仮面



高宮 朔夜


  空には真紅と橙が織り交じった、薄く広がった綿のような雲が広がっていた。
 鮮やかで美しい光景だ。それが開かれた窓から望める光景。
 緩やかに吹き込む風が、窓際の薄い水色の薄手のカーテンをそっと靡かせていた。
 現在は夕暮れ時、後もう少しで夕食が始まろうとしている時間帯だ。
だから、本当はこんな事をしている場合などではなかったのだが、自分に服越しに
熱い体温を伝えてくる相手はそんな事は気にしていないようだった。

「はぁ…」

 永遠に続くかと思われるくらい長かった口付けからようやく解放されて、黄金の
髪をした少年は息継ぎをした。
 互いの口に銀色の糸が伝うのを見て…その行為が改めて激しいものであったという事を
自覚せざるえなかった。

 相手の唇と舌に口腔を犯され、支配され…。

 もう一回相手が唇を重ねようとする気配を感じて、思わず青い髪をした自分の恋人の
動作を押しとどめてしまった。
 これ以上何かをされたら…理性も何もかも蕩かされてどうにかなってしまいそうだった。

「カナン様…最初にキスをねだったのは貴方ですよ」

「それは…そうだけど」

 普段は気弱なくせに、こういった時だけ見せる強気な微笑み。
こちらの唇にそっと指を添えて…穏やかになぞる。
 それだけで再び背筋がゾクリとなる。
たったそれだけの事で過敏になっている自分が少し信じられなかった。
 指先がそっと侵入して、今度は彼の指がカナンの口内を蹂躙する。
そしてもう片方の手でその金髪をそっと撫ぜ、顔にそっとキスを幾つも落としていた。

「う…うぅ、ん…」

 くぐもった声が自分の口から漏れた。
 指先の刺激では、互いの舌を絡ませる恍惚に比べたら物足りない。
何か強烈に焦らされているような顔をして…つい相手の緑の目に訴えかけるような視線を向けてしまった。
 すると指を引き抜いて、再び深い口付けをされた。

(セレストとキスするのって…気持ちいい)

 する度に思い知らされる。
どうして唇と唇を重ねるだけで、互いの舌を相手の口内に忍ばせるだけでこれ程
までの快感が生まれるのか。
 湿った音と、相手から与えられる刺激だけに全ての意識が集中した。
 カナンがベッドに腰を掛けて、セレストがその上に覆いかぶさるような体勢だったが、
ついにその少年の身体はシーツの上に縫い付けられていた。
 自分を組み敷く男の表情を見て、再び背筋に悪寒にも似た感覚が走った。

「やぁ…あまり見るな」

 キスを散々されてうっとりとしている自分の顔なんて、見られたくない。
なのにそうやって顔を隠そうとすると、大きな手がそれを阻んだ。
ジッと顔を見つめられて余計に気持ちが落ち着かなくなっていった。

 …流されて、しまいそうだ。

「どうしてですか? 今のカナン様の顔は…とてもキレイですよ」

「キレイだ何て…言うな、バカ者」

「お可愛いらしいとおっしゃるよりかはマシでしょう? それに本当の事ですよ」

 いつものようにチョップの一つでもお見舞いしてやろうかと思ったが、それも止められた。

何か…いつもの彼らしくなくて、少し不安になる。

 普段ならこんな…誰が来るか判らない時間帯に自分に触れたりしないのに。
 確かに彼の言った通り、最初にキスをねだったのは自分だ。
 ちょっとしたくなったというか、目の前に相手がいたからつい…という軽い気持ちからだった。
 それにそういう時の青年の照れたり、動揺する顔が見たかったというのもあった。
 最初は案の定抵抗して、断固拒否をしていたが…ちょっとそれが頑なだったので
こちらもムキになって思いっきり舌を侵入させてやった。
 最初はこちらにされるがままだったのに…途中からはいつの間にか主導権はセレストの方に移っていた。
 こっちから仕掛けた筈なのに結果的に腰砕け状態に陥ったのはカナンの方であった。
 服の上から自分の胸の頂きを両方刺激されて、今度こそ少年は狼狽した。

「まっ、待て…セレスト、今は、今の時間帯は…誰が来るか、判らないんだぞ…」

「大丈夫ですよ、最後までは致しませんから…」

 そして耳元で、そっと囁く。心にズンと響く…セレストの少し低い声音。

「今は貴方だけ…気持ち良くしてさしあげますね」

 そして、王家の意向が施されたブローチ状のホックが外された。
だが、完全に脱がそうとはせずにその隙間から手を差し入れ、右の頂きだけに直接触れる。
 最初は少し冷たさを感じた指先が、自分のそこが反応していくと同時に熱くなっていく。

