小さな誓い



 緑が目にも鮮やかな新緑の季節。気候がいいこの時期は外で何かをするにはちょうどいい時期だ。
「こうして、王子様と結婚してお姫様は幸福に暮らしました。めでたし、めでたし」
 読み終えると、リナリアはパタン、と本を閉じる。小国とはいえ、600年の伝統を持つルーキ
ウス王国第一王女にそんなことをしてもらえる人間は数少ない。
「姉上、ありがとうございます」
 外見の幼さとは相反して、しっかりした口調で礼を述べるのは、第二王子であるカナン。つまり
リナリアの弟だ。
「あら、そう? いつも、セレストが読み聞かせるような話でないから、退屈かと思ったのだけれど」
「いえ、王子が悪い魔女を滅ぼす場面はワクワクしました」
 両の手を握り締めて力説するカナンに傍に控えている侍女たちはクスクス笑う。ようやく片手で
年が余らない年齢になった小さな王子様の外見と口調のアンバランスさと、それがもたらす可愛らしさについつい、だ。
「そう、それならよかったわ」
 おっとりとリナリアは笑みを浮かべる。
「で、姉上。お聞きしたいのですが」
「あら、なぁに?」
 おっとりと小首を傾げる様子も何処か優美なリナリアにカナンは疑問をぶつけた。
「結婚って何ですか」
「結婚?」
「はい、結婚です」
 王子様とお姫様の物語はたいていが結婚して幸福になりました…だから、幸福になれることは幼いカナンにもわかる
こと。
「何か特別な魔法なのですか?」
「魔法じゃないわ。約束することよ」
「約束、ですか?」
 きょとんとするカナンにリナリアはのほほんとした笑顔を浮かべながら答えた。
「大好きな人とずっと一緒にいることを神様に約束するの。そして、指輪の交換と誓いの口付けをね」
「大好きな人とですか?」
「そうよ」
 幼い姉弟の可愛らしい会話はとても微笑えましい。
「じゃあ、僕は姉上と結婚がしたいです」
「あら、駄目よ。姉弟では結婚は出来ないの」
「じゃあ、兄上とも結婚できないのですか? 父上や母上は?」
「父上と母上は結婚してるでしょう。だから、無理なのよ」
「そうなのですか……」
 大好きな家族とずっと一緒にいたいからという可愛らしい理由。
「カナン様、ご家族ならば、結婚なさらずともずっと一緒におられますよ」
 あまりにも残念そうな顔をする末王子にフォローを忘れない。王族という立場上、あまり家族といられない寂しさからの
言葉なのだから。
「じゃあ、他の大好きな人とならいいんですね」
「そうねえ」
「じゃあ、僕、結婚したい人がいます」
 声高々に宣言するカナン。
「あら、そうなの?」
「はい、姉上……」
 はきはきと言葉を続けようとするカナン。だが、次の言葉はあっさりと消えてしまった。
「こちらにおいででしたか、カナン様」
「セレスト!」
 カナンの守役兼従者であるセレストがやって来て、カナンの気はそちらに集中する。
「ごきげんよう、リナリア様」
「こんにちは、セレスト」
 リナリアに挨拶をして、セレストは自らの主である少年王子に笑みを向けた。
「今日は遅かったな。待ちくたびれたぞ」
「申し訳ありません、課題に時間がかかりまして……」
 そう言って、セレストは頭を下げる。まだ、12歳になったばかりのこの少年はカナンの従者兼遊び相手として、城に
参上している。学校が終わってから、騎士団長である父に剣の稽古をつけてもらい、カナンと遊ぶ毎日なのだ。
「早く騎士になれ。そしたら、僕は待たずにすむのに」
「努力します」
 本格的に騎士としての教育を受けられるのには3年後の話で。セレスト自身が剣の腕が立つといっても話は別だ。
こればっかりはどうしようもない。騎士団で件の稽古をつけてもらっているのも、町道場の子供たちの中では相手になら
ないと踏んだ父親が連れてきたからだ。おかげで、下手な新米騎士よりも剣の型が決まっているし、腕も立つ。口には
出さないが、父であるアドルフ・アーヴィングのご自慢の息子であった。
「まぁ、いい。それより、早く遊ぼう!」
「はい、わかりました」
 小さな王子様と将来の騎士の可愛らしい会話に侍女たちは思わず笑みをこぼすしかなかった。小さな王子様なのに、
ちゃんとセレストの前では主の顔をして。それに付き合っているセレストもちゃんと従者の顔をしていて。微笑ましくて、
仕方がない。
 手をつないで、リナリアの元を辞する二人を見送って、ふとリナリアは小首をかしげた。
「カナンが結婚したい相手って、セレストかしらね……」
「まさか、セレスト様も男の子なんですから」
 リナリアの言葉に侍女たちは苦笑する。普通はまぁ、そうだ。
「でも、カナンの一番好きな相手はセレストだもの、ね」
 そう呟いて、リナリアはくすくす笑う。普段はのんびり屋の彼女ではあるが、女の勘というものはこの年齢でも持ち合
わせているようで、そして、それはなかなか鋭かったりした。


