Only your sound


 パタパタパタ。毎週水曜日、午後三時半になると、決まって聞こえてくる足音にアリオスは加えていた煙草の火を消す。
元気のいい足音はそのままその足音の人物の性格そのままで、ついつい口元に笑みを浮かべてしまう。
「こんにちは、先生!」
 名門女子高の制服を翻して、入ってくる少女。急いできたのか、息を弾ませていて。
「おまえ…これから、ピアノを弾くのに息を切らしていてどうする」
「……だって、遅れちゃ失礼だからと思って、急いだんだもの」
 そう言うと、ぷいと顔を背け。ああいえば、こういう…自他とも認める勝ち気な少女。名前はアンジェリーク・コレット。
「……その心がけは認めてやる。だから、まず呼吸を整えろ」
「はぁい……」
 深く何度か深呼吸をするアンジェリークを横目に、アリオスはクッ…と笑う。
「馬鹿にしてる……」
「そりゃおまえの被害者妄想だ」
「何よ、それ!」
「ほら、呼吸が整ったんなら、レッスンに入るぞ」
「〜〜!」
 ふてくされながらも、スコアを受け取ると、アンジェリークは椅子に腰掛ける。
「ここの出だしは……」
 話題がレッスンのことになると、頭を切り替えたようにコクコクと頷く。そして、ピアノを弾く前に瞳を閉じて、深呼吸を一つ。
それが彼女の癖。そして、華奢な指先が旋律を奏でてゆく。そこからは彼女の世界。
(よっぽど、ピアノが好きなんだな……)
 ピアノに向かい合ったときの彼女の表情はどこか神聖なものを感じさせる。多分、それはアリオス自身にも通じる何か、だ。
一度ピアノを弾きだすと、そこから彼女の世界が広がり出す。何人にも侵せない空間。拙い少女の指先はそれでも彼女に
しか出せない世界を紡ぎあげてゆく。もっとも、そこまで導いたのはアリオスに他ならないが。
 出会ったのはまだアンジェリークが小学生の頃。生徒が来るまでの間、何気なくピアノを弾いていた時。パタパタと小さな
足音が聞こえ、パタン…と扉が開いた。
『今の曲…あなたが弾いていたの?』
 いきなり…である。だが、真剣な眼差し。
『ああ、そうだが』
『あの…あなたが先生?』
『そうだが?』
『私、こんなピアノが弾いてみたかったの! 私にピアノを教えてください!』
『……』
 さすがに絶句するしかなかった。その後、両親をつれてきて、正式にアンジェリークはアリオスに習うことになったのだが。
『だって…私が弾いてみたかったピアノの音だったんだもの』
 後になって、少女はそう言っていた。一目惚れならぬ、一耳惚れだとか、わけの分からないことを言って。
 それから、十年近く。あどけなかった少女は成長して。けれど、あの時の真剣な眼差しは変わることはない。
「ほら、ここで詰まるのは……」
「えっと……」
 まっすぐに見上げてくる翡翠の瞳に時々、アリオスは取り込まれそうになる。もっとも、口にはしない。こんな子供相手に、
本気になることもないのだ…と。
「おまえ…進路はどうする?」
 レッスンが終わり、何気なく口にした言葉にアンジェリークは戸惑う。
「うーん。うちは大学までエスカレーターだしね。親としてもそっちがいいんじゃないかな」
 王立の名門女子高は確かにエスカレーターであるが、内部進学者を目指すのなら、かなりの成績をキープする必要が
あるはずだ。
「ピアノを続けてる余裕があるのか?」
 ここでだけではなく、家でもレッスンする必要がある。進学するなら、いつかはぶつかる壁。たいていはこの時期にピアノ
から離れてゆく。
「大丈夫よ。ちゃんと勉強もやる条件で、ピアノを続けていられるの」
 にっこりと不敵に笑う。ピアノと向き合うときの表情とは打って変わって。子悪魔の笑みにすら見える。
「よっぽどピアノが好きなんだな……」
「……」
 アリオスの言葉に一瞬、困ったような色を浮かべるアンジェリーク。それをアリオスが見逃すはずもなく。
「違うのかよ。あんなに真剣な顔をしてて……」
「……半分は違う。でも…言いたくない……」