「んっ!」

 少しだけ痛みを感じるくらいに、つねられた。
 鼻に抜ける甘ったるい声。
それから小刻みに指を振動させ、反対側のは服越しであったが…こねくりまわされる。
 いつもならば、この辺りで唇での愛撫が振ってくる頃だ。
だが相手の顔はこちらを凝視していた。
 …余す所なく、こちらの痴態を観察されているような気分だ。
頭の先まで火照ってしまいそうでつい顔を逸らすと、その首筋に唇を這わされる。
 服を脱がないで…こんな行為をする事なんて初めてだ。
 自分だけ脱がされれば、いつものようにそれは嫌だといって一緒に服を脱ぐ事も出来た。
 だが服の隙間から忍び入れられている状態では…何と言っていいのか判らなかった。

「やぁ…もうすぐ、誰か…」

 夕食がもうすぐ始まる。
今の時期ならば空の朱が完全に成りを潜めた頃までに食卓についていなければ
誰かが呼びに来るだろう。

 扉の鍵は、閉まっていない。

 こんな状態では、集中なんて出来ない。
なのに…セレストはこちらを追い上げていく。
自分のそんな考えなんか嘲笑うかのように。
 キスと胸への愛撫だけで…すでにカナンの中心は熱くたぎっていた
自己主張を始め、張り詰めて来ているのは自分でも判った。

「なら…早く終わらせましょうか? 下手な抵抗なんてしなければ、すぐに…気持ち
よくなれますよ?」

「な、そんな事…」

 出来る訳がない。だがセレストは今、そのスリルを楽しんでいた。
 普段は理性の塊の男の筈だが、恋人の無邪気な誘惑に…常日頃隠している欲望に
火がつけられてしまったらしい。

 夕暮れ…逢魔ヶ刻。

 魔物が人の世に混ざり、存在しやすいとされている刻。

 今セレストは囚われているのかも知れない。自らの心の中にある魔に…。
 本来なら隠さねばならない関係。
露見すれば、互いにただでは済まない。
理性でそれが判っていても…どこかでこの愛しい人間のこの艶やかな情景を、
姿を誰かに見せつけてやりたいという欲求があった。
 これは自分の…恋人なのだと主張したい。馬鹿げた考えであるとは思うが…。

「ひっ…うっ…」

 青年の手がカナンの性器をそっと包み込んで、慈しみ始める。
 その手はどこか優しくて…すでに火をつけられてしまった身体には満足出来ない。
 じわじわと高められていくが、それでも声を必死に出さないようにしていた。
 窓が開いている状況で…そんな大きな声を出してしまったら誰かに聞かれてしまうかも知れない。
 いつしか行為を止めさせようとする手は、口を必死に押さえているようになっていた。

(何でこんな事…)

 強烈な背徳感。

 いつもはそんな事自覚しなかった。
 だが、家族が…顔を知っている侍女が顔を出すかも知れないという不安。

 見られてしまうかも知れない恐怖。

 だが…それすらも今は快楽を高めるスパイスになっていた。
 セレストの身体がズラされ、気づけば自分のモノを口に含んでいた。
 いつもなら恥ずかしくて必死に止めさせようと躍起になるのだが…すでに蕩かされた
思考はその行為を受容していた。
 暖かなセレストの口内が、カナンの先端をそっと包み込んだ。
 舌先で鈴口を丹念に突付かれ、舐られる。
自分の官能の袋を揉みしだかれ、余った皮を上下に扱かれた。

「あ…ふっ…う…」

 セレストの唾液と自分の先走りが溢れて、伝っていくのが判った。
 先端から…恍惚が滲み出た。
 もっと決定的なものが欲しくて、無意識の内に腰を押し付けていた。
 こんな淫らな自分は…知らない。

「カナン様のここ…ピンクで愛らしいですね」

「なっ…」

 唇を離してそっと囁かれたあんまりな言葉に、眩暈を感じる程の羞恥を感じた。
「ほら…ヒクヒクしてますよ」

「言うな…バカァ」

 チュッとそれに優しくキスを落とす。
 ドクドクと激しく脈を打っているのが自分でも判った。
セレストが触れている部分だけ、もう己の身体ではなくなってしまったのではないか…
そう感じるくらい思い通りにならないし、過剰な反応をしていた。

