに、別の意味でエンジュの胸が痛む。こんな繊細な人に自分のことで心配を書けるわけにはいかない。自分の事なんて、ほんの些細なことなのだ。
「最近、お知り合いになった人がいるんです。何回かしかあってないけど、不思議だけど、優しい人で……」
エンジュの話し方から、それは守護聖ではないことにフランシスは気付く。エンジュは白の中庭を通ってきた。宮殿に出入りが許されている人物だということも。
「その人、恋人がいらっしゃるみたいで、私、それ、恋人の方と一緒にいるところ見ちゃって……。お二人ともすごく幸せそうで……。そしたら、何だかいたたまれなくなったっていうか……。だから、たいしたことじゃないんですよ」
そう、たいしたことはないのだ、と自分に言い聞かせるようにエンジュは笑う。
(切ない、と言うんですよ、その感情は……)
笑顔にぎこちなさをエンジュは気付いていない。真実の扉の重さに耐えきられないためなのかも知れないとも思えた。だが、その感情に向き合わなければならない。その引頭を渡すのが、自分であることにフランシスは苦笑するしかなかった。
「あなたはその人のことを思っていらしたんですね……」
「え……?」
フランシスの言葉に、エンジュはキョトンとする。まるで、たった今知らされたかのような表情。
(気付かないままの恋心か……。だからこそ、レディは混乱しているのでしょうね……)
幼い恋の種は目の前の少女の胸に蒔かれているのに、発芽することなく、摘みとられてしまった。自覚のない感情。
「だからこそ、胸が痛むのでしょう?」
「そんなこと…だって、であってから、そんなにたってないし……」
「恋に落ちるのには時間は関係ありません」
あなたに出会ったときの私がそうでしたから…、その言葉をフランシスは飲み込んでしまう。自分のことよりも、今は目の前の少女のことだ。自分が少女に抱く感情は彼女が今持て余してやまない感情と同じなのだろうから。
(私が感じている切なさやもどかしさをあなたは抱えている……)
己の気持に気付いていないエンジュはその正体にも気付かないまま、胸の痛みを抱えていた。だからこそ、辛いのだということを恋を知らなかった少女は知らない。ならば、それに向き合わせてやることが、残酷なようだけれども、エンジュのためだとフランシスは自分に言い聞かせた。
「レディは悲しいんです。でも、それを解き放つ術は勿論、レディ自身……。辛いでしょうけれど、今の感情を受け止めてください……」
「私の、感情……?」」
「あなたはその方を想っていらしたんですよ……。胸が痛むのは…そのためです……。失くした恋の痛みの意味を、あなたの心が訴えて……」
「私……」
エンジュはふるふると首を振る。
「知らない…そんな感情……」
頭で否定しようとする。あまりにも完璧な”二人”の形。入り込むことなど出来ない、そう思った。そう思えば、思うほど、胸が痛くなって。切なさで一杯になって……。そして……。
「私……」
途端に、エンジュの瞳からぽろぽろと涙が零れ出す。
「やだ、私……」
慌ててぬぐおうとするエンジュの手をフランシスは制した。
「泣いてください。あなたの心のために……」
「だって…こんなの、私……」
こんな風に泣きじゃくるなんて、自分らしくない。止めなければと思うのに、涙は止まらない。止められない。
「どんなレディもレディに違いありません。だから、泣いていいんです……」
穏やかに諭すようにフランシスはエンジュに語りかける。その穏やかな声が、かたくなだったエンジュの心を溶かしていくようだった。
「涙を見られたくありませんか?」
「……」
どう答えたらいいのかわからなくて、エンジュは無言になる。こんなことで泣いてしまって、フランシスに迷惑をかけていることが心苦しい。フランシスが優しいからなおさらだ。けれど、一度緩みだした涙腺は止まることがなく。エンジュの瞳から、とめどなく涙が零れ落ちる。沈黙を続けるエンジュをフランシスは自分のひざの上に抱き上げた。
「ふ、フランシス様?!」
いきなりのことにエンジュは戸惑いを隠せない。フランシスの膝の上に載せられ、背後から抱きしめられるような体勢だ。慌てて、離れようとするが、その繊細な雰囲気からは感じさせないような強い力で抱きしめられていて、それは叶わなかった。
「こうしたら、私はあなたの泣き顔は見られませんから……」
耳元でそっとフランシスが囁く。優しい声、それすらも呼び水となって、エンジュの瞳からは涙が更に溢れ出す。
「っく……」
はらはらと流れる涙。フランシスの暖かさに包まれて、エンジュは涙を溢し続ける
(レディ……)
自分の腕の中で、なくしてしまった恋に涙を流し、小さな肩を震わせる少女の姿に複雑な感情を覚える。自覚のない、芽生えたばかりの淡い恋心。それを自分ではない誰かに抱いたことにわずかばかりの嫉妬。そして、涙を流す少女を美しいと思う。
