Christmas Rosa



 一輪の、花。
 ジュリアスが執務室に訪れるより早く、それは届けられている。
 デスクの片隅に、控えめに飾られている真っ白の花。
 花は萎れてしまう前に、必ず新しい花に替えられている。
 誰がその花を届け、飾って行くのか、ジュリアスは知らない。
 他の者に訊ねたこともあるが、誰も知らないと首を振る。
 どんな意図を持って飾られているのか判らない花に、眉を顰めたこともあったが、その花の存在は確実にジュリアスの心を穏やかにしていた。
 どんなに苛立ったときでも、その花を見ると心が落ち着くのだ。
 癒される、というのは、そんな瞬間のことを言うのだ、と、思ったことも一度や二度ではなかった……。

 朝露に濡れた花は、窓から差し込む光をきらきらと反射している。 ドアを開けた姿勢のまま、ジュリアスはその光景を呆然と眺めていた。――――否、眺めることしかできなかった、と言うのが正しいだろう。
「おはよう、ジュリアス」
 柔らかな笑顔が振り返り、透明感溢れる声音が音を紡ぐ。
「…………お早うございます、…………陛下」
 混乱に見舞われながらも、ジュリアスはなんとか声を絞り出した。
 自ら絞り出した声で呪縛から解放されたように動きを取り戻し、ジュリアスは些か慌てた様子で執務室のドアを閉めた。
「陛下。あの、なにをなさっているのですか?」
「なにって、花を飾ってるの。綺麗でしょ?」
 訝しげな質問に返される、あっけらかんとした声。
 何か言おうと口を開きかけたジュリアスは、しかしなにも言うことなく疲れたように吐息をつき、緩く頭を振った。
 ジュリアスの忠誠と敬愛をすべて捧げた至高の存在は、実は頭痛の種でもあるのだ。
 天真爛漫な少女でもある女王は、女王候補時代の無邪気さそのままに、ジュリアスを振り回す。
 なにを言っても懲りる、ということがなく。まさに糠に釘、のれんに腕押し状態であるのだ。
 が、だからといって、少女の勝手気ままな行動を咎めない、と言うわけにもいかない。
「――――確かに綺麗ですが」
「なあに?」
「その、陛下の手に傷が付いては。そのようなことはどうか女官たちにお任せになりますよう」
「大丈夫よ。ちゃんと棘は取ってあるし、それに他の誰かにさせてしまったら意味ないもの」
 柔らかく微笑んだ女王は、くるりと表情を一転させ、悪戯っぽくジュリアスを見つめた。
「は?」
 意味がないと言われて、ジュリアスは困惑する。
「陛下、それは……」
 どういう意味でしょうか、と問いかけようとしたジュリアスは、大輪の薔薇の中、埋もれるように紛れている一輪だけの花に気づいた。
 白い、花。
 いつもいつもデスクに飾られている一輪の花の、白。
「陛下?」
 物問いたげに少女を見やると意味深な笑みが返された。
「この薔薇はね、貴重な薔薇なんですって。ロザリアの生家の薔薇園のを特別にわけていただいたの。どうしても、今日ジュリアスに渡したくて」
「私に、ですか?」
 内心の動揺を隠しきれずにジュリアスは言った。
 少女がこくんと頷く。
「ね、ジュリアス、主星の街はね、今日は賑わってるのよ。どうしてか知ってる?」
「いえ…………」
 ジュリアスは戸惑いながらも首を振った。
 聖地以外の場所で過ごすことなど、滅多とない身だ。
 街が賑わい、浮かれている理由など判ろうはずがない。
 首を振ったジュリアスに、少女はくすくすと笑う。
 らしい、とでも言いたげな笑い声だった。
「あのね、今日はクリスマスなの。大事な人たちと過ごす日よ」
「クリスマス、ですか?」
 常に一定の気温、気候が保たれている聖地では、聖地以外の場所の季節や季節行事に疎くなる。
 クリスマスと言われて、ああ、そんな日もあったな、とぼんやりと思い出した。
「そう、クリスマス。ここじゃ雪は降らないから、この薔薇は聖なる雪の代用品なの。クリスマス・ローズよ。ぴったりでしょう、この日に」
 くすくすと楽しげな笑い声を上げる少女に、ジュリアスは苦笑するしかない。
「そうですね。ロザリアにも礼を言わねばなりません」
「ふふ、そうね」
「それで」
「え?」
「薔薇で隠すように挿されている花は、……それもクリスマスにちなんだ花なのでしょうか、陛下」
「いいえ、違うわ。これはディモルフォセカ―――ジュリアスから見たわたしの印象と、わたしの気持ちを表してくれてる花なの」
「陛下の気持ち?」
「ええ、そうよ」
 にっこり。少女は笑う。
「花言葉には詳しいですか?」
「いえ」
 ジュリアスはゆっくりと首を振った。
「ディモルフォセカの花言葉は、無邪気。そしてほのかな喜び。大好きな人の傍にいられる、わたしの気持ちなの」
 深い微笑にジュリアスは息を詰めた。
 閉じこめたはずのものがゆるりと首を擡げる、錯覚。
「クリスマスローズは追憶。ぴったりでしょ?」
 叶うことなく消えた、恋心。
 告げられなかった、愛しさ。
 少女はなんでもないことのように笑いながら言ったが、ジュリアスは笑えなかった。
 遠い場所。
 遠い時間。
 遠い、追憶。
 止まったままの時間。懐かしく、甘く、苦い――思い出。
「今は、追憶なの」
「え?」
 ジュリアスはハッと少女を見返した。
 翠色の瞳が生き生きと輝いている。
「今は、ほのかな喜びなの。でも、ね。時間が動くときが来たらこの花を飾るのは止めるの」
「止める、のですか? え? あの、陛下……まさかこの花を飾ってくださっていらしたのは陛下なのですか?」
 ぎょっとした様子で叫んだジュリアスを呆れて見返し、少女はこくりと頷いた。
「わたしが退位するとき、すべてがはじまるの。それまでは、だから全部秘めているの。秘めたまま――だから、ほのかな喜び。ね?」
 約束、と唇が動く。
 ジュリアスは呆気に取られ、継いで苦笑した。
 適わない。
「御心のままに」
 そう望むのなら、今はこの想いを。
 同じだった想いを口にはすまい、と思う。
 聖なる日に明らかになった想いは、秘めたまま。
 抱える想いはほのかな喜び――――いつか追憶が終わる、その瞬間までは。
 けれど、一言。
 この日に。

「この花は、アンジェリーク、そなたそのものだ。この花に私は癒された。できれば、いつか―――時間が動き出しても、この花を飾って欲しい」
 私のために――――――――――



END

まどかさんにいただいた、ジュリアス・アンジェリークの素敵なお話。素敵すぎ〜。ああ、何故、こんな素敵な話が……。