Tears of rain
| 最後のあがきかのように崩れ落ちて行く洞窟。逃げ惑う私たち。八翼の堕ちたる天使、ウルネリスの翼をようやく 一体を封じ込めた私たちは力も精神も疲れ果てていた。逃げることにとにかく必死だった。 「危ない、ルーシャス!」 それでも、その瞬間だけはスローモーションのように私の瞳には映った。突然、大きな岩がルーシャスの頭上に 降ってきて。間に合わない、と思った瞬間、ルーシャスは誰かに突き飛ばされていた。 「ロイ?!」 「兄さん?!」 私とルーシャスの叫びはほぼ同時だった。目の前で崩れ落ちた岩は私たちと兄を引き離すのに十分だった。 「ロイ!」 幻獣を召喚しようとする彼を止めたのは、私ではなく、他の仲間でもなく、兄の言葉だった。 「ルー、行け……。もう、時間はない……。ここが崩れ落ちるのも、俺も……」 不思議なことに兄の声は落ち着いていた。多分、助からないことを悟っていたのだろう。 「ロイ……」 苦しげにルーシャスの顔が歪んだ。血がにじむほどに唇を噛み締めて。 「めでたし、めでたしってやつ……?」 私にはその言葉の意味がわからなかった。けれど、それは兄とルーシャスにとっては大切な言葉だと言うことは 知っていた。 「行こう……」 不意にルーシャスが私の手を掴み、引きずるようにその場を後にしようとする。 「ルーシャス?」 「早くしろ! 僕達まで巻き込まれたら、元も子もないだろう!」 その言葉にその場に凍りついていた他の仲間達も動き出す。 「行け、ルーシャス……」 兄の声がどこか遠くで聞こえた気がした。 ようやく洞窟を抜け出した私たちが最初に見たものはどこまでも広がる青空だった。 「終ったな……」 誰ともなく、呟かれた言葉。ウルネリスを倒したわけではないけれど、その一部を封印しただけでも大きな成果だ。 恐怖を与えるだけの存在は当分はいない。彼等が力を取り戻すのにはかなりの時を費やすはずだ。ならば、今の うちに封印を強化して、彼等の恐怖を取り除かなければいけない。それに、皆が笑って暮らせる場所を作らないと いけない。兄とルーシャスが望んでいたこと。やることは何だってある。悲しみに浸っている暇はない。 「ごめんね……」 不意にルーシャスが口を開いた。 「ルーシャス?」 戸惑う私にルーシャスは幼子のように謝るだけ。 「ごめんね、僕をかばって、ロイは……」 ひどく焦燥した表情。こんなルーシャスは見たことがない。 「ルーシャス、あの……」 「僕を憎んでもいいよ……。僕はロイを見捨てたんだから……」 その言葉に私は首を振るしかなかった。それは半ば覚悟していたことだったのだ。ルーシャスは知らない。私と 兄の約束を。 『俺はお前をかばえないからな』 ルーシャスと旅をすると決めた日の夜、兄は私にそう言った。 『もし、お前とルーシャスの二人が危険に陥ったら、俺は間違いなくルーシャスを先に助ける。どちらか一人という なら、ルーシャスを選ぶ。あいつはこの戦いに一番必要な人間だからな』 もしも、私がそれに不満を持つのなら、ついてくるなとも言われた。私は納得して、二人についてきたのだ。 私を見捨てる覚悟をしている兄がルーシャスのために命を落とす覚悟をしていないはずがない。だから、私は ルーシャスを責めはしない。けれど、その言葉はルーシャスには届かない。陽気でいつもこのたびの雰囲気を 明るくしていた彼が初めて見せる表情にはどんな言葉も通じないと感じたからだ。そう、どんな言葉も……。 それからは怒涛の日々だった。ウルネリスの一翼を封印したダンジョンに封印獣に配置して、この地に住んで いた人たちに請われて、国づくりを始めて……。やるべきことに追いかけられてゆく毎日の中、ルーシャスはその 中心となって働いていた。そして、そんな彼を王にと、誰ともなく言い出した。彼は困ったような顔をしながらも断り きれずに、それを受諾して。私たちは忙しい毎日を過ごしていた。 忙しい日々は悲しみを忘れさせてくれる。少なくとも、私はそうだった。そして、私は自分の悲しみと毎日の生活に 精一杯で。周りが見えていなかった。私を慰めてくれる仲間達の気遣いを感じていながらも、私以上に苦しんで いる人に気づいていなかった。そう、あの時までは……。 しとしとと、振りそぼる雨の中。立ち尽くす人。 「……ルーシャス?」 雨が振っているのにも拘らず、傘も差さずにルーシャスはその場を動かない。私は慌てて、傘を持って外に出た。 「何をしてるの、ルーシャス! 風邪をひくじゃない……!」 「……」 私の言葉が届いていないのか、ルーシャスの瞳は遠くを見つめたまま。私はその視線の先を追って絶句した。 そこは兄が眠る場所。 「ごめん、ね……」 「ルーシャス?」 ゆっくりと振り返ったルーシャスが私に謝る。あの時と同じ表情で。 「僕のせいで……。僕をかばったから……」 「ルーシャス、あなた……」 おろかにも私は気づいてなかったのだ。この人がどんなに苦しんでいたのかを。 「僕を憎んでもいいんだよ?」 その言葉の本当の意味。そう、いっそ、憎まれてしまうほうが気が楽だったのだ。私が何も言わなかったことがこの 人をこんなに苦しませていたなんて。 「ルーシャス……」 気がついたら、私は彼を抱きしめていた。兄なら、きっとこうしていたから。 「……どうしたの? 君まで濡れてしまうよ? そしたら、僕はロイに怒られるよ……」 「違うわ。あなたに何かがあったら、私が兄さんに怒られるわ。お願い、もう自分を責めないで……」 冷たい身体。その冷たさの分、この人は自分を責め続けていたのだろうか? 一人で抱え込んで……。 「馬鹿だわ、兄さんは……」 自然にこぼれた言葉だった。こんなにももろい人を置いていってしまった。この人はきっと私が思うよりも強い人じゃ ない。それを兄はわかっていたはずなのに。仕方のないことだけれど、それでも、そう思わざるを得なかった。 「風邪をひくよ……」 「それはあなたの方が先でしょう? あなたが気が済むまで、私は付き合うわ……」 兄の代わりに私があなたを抱きしめる。この腕は小さいけれど。兄の代わりにはなれないけれど。それでも、あなたに ぬくもりをつたられるように。いつか、この悲しみが昇華できるまで……。 |
「菜種時雨」と言う曲を聴いた時に、ロイの妹から見たルーシャス様を書いてみたいとふと思いました。そして、こんな話になりました。
女性のほうが強いです、色々と。…ひそかにロイ×ルーです。だから、兄の分を抱きしめてあげられる女性にしました。
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