(不謹慎ですね、私は……)
泣きじゃくる少女を何よりも愛しいと思う。いつも光り輝いていて、明るい光をもたらせてくれる存在。
(そんなあなただから…私は……)
霧に包まれた故郷のように、晴れることのなかった心に光を差し込んでくれた少女。その少女が今、こうして、弱い一面を見せている。誰も知らない一面。守りたい、と思った。この少女の笑顔に守られているような自分だけれども、だからこそ、この少女の笑顔を守りたいとも。
「泣いて下さい……。あなたがあなたでいられるように……」
そして、その心を私を守らせて…と、言葉を飲み込んで。フランシスはエンジュを優しく包み込む。いつしか、エンジュの緊張はほどけていて。素直にその身をフランシスにゆだねていて。それに気づいたフランシスはエンジュを抱きしめる腕に愛しさを強めた。
やがて、ようやく泣くだけ泣いてしまったのか、エンジュがゆっくりとフランシスの方を向く。フランシスに抱きしめられている状態のままなので、首だけを向ける形である。元々、紅玉の瞳であったが、泣いたためにさらに赤くなっていて。痛々しさをフランシスは感じた。
「すみません、フランシス様……。ご迷惑をおかけして……」
申し訳なさそうに言うエンジュにフランシスは柔らかな微笑で首を振る。
「迷惑ではありませんから……。あなたの心をお守りしたかっただけです……」
いつも守られているから、と心の中で付け加えて。腕の中にすっぽりと納まる小さな星。それなのに、無限の光でフランシスを照らしてくれる。その光を守れる自分でありたい、と願う。
「それで、あの、もう大丈夫ですから……」
「どうかしました、レディ?」
「その、離れていただいても、大丈夫ですから……」
感情をすべて流しきってしまって、ようやく冷静になったのか、未だにフランシスに抱きかかえられたままの体勢にエンジュは頬を赤らめている。
「そうですね。私もあなたのお顔を見たいですし……。抱き心地がとてもよろしいので、手放すのが惜しいのですが……」
「やだ、フランシス様ったら……」
くすくすと笑うエンジュ。その笑顔には屈託がなくて、先ほどまでに感じていた痛々しさがない。それだけで今は満足でいようとフランシスは思う。
「では、レディ」
フランシスが腕を解き、エンジュが彼から離れる。離れてゆくぬくもりが少しだけ寂しいと思った。
「思いっきり泣いたら、何だか心が軽くなりました。フランシス様、すごいです。やっぱり、セラピストをやっておられただけはありますね〜」
尊敬をこめたまなざしで見上げてくるエンジュに複雑な思いがないわけではない。目の前の小さな星の輝きを守りたかっただけなのだ。患者を相手にするのとは違う。苦笑交じりに紅茶を口にすると、ずいぶんと冷めてしまっている。その間の時間、この小さな星を独占できたのだと思うと、少しばかりの優越感も感じて。
「あぁ、お茶が冷めてしまったようですし、入れなおしましょうか?」
「あ、そんな……」
遠慮するエンジュにフランシスは見ほれるほどの優美な笑みを浮かべる。
「いえ、そうさせてください。私がそうしたいのですから、ね?」
「はい。さっきのお茶、美味しかったです」
「レディに喜んでもらえて何よりです」
「でも、フランシス様に甘えてばかりじゃ申し訳ないです……」
申し訳なさそうなその口調が何だか可愛くて、フランシスはそっとエンジュの手を取った。
「フランシス様?」
いきなりのフランシスの行動にエンジュは真っ赤になる。だが、フランシスは優美な笑顔をたたえたままで告げた。
「レディがもし、お気になされるのなら、今度の日の曜日は私と共に過ごしていただけますか?」
柔らかな笑顔と握られた手の暖かさ。いきなりの行動にも堂でもいい気分になった。
「ええ、かまいませんよ? でも、それだけじゃ……」
「それでいいんです。あなたとともに過ごしたいのですから……」
「わかりました。よろしくおねがいします」
小さな約束を交わして、エンジュは満面の笑顔。そして、フランシスは休日に小さな星を独占できることに喜びを感じる。
(あなたが笑顔でいてくれることこそが私の喜びですから……。それを独占できるなんて、本当に幸福です……)
いつか、その笑顔を自分だけに向けてくれるように。それを願って。フランシスはこの小さな星、愛しい少女に笑顔を向けた。
思えば、コレがはじめてまじめに書いたフランシスだったのかもしれません……。
やっぱり、私はアリコレものなので、こういう話になっちゃって……。フランシス、頑張ってねw
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