「んっ…く」

もう一回含まれて、喉の奥で締め付けられて。
少しだけ苦しそうな呻き声をセレストは漏らした。
だが、中断しようとするつもりは毛頭もないようだった。
筋を辿られて、感じる全ての部分をその手と舌で容赦なく責められて…頭が
真っ白になっていく。息が上がり、体中から汗が浮かんでいく。
 頂点に上りつめる為に、反射的に息を詰める。
苦しさと…極上の高みが同時にカナンを苛む。そして…少年の熱い樹液が青年の口内に迸った。

「アァァァ!」

 その瞬間何も考えられなくなった。
 そして、波が押し寄せて…緩やかに引いていく。
余韻が…酩酊感が心地良い。
 ようやく余裕が生じて空を眺めると…すでに紺碧のベールが空を覆っていた。

「うわっ! 夕食…」

 そういって慌てて乱れた衣服を取り繕い始める。
基本的に脱がされた訳ではなかったので、すぐにいつも通りの状態に戻す事が出来た。
 同時に響く、ノックの音。

「カナン様。すでに夕食のお時間ですが…」

 馴染みのある侍女の声がノック音と同時に聞こえてきた。

「今そちらに向かう。少し待っていてくれ」

「了解致しました」

 そして、ドアの向こうから相手の気配は消えた。
 それからようやくセレストに向き直り、強烈なチョップを食らわした。

「セレストのバカ者!」

「あて!」

 うっすらと涙すら浮かべながら、カナンは文句を言い始めた。

「あ、あんな事…よくもこんな時にしてくれたな!」

「それより…夕食は宜しいんですか?」

 そういってふいをつかれて口にキスを一つ、落とされた。
 その言葉と行動に、カナンの言論は封殺されてしまった。

「うー!」

「早く行きませんと、陛下やリグナム様が心配なされますよ?」

 その元凶はいけしゃあしゃあと言い放った。
もっと言いたい事はいっぱいあったし、チョップの一つくらいじゃ全然気が済まなかったが…
大体の言葉を呑み込んで一つだけ問いかけた。

「どうして…あんな時にこんな事…したんだ?」

「カナン様にキスをされたら、もっと貴方の感じている顔が見たくなったんですよ…」

 こっちが面食らうような事を平然と言い、キレイに微笑む。
 行為の最中の真摯さすら感じるような表情ではなく、いつもの穏やかな彼。

「後でまた、部屋に伺わせて頂きますね」

 手の甲にそっとキスしながら、立ち上がり…そしてセレストは退室していった。
 青年もまた騎士団の宿舎の方で夕飯が用意されている頃合だ。
どうにか混乱し動揺している自分を宥め…カナンは食堂に駆けていった。

                    *

 食堂に辿り着くと少し心配はされたが、平気な顔をして自分の席についた。
 まだ母のカタリナは実家から戻っていなのが…父のリプトン、兄のリグナム、
姉のリナリアはすでに自分の席についていた。
 目の前の食事に手をつけられていない事から、どうやら自分を待ってくれていたようだった。
自分の席にはすでに暖かな湯気が立ち上る料理と食器類が並べられていた。
 このルーキウス国の王族は他国に比べれば、そう豪奢な食事を毎日取っている訳ではない。
殆ど一般庶民と同等かそれくらいの食事の質ではあった。
 ファークでサラダをつつき、スプーンでで新じゃががいっぱい入ったシチューに口をつける。
美味しいと、心から感じた。
 他愛無い雑談をしながら、食事は進んでいく。
 それに少しだけ、違和感を感じた。

(さっきはあんな事をしていたのにな…)

 今シチューを味わっている舌で、快楽を求めていた。
 このスプーンを持った手で、自分の声を必死に押しとどめていた。
 自分の思うように動く身体がセレストの愛撫に奔走されて、信じられないくらいに
淫らな反応を返していた。
 それはほんの30分も前の事ではない。それが不思議でしょうがなかった。
 その事を考えていると、自然に手が止まり無言になった。それに訝しげに思ったのか
兄のリグナムが問いかけてきた。

