Dear my Angel


 次期女王を決めるために行なわれている女王試験の場所である飛空都市は、いつも穏やかな天候に恵まれて いる。
 そんな飛空都市での水の曜日。いわゆる週の半ば。気が抜ける人間は気が抜けるのは致し方ないものなのかも しれ
ない。

「ゼフェル〜」
 少し間延びした声。本人は真剣に叫んでるのだ。地の守護聖であるルヴァである。彼が教育係を 仰せつかっている
ゼフェルの部屋を訪ねてみれば、もぬけの殻。今は執務時間内。抜け出した彼を探している最中
である。
「ルヴァ様…また、ゼフェルですか。」
 声をかけられた方向を見ると、愛用のハープを携えた水の守護聖、リュミエールの姿。
「ええ、また、やられてしまいましてね…」
 苦笑するルヴァにリュミエールは微かに瞳を曇らせる。ゼフェルの教育のことで、ルヴァがかなりジュリアスに釘を
刺されているところを目撃しているからである。
「手のかかる子は可愛いとは申しますが、ゼフェルは手がかかりすぎのような気がするのですが…」
 やわらかな微笑みに穏やかな口調でのその言葉は、とても容赦がない。
「でも、根はいい子ですからねぇ…」
 そう言いながら、ルヴァは深くため息をつく。ほとんど保父さんの心境である。そんなルヴァにリュミエールはくすくす
笑う。結局、ゼフェルに甘いルヴァであることを認識してしまったためである。
「リュミエール?」
「いえ、なんでもないのです。ルヴァ様」
「はぁ…」
 きょとんとしたまま、リュミエールの微笑みにつられて笑ってしまい、そのままごまかされるルヴァなのであった。


 一方、その頃。聖殿の裏庭で鋼の守護聖、ゼフェルは寝転がっていた。日差しが気持ちいい昼下がり。 こんな時間に
執務室にいる方がもったいないというのが、彼の持論である。

「別にやりたくてしている仕事じゃねぇし…」
 呟いてみても、どうにもならないことなど知っている。現実として、鋼のサクリアは彼の身の内にある。何度も逃げ
出そうとしても、現実はいつも追いかけてくるのだ。

「らしくねぇよなぁ…」
 ガバリ!と起きあがると、ゼフェルは大きく伸びをする。
「メカでもいじるか…」
 めり込みそうなときは、好きなことをするに限る。思い立ったら吉日である。早速、裏庭から、外に出る抜け道を通りぬけ
ようとしたゼフェルであったが…
「きゃ…」
 鈴の音のような少女の声に足を止める。次の瞬間、ポスンと柔らかな何かが頭に落ちてきた。
「なんだ?」
 拾い上げてみると、可愛らしくラッピングされたマフィン。どう見ても、手作りの一品。
「、てことは…」
 思い当たることが多すぎて、ゼフェルは頭上を見上げる。見えるのは、木の枝に座りながら、不安げに自分を見下 ろす
少女の姿。

「アンジェリーク、おめーかよ…」
「ごめんなさい、ゼフェル様…」
「何やってんだよ、こんなところで。おめー、一応は女王候補だろうが。」
「はい、そうですけど。」
「そこを素直に返事するんじゃねぇよ!」
 はっきり言って、間の抜けた会話であると思うのはゼフェルだけの気のせいではない。今、頭上にいる少女と話を
すると、どうもテンポが違う。もう一人の女王候補、ロザリアと比べるまでもなく、奔放過ぎるところがある。

「そう言えば、挨拶がまだでしたね。こんにちは、ゼフェル様」
 にっこりと笑顔。それはまさに天使の微笑み。ふわふわした金色の髪のせいだろうか。時々、この少女が飛び立ち
そうな気がしてならないのだ。

