エクレア
カナンのおやつは大抵が城お抱えの料理人が作る。例外があるのは、姉姫であるリナリアが手作りのおやつを作ったりとした場合だ。
「明日のおやつはいらないから」
侍女に伝えると、そう厨房に伝えてもらえる。カナンが直接言うか、セレストが伝えるかなかのどちらかになる。今日はカナンが侍女に伝えた。理由は秘密というと、あまりセレスト様を困らせないでくださいね、と言われてしまった。失礼な話である。
「セレストはまだかな……」
呟いて、カナンは部屋の扉を見つめる。今日のおやつを辞退した原因はいつもの時間が近付いても、まだ来る気配を見せない。
「早く来ないかな……」
城下のケーキ屋で午後から限定のエクレアをセレストが買ってくるという約束をした。美味しいと評判のそれは午後一番でないとなかなかに買えない。セレストが昼休みに抜け出して、買ってくるという手筈になっているのだ。
コンコン。待ちわびたノックの音にカナンは顔を上げた。
「遅いぞ、セレスト」
責める口調とは裏腹に声が弾んでいる。そんなカナンにセレストはクスリと笑った。
「私はいつもの時間通りに来ましたよ?」
「僕は待ち詫びていたんだぞ。抜け出さずにおとなしく、な。だから、」
その口調も大変に可愛らしくて、笑みをこらえるのは大変である。下手に機嫌を損ねてしまったら、後々が大変なのだ。だから、その辺はごまかしてしまうに限る。
「でも、カナン様。楽しみは後になればなるほど、大きくなりませんか?」
「確かに、だ。だが、大きくなりすぎて、パンク寸前になっても意味はないだろう?」
生憎、カナンはごまかされてはくれない。それだけ、セレストの来訪を、…というより、彼が買ってきたエクレアを待ち望んでいたのだ。
「今から、お茶を入れますから待ってくださいね」
「うむ」
暫くして、香り高い紅茶が入れられ、エクレアと共にだされた。
「いただきまーす」
食べる前には手を合わせてご挨拶。これはいい子の基本だ。だが、次の行動に問題があった。
「カナン様、手掴みで食べるのはお行儀が悪いですよ!」
「いいじゃないか。こうやって食べると美味しいぞ?」
アーんと手にしたエクレアをおいしそうにぱくつくカナンにセレストはたしなめようとするが、当の本人がどこ吹く風とばかりに受け流していては意味がない。
「それより、お前も食べたらどうだ?」
袋の中に入っていたエクレアは二つ。
「いえ。私はいいです。一つだけだと買うのに何だか申し訳ない気がして、カナン様にもう一つと思いましたから」
育ち盛りはまさに食べ盛り。エクレアを二つ食べたくらいでは夕食にはサチ仕えはしないと言う判断でもある。
「だが、それではお前に悪い。せっかく買ってきたんだ。お前も食べろ。それに、僕は言ったはずだ。一緒に食べようって」
「……わかりました。頂きます」
カナンのその言葉にセレストは軽く微笑んで、エクレアを食べ始めた。
「あ、美味しいですね。それほど甘さを感じない……」
「ああ。みたいだな。このかかっているチョコレートがそうさせているのだろうな」
エクレアにかかっているチョコレートは甘くないビターチョコレート。その苦味が中のカスタードクリームの美味しさをさらに引き立てている。味わいながら食べているために、しばしの沈黙が部屋を流れていった。
「…っと……」
「ああ、ほら、言わんこっちゃないでしょう?」
沈黙を破ったのは中のカスタードクリームがカナンの手にこぼれたから。ため息をつくと、セレストは食べていたエクレアを置いて、ハンカチを取り出そうとした。
「だから、ちゃんとフォークとナイフを用意しましたのに……」
ぶつぶつ言いながら、セレストがハンカチを手渡そうとすると、カナンはその手を振り払い、そのままクリームがついた手をセレストに差し出した。
「カナン様?」
「昨日の復習をさせてやる」
「……あの、それは……」
「今は二人っきりだ。悪目立ちのしようもない」
カナンの言葉の意味するところをわかりすぎてしまっているので、セレストは躊躇いを隠さない。
「早くしろ。僕の手に蟻がたかってきたらどうする?」
「……怖いことをおっしゃらないでください」
想像すると、なかなかにおぞましい光景にげんなりとセレストは言葉を返す。
「早くしないと、お前の顔にエクレアを押付けて、舐めるぞ?」
「まったく、あなたと言う方は……」
言うことも、意図するところもそれなりに可愛らしいとは思う。けれど、その行動に至るまでの過程が大変だ。
「わかりました、失礼します……」
そう答えると、セレストは恭しくカナンの手を取った。
最初は遠慮がちに、けれど、一度軽く舐めとってからは丁寧に拭いよるように。
(え……?)