「カナン様、今日は何をして遊びますか?」
 晴れた日だから、今日も冒険ごっこかな…と答えを予想するセレストにカナンは瞳をキラキラさせて言った。
「今日はセレストとしたいことがあるんだ!」
「私と…ですか?」
「うん!」
 聞き返すセレストにカナンは満面の笑顔でうなずく。
「何をされたいんですか?」
 冒険ごっこじゃなければ、かくれんぼか鬼ごっこか。絵本を読むことかな…と考えるセレストに次のカナンの言葉は
衝撃的なものだった。
「セレストと結婚したい!」
「……は?」
 ピシッと、一瞬で凍りつく。今、さらりととんでもないことを言われたような気がした。
「聞こえなかったのか?」
 無邪気に問い掛けてくるカナンに夢でも、空耳でもなかったことが判明する。
「あ、あのですね、カナン様……」
「ん?」
「どうして、結婚って……」
 とんでもない爆弾発言にあたふたするセレストにカナンは無邪気に笑う。
「僕はセレストが大好きだからだ!」
 堂々と胸を張って。自分よりずっと年下の少年王子の無邪気なところはセレストも気に入っていたし、苦労はかけさせ
られても愛すべき美点だと思って入る。だが、この発言はいただけない。
「結婚というのは大好きな人とずっと一緒にいることを約束することだと姉上が仰った。だから、セレストと結婚したい」
「あ、あの、できないんですよ?」
「どうして?!」
「どうしてって、私もカナン様も男の子ですし……」
 当然の対応。だが、カナンは納得がいっていないようだ。
「姉弟では結婚できないって、姉上に言われた。兄上とも父上とも、母上ともできない、と。だから、同じくらい大好きな
セレストと結婚したいと思ったのに! セレストは僕が嫌いなのか?」
「い、いえ、ですから〜」
 泣きたい気分になってくる。同性では結婚できないとなぜ教えてくれなかったのか。思わず、心の中で嘆いてしまう。
「僕はセレストが大好きだから、一緒にいたいのに……。セレストは僕が嫌いなんだ……」
「ち、違います!」
 空色の大きな瞳にじんわり涙が浮かぶのを見て、あわててセレストは首を振る。
「私もカナン様のことが大好きです」
「じゃあ、どうして結婚してくれないんだ?」
「で、ですから〜」
 どこをどう説明すればいいのだろう。
(言ってることは可愛いんだけど……)
 ずっと一緒にいたいから結婚したい。それはかわいらしい言葉、だ。仕方なく、妥協案をとることにする。
「わかりました。でも、誰にも内緒ですよ? 約束できますか?」
 つくづく自分はこの小さな主に弱いことを再認識させられる。
「うん、する。絶対だ!」
 とたんに機嫌のよくなるカナンに脱力しつつ、セレストはふと手近に咲いていた白爪草に目を向ける。
「ちょっと待ってくださいね」
 白爪草を一本抜いて、小さな輪を作る。
「指輪か?」
「ええ。陛下も王妃様もなさっておられるでしょう?」
「僕も作る!」
「はいはい」
 見よう見まねで不器用ながらも、カナンも指輪を作る。
「じゃあ、しますね」
「うん!」
 期待いっぱいという顔で見上げてくるかカナンにいささかの照れくささを感じながら、セレストは恭しくその手をとった。
