パンとバレンタイン



 きっかけは、シェリルの店のパン屋さんでの新作パンの話だった。
「美味しいんですよ。生地はもちもちしてて、中のクリームは甘すぎないチョコクリームで……」
「そうなのか? 食べてみたいなぁ……」
 目をきらきらさせるカナンにセレストは苦笑する。
「ええ。今度、持ってきますね」
 そんな会話だった。兄馬鹿といわれても、すごく美味しかったし。食べてもらいたいと思ったのも事実で。
自分が買ってこないと、この王子様は自分で買いに行くと言い出しかねなくて。
「じゃあ、二月の二週目の土曜日で」
「えっと、14日ですか?」
「ああ。その日でいい。出なければ、自分で買いにいくぞ」
「その日にいたします……」
 などと、約束をしたのが一月下旬のことであった。


 昼休みに買い物があるからと、城下に抜け出すセレストに同僚たちがからかいの声を投げつけた。意味が
わからずに、城下に急ぐセレストに侍女たちが声をかけようとする。だが、そのたびに、
「ああ。すまない。急いでるんで」
 そう答えて、彼女たちのため息を生ませる原因になったことは本人は気づいていないようだった。
「お兄ちゃん、頼まれてたの。はい」
「ああ、ありがとう。カナン様も喜ぶよ」
 あらかじめ、シェリルに話をしておいて、パンをとりおきしてもらっていた。
「ふふ。今日はバレンタインデーだから、ラッピングも特別。お代はいいよ。私からのバレンタインのプレゼント」
「……バレンタイン?」
 小さなパンをひとつずつラッピングしてあるそれとシェリルの言葉にセレストははた、と思い出した。そう、今日は
バレンタインデーだった。世間一般の恋愛からは離れていた(笑)ので、そういうイベントごとからはすっかり頭が
離れていた。
「お兄ちゃん、美味しいチョコレートをもらったら持ってきてね。お兄ちゃんのは本命が多いだろうし」
 無邪気にそういう妹に複雑な心境の兄であったことは言うまでもない。


 そして、いつものようにカナンの元に上がる時間。お茶の用意とパンを持ってセレストはカナンの元に上がった。
その間も、侍女たちから声をかけられたが、荷物が多いから受け取れない様子のセレストを見て、侍女たちはため
息をつくしかなかった。
「カナン様、失礼いたします」
「うむ」
 鷹揚にカナンは迎え入れてくれる。
「シェリルからのバレンタインの贈り物でサービスしてくれました」
「そうか。そのつもりはなかったんだが」
 ラッピングされたパンを手にとって、カナンは楽しそうに笑う。ミルクティーを入れて、二人でソファに腰掛けて。
「美味しい……。こういうパンは初めてだが、すごく美味しいぞ」
「そうでしょう?」
 満足げなカナンにセレストも大満足だ。
「すみません、情けないんですけど……。今日はバレンタインだということを忘れてました……」
「……だろうな」
「すみません……」
 情けない…といった顔をする従者にカナンは満面の笑み。
「だから、お前から、これを買ってもらって気分を味わってみたかったんだ」
「シェリルのおごりなんですよ……」
「……いいけど」
 どうせ、自己満足のイベントだ。だが、セレストの行動はカナンの予想を上回っていた。
「その代わりに。たいしたものじゃないんですけど……」
 そう言いながら、ポケットから出したのは小さな金属のボールだった。キーホルダーになっている。
「何だ」
「手にとってもらえますか?」
 言われるままに手をとると、シャリン…という涼しげな音が聞こえた。
「わぁ……」
「雑貨屋に入って最初に見えたのがそれで……」
「嬉しいぞ」
「それはよかったです」
 嬉しそうなカナンにセレストもまんざらではない。
「僕からもプレゼントがあるんだ」
「プレゼント」
「ありきたりなものじゃ面白くないからな」
 そう言って、カナンは丁寧にラッピングされた箱を取りだす。そして、自分の手首にリボンをつけた。
「カナン様?」
「僕の手から、食べさせてもらうって言うのはどうだ?」
「……」
 理性を試されているのか、逡巡するところである。無邪気な笑顔がそこにあるから、なおさらだ。王子と従者の
甘い午後はその後どうなったのかは…二人だけの秘密である。


帰り道にあるパン屋のチョコ入りのもちもちしたパンが美味しいんです〜。そこから、思いつきましたw ちなみにセレストの贈り物は
友人が雑貨屋で見ていたものです。あれ、ハーモニーボールだっけ?