熱帯夜
蒸し熱い夜こそ、寝苦しいものはない。当然、夜着も寝具も鬱陶しいものになる。
(気持はわからなくはない。わからなくはないんだ……)
半ば自分に言い聞かせるように、深くため息をつくと、セレストは自分のベッドですやすやと寝息を立てている主にタオルケットをかけ、優しく揺さぶった。
「カナン様、起きてください」
すやすやと眠っているのに水を差されることが不快なのか、いやいやと無意識にむずがりはじめる。その途端にせっかくかけてやったタオルケットがはらりと落ちる。
(うわっ…)
せっかくかけたタオルケットが落ちれば、当然、その下が露になる。実はこれが一番の問題で。
(なんだって、この人はこんな格好で……)
視線をそらせたのに、目に入るのは裾が淡いピンクの淡い黄色のカナンのパジャマが散らばっている。同色のナイトキャップもしかり。そして、それが床に散らばっているということは、カナンがそれを着ていないと言うことで。
(この人には警戒心がないんだろうか……)
いくら、ここが騎士団の宿舎とは言え、一国の王子がお忍びでやって来ていいはずがない。ましてや、下着一枚でねこけてしまうなど、言語道断である。ましてや、セレストとカナンは主従という表向きの関係とは別に、恋人という関係を持っているのだ。従者としてのセレストはカナンにお説教をせねばならず、恋人としてのセレストは理性をためされる。ある意味、理不尽かも知れない。
「カナン様、起きてください。こんな格好で眠られてはお風邪を召されますよ!」
理性をフル動員させているせいか、自然と口調がきつく、堅くなる。運の悪いことに、セレストは風呂上がりに同僚と酒を飲んでいて。理性がかなり緩くなっている。
「ん……」
ようやく意識が浮上してきたのか、カナンがもぞもぞと身じろぎをはじめる。セレストはちゃんと起きてもらうために、また声をかけた。
「カナン様、起きてください」
「セレスト……?」
今度の呼び掛けには、カナンが目を覚ました。が、寝起きのトロンとした瞳でぼんやりと見上げてくる。それはどこか情事の最中のカナンの瞳に似ていて。セレストは再び理性を試されているような気分に陥った。
「カナン様、夜にこの様なところにいらっしゃるのも問題ですが、一国の王子ともあろう方がその様な格好でおられるなどと……」
「うん……」
まだ寝惚けているのか、ぼんやりとしているようだ。セレストは溜め息を一つついて、カナンのパジャマを拾いあげた。
「カナン様、ほら、手をあげて……」
まるで、子供に着付けるような口調の自分に泣けてくる。けれど、そうしないと、余計なことを考えてしまいそうで。トロンとした瞳が艶めいてみえたりとか、無防備にさらしてある素肌とか。
「さ、カナン様……」
「やだ……」
だが、カナンはセレストの手を振り払うと、セレストに抱きついてきた。
「ちょ、カナン様!」
慌ててセレストが引き離そうとすると、思ったより簡単に引き離せた。
「暑い……」
「ああ、そうでしょうとも……」
蒸し暑いときにべたべたしてもやはり暑いだけだ。けれど、何か虚しいものをセレストは感じた。
「さ、お着替えになってください」
再度、着替えさせようとするセレストであったが、カナンはやっぱりやだやだと我侭を言う。
「カナン様〜」
「蒸し暑いんだ」
我侭な子供のようにカナンはセレストを見上げる。
「だから、寝る前にもう一度風呂に入ろうと思った。…どうせ、汗を流すなら、もっと汗をかいてからでもいいかなぁとか思ったから、ここに来たんだ……」
「どういう発想ですか……」
カナンの物言いにセレストは再び頭を抱えた。
「お前を待ってても、なかなか戻ってこないし……。蒸し暑いし、どうせ脱ぐんだからと思って、脱いで寝て待ってたのに。どうして着替えさせるんだ」
「……」
ちょっと違う。いや、思いっきり違う。
「据え膳だ。ありがたく食え」
「……暑いんじゃないんですか?」
「お前に暑くされるのは…悪くはない」
ものすごい誘い文句である。…確かに暑いし、べたべたするのは…とも思うけれど。ここまでさせてしまったのなら、美味しく頂かないと罰が当たるかもしれない。
「知りませんからね」
「お前が教えてくれるんだろう?」
無邪気に笑うその笑顔に、セレストは内心で白旗を揚げて、カナンに口付けを与えた。