 うつむいてしまった少女は打って変わってしどろもどろで。それを気遣うようなアリオスではない。
「言いたくない? ピアノが好きでない生徒にレッスンをするほど俺も酔狂じゃないぜ。何なら、もう来なくてもいいぜ?」
「そ…それは嫌!」
「じゃあ、言ってみろよ」
「意地悪……」
 真赤な顔でにらんでみても、効力はない。アリオスを楽しませるだけだ。諦めたかのように、アンジェリークは一つ溜め
息を吐く。
「……目標があるの」
「目標?」
「でも、その目標のためにはもっとピアノをうまくならなきゃ駄目なの……」
 そう言って、自分の指を見るアンジェリーク。少女らしい細い指。
「崇高な目標な理由だ」
「そんなんじゃないけど……。馬鹿にしない?」
 真剣な眼差し。ここで笑ったりしたら、少女の機嫌を損ねるのは百も承知。
「ああ、神に誓って」
 おどけるように神に誓うポーズをとるアリオス。
「先生と一緒に弾けるようになりたいのよ……」
「……」
 意外な言葉に言うべき言葉が思いつかない。そんなアリオスを見て、アンジェリークは真赤になる。
「やっぱり馬鹿にした〜」
 悔しそうににらみつけてくる。
「私、帰る!」
 鞄を手に、駆け出そうとするが、その手はアリオスにとられる。
「きゃ……! 離してよ!」
「誰も馬鹿にしてないだろうが……」
 時に傲慢なほどの勝ち気な少女は、人の話を聞こうとしないところがある。
「俺と弾きたいってな……。そりゃ、崇高な目的だな」
「だって、初めて先生のピアノ聞いた時から思ったんだもの。こんなふうに弾きたいって。それから…ずっと、先生に習ってて
……。先生の音、すごく好きで。一緒に弾くことができたら…もっといいなって……」
 真剣な瞳。それはあの頃と何一つ変わっていない。
「だから…ずっと先生のこと見てるもん。先生の癖とか、仕種とか見て、覚えてるもの。先生の全部…私の中に取り込んじゃ
うんだもん……」
「おまえ、今、さらりとすごいこと言ってたぞ」
「え?」
 きょとんと首を傾げる様子。自分の発言の意味を理解していないらしい。その感情がもたらすものは……。気づいてない
のなら、気づかせてやるに限る。
「おまえがそんなに独占欲の強いオンナだとは思わなかったって言ってんだよ」
「あ……」
 サーッとアンジェリークの顔から、血の気が引く。引き釣った笑み。自分が言った発言の意味を理解したらしい。
「あはは……。忘れてね、先生♪」
 つかまれたままの腕を振り解こうとするが、そのまま自分に引き寄せて、抱きしめてしまう。
「とんでもない生徒だな。それでいて、ちゃんとオンナの顔してやがる」
「やーん、先生。からかうなら、離してよ!」
 ただでさえとんでもない発言をして、立場が弱いと言うのに。
「からかうつもりはない。悪くはないから…な」
「え?」
 恐る恐る顔を上げてみると、どこか優しげな笑みを浮かべたアリオスの顔が視界に映る。
「おまえと弾くピアノなら…楽しそうだからな」
 自分の紡ぐ世界と少女の造り出す音の世界。きっと、一人で造り出す世界よりも楽しい、そんな予感がするから。
「先生……」
「なら…ちゃんと見てろ。俺のこと。俺もおまえを見ててやるから……」
「うん……」
 コクリと頷く少女の顔を上向かせる。そっと近づいてくる緑の眼差しに、少女は瞳を閉じる。
「まずはここから理解してみろよ……」
 唇が触れる寸前に届いた言葉。ここから、新しい音色が紡ぎ出されてゆく……。二人で奏でる…恋と言う名の……。

アリオス限定キリ番11751番を踏まれた、サリアさまからのリクエスト創作です。本当は「マツモトトモ先生の「キス」な世界の
アリオス・アンジェ」と言うことでしたが、あれ、他の作家様がやってるからとても出来なくて……。こんな風になってしまいました。
すみません……。


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