「こんにちはじゃねえだろうが。何やってんだよ」
「えっと、マフィンが上手く焼けたんです。それで、今日はお天気がいいから…」
「だからって、木に登るか、普通…」
 アンジェリークが今、座っている木の枝は裏庭でも結構高い気である。制服でスルスルと登ったのかと考えると、
少し頭が痛くなってくる。
「でも、よくマルセル様やランディ様は登ってますよ。一度、この木に登ってみたかったんです、私。トム・ソーヤーとか
大好きだったし」
「あいつらはともかく、おめーは女だろうが。ちょっとは自覚を持ちやがれ!」
 スモルニィの制服のスカート丈は短くて。いやでも、ゼフェルの目にすらっとした足が見える。彼も一応は健全な
青少年である。目のやり場に困るのである。だが、この少女にはあまり自覚がないようである。
「でも、風が気持ちいいですよ。ゼフェル様も来ませんか?」
 聞く耳も持っていない様子である。
「ったく、ジュリアス辺りに見つかっても知らねぇからな! 大体、お前、今日は水の曜日だろうが。育成はどうしたん
だよ」
「午前中にすませましたよ。やることやってからですもの」
 一応、女王候補としての義務は果たしているわけではある。ちっと舌打ちするゼフェルにアンジェリークはふと思い
出したようにゼフェルを見つめる。
「そう言えば、今は執務時間中じゃ…」
「…」
 ひたすらに流れる沈黙。だが、クスクス笑い出して、アンジェリークが先に沈黙を破ってしまう。
「ゼフェル様も人のこと言えないじゃないですか。あ、やることやってる分、私のほうがえらいかも」
 からかうようなアンジェリークの言葉。それを黙って聞いてやれるほど、ゼフェルは大人であるはずがなくて。
「おめー、よくも言ってくれたな。よし、そこを動くなよ!」
「え?」
 アンジェリークが戸惑う隙もなく、するするとゼフェルが登ってくる。
「おめー、よくも言ってくれたじゃねーか」
 にじり寄るゼフェルにアンジェリークは顔を引きつらせる。
「え、私、か弱い女の子ですよ、ゼフェル様」
「こうやって、木登りしてる女のどこがか弱いってんだ!」
 そう言って、アンジェリークに掴みかかる振りをする。あくまでも振りである。相手は本人が言うようにか弱い少女
ではあるのだし。
「きゃ…」
 だが、アンジェリークの方には冗談ではすまなかったらしい。避けようとして、バランスを崩してしまう。
「アンジェリーク!」
 木から落ちる…次の衝撃に怯え、固くアンジェリークは瞳を閉じる。だが、いくら待っても、衝撃は訪れることなく、
暖かな腕の中に引き込まれる。
「ゼフェル様…」
「とろくせーな。冗談に決まってんだろ!」
「ひどーい、ビックリさせたのはゼフェル様じゃないですか…」
 拗ねたように見上げるアンジェリーク。今でも心臓がバクバク言っている。少し潤んだ瞳が少女を更に幼く見せる。
(う…)
 よく考えなくても、少女が腕の中にいるというシチュエーション。
「ああ、もう。おめーがおてんばなことすっからだろうが!」
 少女を腕から解放する。もっとも、落ちないように気をつけてはいる。
「ありがとうございます」
「いーよ、別に」
 ぶっきらぼうな言い方にアンジェリークはくすくす笑う。
「何がおかしーんだよ!」
「いえ、別に…」
 どうもこの少女に振りまわされている気がしてならない。
「ね、ゼフェル様。いい風だと思いません?」
「え?」
 言われてみれば、確かに気持ちいい風が吹いている。
「こういう風って、好きなんです。だから、私、こういう感覚をなくしたくないんですよ。
女の子だからって、それに縛られたくないし。」
 そう言って、にっこりと微笑むアンジェリーク。ふわふわの柔らかな金の髪は風に気ままにゆれている。時折、光に
乱反射して、きらきらと輝いている。
「この間、エリューシオンに降りた時に子供たちがこんな風に木に登って,風に吹かれてたんですよ。すごく気持ち
よさそうにしてて。同じ感覚なんですね、きっと。育成している天使様だからって、特別な存在なんかじゃないんです」
「アンジェリーク…」
「確かに私はエリューシオンを導く天使様なんて言う存在なのかもしれないけれど、こんな風に同じ風を感じることが
出来ることを忘れたくないんです。そこに,私の原点があるはずですから」
 確かな意思を秘めた鮮やかなエメラルドグリーンの瞳。その瞳には同じ女王候補であるロザリアとは違った輝きが
ある。エリューシオンとフェリシア。二人の育成する大陸の違いはこんなところからなのかもしれない。そして、改めて
実感する。彼女もまた、この宇宙を統べるために選ばれた女王候補であることを。
「でも、こんなことをしてるから,女王候補の自覚に欠けてるって、ロザリアに叱られちゃうんですけどね。」
 悪戯っぽく肩をすくめるアンジェリーク。
「いいんだよ。おめーはそれで」
 素直に出てきた言葉。アンジェリークはきょとんとする。
「ロザリアはロザリアで、おめーはおめーだろ。おめーまでロザリアみたいになっちまったら,俺達がやりにくいって。
