Chocolate for Darling
「台所を貸してほしいの……」
二月の三連休の前日に美奈子からこう頼まれた炎は一瞬、反応に困ってしまった。
「美奈子ちゃん…台所、壊れたのか?」
こう反応しても仕方ないと言えば仕方ない。だが、美奈子の表情はとても真剣そのもの。
「そうじゃないの。あのね…バレンタインのチョコレート作りたいんだけど……。家の台所だと、お兄ちゃんにばれちゃう
から……」
「あ…そうか……。」
その言葉に納得する炎である。世間はバレンタイン一色。デパートなどに特設されたチョコレート売り場には若い女の
子が集まっている。チョコレートに…甘くて…少しだけ切ない思いを込めるために……。
「どうしても…渡したい人がいるから……。お兄ちゃんに知られたくないの……」
「まぁ…そうだろな……」
いくら兄でもそう言うところは知られたくないものである。一人っ子の炎でもわかることだ。
「わかった。じゃ、貸してやるよ。ウチの親はこの連休でまた旅行に行ってるしな。」
「ありがとう。じゃあ、明日ね。お礼にご飯作ってあげる」
嬉しそうに笑う美奈子に炎もつい釣られて笑う。
「ああ、楽しみにしてる」
こうして、小さな約束は交わされたのであった。
翌日、約束通りの時間に美奈子はやってきた。手にした紙袋は少し大きめで。中にはチョコレートの材料が入っている
のだろうと察することができる。
「じゃあ、お台所借りるね」
「ああ、どうぞ」
そう言って、台所に案内してやる。
「炎、見ちゃ駄目だからね。テレビでも見ててね」
真剣な美奈子の瞳につい笑ってしまう。
「ひどーい」
「悪い。竜にも見られたくないんだもんな。わかってるって。頑張って…惚れてる奴振り向かせられるの作るんだぜ」
優しく頭を撫でてやる。まるで妹にするような仕種。
「炎は…優しいね……」
「え……?」
微かな声でのその言葉は炎の耳には届かなくて。
「何でもないの。じゃ、行って行って。ミユキのお散歩でもしてきたら?」
「はいはい。御姫様の言うことは絶対だからな」
悪戯っぽく肩をすくめると、炎は台所から立ち去ってしまう。それを確認すると、美奈子は軽く溜め息を吐いた。
それから時間が過ぎて。炎はミユキを散歩に連れ、母校である山海高校に遊びに行って。帰ってきたら、ゲームをして。
そんなこんなで時間を潰したのだ。台所からは甘い香りが終始漂っている。
「翼だったら、耐えられねぇんだろうな……」
顔に似合わず、甘いものが嫌いな友人を思い出して、一人笑ってしまう炎である。
「炎、もういいよ!」
台所からの美奈子の声に下りて行くと、かわいらしくラッピングされた箱がテーブルの上に置かれていた。
「へぇ…ラッピングも自分でしたんだ」
「うん。愛情がこもってるから」
にっこりと答える美奈子。少しだけ…顔が赤い。
「でも…美奈子ちゃんにこんなのを貰える奴は幸せだよな」
「そう…思う?」
じっと見つめて、聞いてくる美奈子に炎は笑顔で答える。
「ああ。だって…思いが込められてるんだろ?」
「……うん。大好きな人のために作ったから」
少しだけ赤くなった顔。でも、少しだけ誇らしげで。
「今日はありがとう、炎。お礼にご飯作るから、もう少しだけ待っててね」
「ああ。美奈子ちゃんの手料理にご相伴預かるなんて、光栄だしな」
「一生懸命作るからね!」
小さくガッツポーズをする美奈子に炎は笑顔を返すのであった。
そして…バレンタインデー当日である。真理亜に怪しい薬草入りのチョコレートをもらってしまい、食べるかどうか困って
しまうなどのハプニングはあったものの、義理チョコとも本命ともつかないチョコをいくつかもらってしまった炎である。
そして……。
「炎」
「よう、竜」
まぁ…世間一般のカップルとは離れていようとも、この二人も一応カップルといえばカップルである(作者主観)。とはいえ、
バレンタインデーに何かするかといえば、もらったチョコを分け合うくらいである。何が楽しくて、女の子に紛れて、戦場とも
言えるチョコレート売り場に男が行かねばならないのか。
「美奈子から預かった……。二人で食べてくれ…と」
そう言って、竜が差し出したのはあの日、美奈子がラッピングした箱である。
「それ……?」
「どうした?」
「あ…いや、何でもねえよ。開けてみようぜ」
開けてみると、中にはいくつかの手作りのトリュフ。甘い香りが二人の鼻孔をくすぐる。そして、小さなカード。
『大好きなお兄ちゃんと炎に。愛を込めて……』
と、ハートマークつきで書かれたカードについ炎は噴き出してしまう。
「やられたな……」
くすくす一人笑う炎に竜はさすがに怪訝そうな顔をする。
「何でもねぇよ。それより、食おうぜ」
悪戯っぽく笑うと、炎は一つ口に入れる。程よく甘いチョコレートが口一杯に広がる。その甘さに美奈子の様子を思い出して、
炎は一人笑い続ける。何一つ事情が理解できない竜は、軽く肩をすくめると、自分もまたチョコレートを食べ始めるのであった。
バレンタイン創作…ってこう言うのもいいじゃないかとは思うのです。なんだか、最近、女の子を書かなければ気がすまない
病にかかっているのかもしれない…
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