カスタードクリームがついたのは手のひらと中指と薬指の真ん中まで。セレストは丁寧に丁寧に舐めとっている。
(な、何か、やばい気がしてくるのは気のせいか……)
セレストはただカスタードクリームを舐めているだけだ。そう信じている。それなのに、心臓がどきどきしてとまらない。まるで、自分だけがその気になっているようだ。
「カナン様?」
セレストが顔を上げて、カナンの様子を伺ってくる。
「あの、やはり、ハンカチで拭いたほうがいいですか?」
「い、いや。いい。そのまま続けてくれ」
「……わかりました」
丁寧に丁寧に。何度もセレストの舌がカナンの手のひらを往復する。手のひらから指に。指の股を何度もなぶるかのように舐めとられる。いつしか、カナンの体が細かく震え始めていた。
(……やはり、な)
ちらりとセレストが視線を向けると、何かをこらえるようにカナンは目を閉じている。時々、大きな息を無意識についていることにも気づいてもいない。
やめるべきだったかな……)
昨日、自分が指を舐められたときも結構来るものがあったのだ。こういうことに慣れていないか何の場合、なおさらだろう。セレストが躊躇った理由はそこにもあるのだが、そういうシチュエーションに実際にならないと人間、わからないものだ。そして、もうひとつの問題が。
(まだ、昼間で、俺は仕事中で……)
何度も自分の中で念仏のように繰り返す。そういう表情を見てしまったら、やはり暴走してしまいそうになるのが人間の性で。それをこらえるのは苦痛にも等しい。これが夜の帳に覆われた時刻であれば、まだ抑えようもあるのに。残念ながら、今は執務中だ。そういうことに及ぶのには良心が痛む。思いっきりそういう衝動を押し殺しながら、セレストはカナンの手を清め続けた。
「終わりましたよ、カナン様……」
ようやく、すべてのクリームを舐め終えると、セレストはそう声をかける。
「ん……」
だが、当のカナンはぼんやりとした様子。ほほもわずかながらに紅潮していて。瞳は潤んでいて。セレストは自分の中の衝動を必死に押さえ込むしかない。
「これからはこぼさないように気をつけてくださいね。やはり、ナイフとフォークを使ってですね……」
自分の気をそらすためにも、そうセレストがカナンに声をかけると、カナンはゆっくりと首を振って、セレストの腕をつかんだ。
「カ、カナン様?」
「……責任取れ、馬鹿者!」
「せ、責任って!?」
いきなりの言葉にセレストは慌てふためく。おそらくはそういうことの責任なのだろう。それがわかっているだけに、なるべくは避けたいと思うのだ。
「ぼ、僕だけその気にさせたっていうのか? それはないだろう?」
「そ、その気って。舐めろとおっしゃったのはカナン様でしょう? 私に責任転嫁しないでくださいよ!」
「うるさい! じゃあ、僕がお前をその気にさせればいいんだな?」
そういうなり、カナンはセレストの制服に手をかけようとした。
「お、お待ちください。そういう意味ではなくて! せ、せめて鍵をかけてからにしませんか?」
「あ……」
鍵の言葉にようやく冷静になったのか、カナンは真っ赤な顔になる。まるで、自分だけが欲しがっていたみたいで、浅ましくて。なんだか、情けないとすら思ってしまう。
「ぼ、僕は……」
「私は役得みたいなもの、ですね? しばらくお待ちくださいね」
部屋の鍵をかけると、セレストはカナンの前に膝をついた。
「カナン様……」
「セレスト……」
いつもはカナンがセレストを見上げる形だから、こういう形で視線を向けられるのはあまりないことで(もともと、跪かれるのは好きではないこともある)、見上げられる形のセレストの視線にか何の鼓動が高鳴る。熱い情熱を込めたまなざし。
「ふ……」
手を引かれると、唇を奪われる。情熱的なほどの口付けは経験値の少ないカナンには翻弄されるばかりである。
「ん、ぅ……」
深く舌を絡めとられ、口内を貪られる。驚くほど簡単に力の抜けた身体はセレストに寄りかかってくる。それをやすやすと受け止め、セレストはその唇を思いのままに味わった。
「甘い、ですね……」
「エクレアを食べていたからな……」
そう嘯くカナンがかわいくて、笑みをこぼす。愛しさだけが増すばかり。
「でも、カナン様とのキスはいつだって甘美な味わいですよ?」
「馬鹿者…!」
真っ赤になって、チョップを落とそうと下手をやすやすとつかまれる。
「う〜」
抗議の視線すら、いとおしく感じるのはある意味末期であろう。それは十分に自覚はしているけれど、いまさら、止められるはずが無い。
「失礼いたします」
「ん……」
カナンを抱き上げて、天蓋付きのベッドに横たえて、再びキスを送る。滑らかな肌に触れて、むさぼって。
甘い時間はまだまだ終わることは無い……。
エクレア編だったりします。なんつーか、今書いても、こんなノリかもw