「私、セレスト・アーヴィングはカナン様の側にずっといることを誓います」
 本当の言葉は違うけれど、カナンの解釈どおりにすると、誓いの言葉はこれが一番いい。
「僕もセレストとずっと一緒にいることを誓います」
 嬉しそうに述べるカナンがとても可愛い。
「じゃあ、指輪の交換ですね」
 互いの指に白爪草の花の指輪をはめあって。これで真似事の結婚式は終わったとほっと息をつくセレストに対し、
カナンは物足りなさげな顔をする。
「誓いの口付けは?」
「は?」
 さらにとんでもないことを言われ、セレストは硬直する。
「誓いのキスもするものだろう?」
「〜」
 もうどうしろというのだろうか。
「やっぱり、セレストは僕のことが嫌いなんだ〜!」
「ああ、もう、わかりました!」
 こうなると、もうやけだ。セレストはひざまずいて、恐れ多いとは思いつつ小さな主君の頬に口付けを落とした。
「違う〜!!」
 絶叫に身をすくめる。この口付けが違うというなら、カナンの言うところはあれなのだろうが、セレストだって、初めての
それにはそれなりに夢を見ているわけだし。それに、主君の大事な初めてを自分が奪うわけにもいかないのだ。
「誓いの口付けは口にするんだ!! あの本でも王子様はそうしていた〜! やっぱり、セレストは僕が嫌いなんだ〜」
「で、ですが。カナン様、私は王子様ではないんですし……」
 はっきりいって、そういう問題ではないのだが、セレストももはや混乱していて、どうすればいいのかわからなくなってきていた。
「僕は王子様だぞ?」
「ですから〜」
「じゃあ、僕がすればいいんだな?」
「え?」
 セレストが身構える前に、カナンはひざまずいたままのセレストの顔を引き寄せて、チュッと唇にキスをした。
「カ、カナン様〜」
「これで結婚式は完了だな!」
 あまりにのことに唇を押さえ、呆然と絶句しているセレストのことを気になどせずに、満足そうな顔でカナンは笑う。その時、
偶然にとおりかかったリグナム殿下が怪訝そうな顔をしていてm所、セレストは何も返すことはできなかった。



 そんな騒動の後のお茶の時間。事情はわからないがいつものカナンのわがままのせいだろうと察したリグナムがセレストを
ねぎらうためにお茶にしようといってくれたのだ。セレストと裏腹にカナンは機嫌よさげにニコニコとしている。

「カナン、すごく嬉しそうね」
「内緒です」
 そう言いながらも、左手の薬指に指輪をつけたままの弟に期限がいい理由を察してしまう。
「誰と結婚したのかしら?」
「内緒です」
「でも、カナンの大好きな人とよね?」
「もちろんです!」
 複雑そうな顔でお茶に付き合っているセレストをちらりと見つめて、リナリアはクスリ、と笑う。
(白爪草の花言葉って、”約束”だったわね。エンゲージリングみたい)
 その意味を二人は知らないだろうけれど。仲良しさんがずっと一緒にいることはいいことだ…そう考えるリナリアであった。



 過去話です。セレストはこのころは騎士じゃなかったんでしょうけど。遊び相手として来てたのと、親父殿に剣の稽古もつけて
貰ってたんじゃないかな…と思ったので。