「カナン…どうしたんだい? 調子でも悪いのかい?」

「んむ〜食欲がないのかの〜?」

「あら〜それともおやつをいっぱい食べたのでーお腹空いていないのかしら?」

 皆こちらの体調を気遣う言葉ばかりで、あのような事をしていた事など彼らは気づきも、
考え付きもしないだろう。

「いえ…先程目を通した書物に、ちょっと理解出来ない所があったので、どうやって
解析しようかというのを考えていただけです」

 スラスラと信じられないくらいに、流暢に嘘の言葉…いや、その内容自体は嘘ではない。
 だが何を思っていたかなんか口に出来る訳がないし、伝えるつもりもなかった。

「はは…カナンはそういったものに熱心になるというか…ムキになる所があるからな。
根を詰めすぎない程度にやりなさい」

「はい、お気遣いありがとうございます兄上」

 日常の中にスルリと入り込んで来る、非日常。

 ついさっきまでの事が夢か幻の事であったかのように、普通に振舞っている自分がいた。
 それは仮面。自分の真実を知られない為に無意識の内につけているもの。
 そして…その仮面を外した先にいるのが…先程の自分なのだろうか。
 血が沸騰するような、圧倒的な記憶。
そんな事を頭で考えているくせに、家族と笑い平気な顔して食事を続けていた。
 熱が身体の奥で疼いている。さっき上り詰めたくせに…もっと強烈なものを望んでいた。

『後でまた、部屋に伺わせて頂きますね』

 その言葉が意図するものを理解し、それを待ち受けている自分がいた。
 それを認めるのは凄く腹立たしいけれど…。

(本当にいつから僕はこうなってしまったのだろう…?)

 相手の行為が、心と身体に深く刻まれてしまっていた。

 誰にも知られる訳にもいかないのに。
本当ならこんな行為は出来る限りしない方が露見する危険を少しでも減らせるのに。

 それでも相手を時折強く希求してしまう。
 先程のだって…セレストのその気持ちの結果だというのが判っているから、真の意味での
拒絶をする段階にまで達しない。

「ご馳走様でした」

 にこやかに微笑みながら、食事を終えた。
 多分家族に悟られる事はない。
 心を隠す事くらい、自分にとって何でもない事だから。
 あの時間を…セレストと共有するあの濃厚な時間を守る為ならそれくらいの嘘を平気でつけた。
 ほんの少し前まで、まさか何より大事な家族に…そんな隠し事をする日が来るなんて
思いもしなかったけれど…。

 食堂を出てすぐの所にあるテラスに出た。夜風が、火照った身体を冷やしてくれた。
 真円の月が煌々と夜空に浮かんでいた。
 まだ低い所にあるそれが、もう少し高い位置に移動した頃に彼はまた訪れるだろう。

 早くその時間が訪れれば…と望んでいた。
 この仮面を外すのはきっと…彼の前だけなのだから。
 カナンもまた、強く彼を求める気持ちを抑える事など…出来ないでいた。

   多分、今夜自分は抱かれる。
 彼のあの…落ち着く事が出来る腕の中に…。
 素顔の自分を…晒しながら。
 その事を考えた時、再び熱が…カナンの中に生まれていた。

(お前に会いたい…な)

 さっきまで一緒にいたというのに、もっと共に在りたいという気持ちが生まれた。
 そしてカナンはこの世にただ一人…静める事が出来る人間の事だけを考え続けていた。
 愛しい…男のことだけを。

                                      Fin  

後書き

 ちょっと思いついて…書いてみたいなと思ったので書き出して見ました。
 何か妙に従者が強引で鬼畜入っています、イヤン(照れ)
 カナン様がちょっと、普段より可愛い気かします。
まあこういうシチエーションではやっぱり集中出来なくて、いつものように
強気にはなれないかと。

 最後までしていないけど、妙にエロいという話を書いてみたかったので挑戦して
みましたが…どうでしょうか?
 後、ラストの家族の食卓。
これ…結構恋人がいた経験がある人間なら共感出来るものがあるんではと思います。
 恋人と二人の時は、自分の身体も何もかも、いつもと違うものになっているという感覚。
これをちょっと表現したくて執筆してみたり…。
しかしセレスト平気な顔をしていますが、実は相当我慢しています。
 その為恐らくこの後二人は盛り上がりまくっている事でしょう(笑)
 あんまり甘くない話ですいません。その代わり次の話は極甘になる予定…ハハハ。

                                                                




以前に頂いた”翳り”の前作に当たる御話です。なんか、本当にもらってしまっていいのやら…と恐縮してばかり。申し訳ないとは思います。
話がわからない方のために…という御好意にすっかり甘えてしまった私はただの駄目人間ですね……。
高宮様、本当にありがとうございました。

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