おめーにはおめーにしか出来ないことがあるんだ。だから、おめーはそのままでいいんだよ」
「誉め言葉として、受け取っておきますね」
 くすくす笑うアンジェリーク。
「そうだ,マフィン。ゼフェル様もいかがですか?」
 その言葉と共に差し出されたマフィンにゼフェルの手が硬直する。甘いものは苦手なのだから,当然であろう。
「あ…甘いのお嫌いでしたね。ごめんなさい」
 慌ててしまおうとするアンジェリークの手から,ゼフェルはマフィンを取り上げる。
「ゼフェル様?」
「別に食えねーこともねーよ」
 取り上げたマフィンのラッピングをぶっきらぼうにはがして,口にする。
「…」
「あ、やっぱり甘いですか?」
 恐る恐るたずねるアンジェリーク。
「んなことねーよ。これくらいの甘さなら、食える」
 実際、アンジェリークはジャムをつけて食べるつもりだったので甘さを控えめにしていたのだ。世の中、何が転ぶか
わかったものではないと改めて実感する。
「でも、ちょっと贅沢な気分ですね。お休みの日でもないのに、ここでこんなことしてて」
 自分もマフィンを頬張りながら,アンジェリークが肩をすくめる。まぁ,アンジェリークの方は育成の依頼も終わって
からのことなので、問題はないが、ゼフェルは執務時間内なのだから。
「バカ、こう言う日もいいんだよ、たまには。心の洗濯って奴だ」
「そうかもしれませんね」
 二人して笑い合う。守護聖と女王候補としての関係ではなく、同じ年齢同士の少年と少女という感覚に近いものが
ある。二人して、風に吹かれながらのこんな時間もたまにはいいのかもしれないとゼフェルは思う。
(らしくねぇけどよ…)
 それでも、彼の横で微笑む少女のことは嫌ではないから。むしろ、気に入っていると自覚してしまう。
「どうかされました?」
「何でもねーよ」
 それでも素直に少女に接することの出来ないゼフェルである。アンジェリークも気にすることなく、二つ目のマフィンを
口にする。二人の思考にずれが合っても、それなりに楽しい時間は過ぎてゆく。 だが、いつまでも楽しい時間がある
わけでもなく…
「こら、そなた達、何をしている!」
 聞きなれた怒声が二人の耳に届く。光の守護聖であるジュリアスの声。聖殿の廊下の窓から、彼らに対して鋭い
視線を向けている。
「やべぇ…」
「ですね」
 あの調子ではすぐにここまで来てしまうだろう。その後は延々とお説教であるのは明確である。言われる内容は
想像がつく。ゼフェルは執務をサボっている立場であるし、アンジェリークは女王候補の自覚に欠けている…と。
「逃げるぞ、アンジェリーク」
 身軽に木からゼフェルは飛び降りる。それなりの高さではあるが、よく窓から抜け出しているゼフェルにとっては
お茶の子さいさいなのである。
「待ってください。私も、降ります。」
 そう言って、アンジェリークもゼフェルについで飛び降りようとする。
「おい、待てよ。危ねぇだろうが!」
「平気ですよ。私、こう見えても運動神経は悪くない方ですから。それに、早くしないと、ジュリアス様が来ちゃい
ます。」
「ったく…」
 一度言い出したら聞かない性格なのは知っている。だが、限度というものがある。万が一、怪我でもしたらそれこそ
お説教だけではすまない。
「わかった。飛び降りてもいい。だけど、俺の腕の中に降りてこい。受け止めてやるから」
「ゼフェル様?」
「いいから、早く。うるせーのが来るだろうが」
 言われるまでもなく、戸惑っているひまはない。
「わかりました」
 その言葉と共に、ふわりとアンジェリークの身体が宙に舞う。
(え…?)
 その瞬間、ゼフェルは少女に瞳を奪われる。宙に舞った少女の背に見えた、透明な黄金の翼。天使の名に少女に 相応
しい輝き。

「きゃっ」
 次の瞬間には少女はゼフェルの腕の中に降りてくる。そのときには翼は消えてしまっていた。
「ゼフェル様?」
 呆然と自分を見つめるゼフェルの瞳に戸惑うアンジェリーク。はっと、ゼフェルは現実に戻る。
「な、なんでもねぇよ。それより、早く行こうぜ」
「はい!」
 少女の手を取って駆け出す。どっちにしても、お説教だけど、今、この天使と過ごす時間の方が貴重な気がしてならない
から。放っておけば、背中に羽をつけて飛び出しかねない。少女の背には確かに翼があったから。

 いつかは天使として飛び立ってしまうかもしれないけれど、今は確かに傍にいる。だから、この手が離せなくて。
「どこに行くんですか、ゼフェル様?」
「逃げてから、考えりゃいい!」
「それもいいかも」
 腕を引っ張られながらも、くすくすと楽しそうに笑うアンジェリーク。そうして、賑やかな午後はまだ続くのであった。

去年に出したゼフェル・リモージュ本から。読みたい…と再録のリクエストもあったし。後日談もあります。

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