約束

 恋人同士になってから、初めてのバレンタインデー。意識しないはずはない。去年のバレンタインデーは彼女から直接受け取っていない。祖父を通じて、受け取った。
 あの時は自分のことで精一杯で。目の前の未来が閉ざされた気がして。夢を諦めようとして。一番そばにいて理解してくれようとした彼女に自分を忘れるようにひどい言葉を投げつけて。
 祖父から、彼女からのチョコレートを託されたとき、
「おまえが拗ねるからって。お嬢さんは泣きそうな顔で笑って言ってたよ」
 祖父の言葉に最後の瞬間の泣きそうな彼女の顔しか浮かばなかった。くすぶっていた瑛の心にもう一度情熱をもたらせたのは紛れもなく彼女の存在だった。
 人魚を手放してしまった愚かな若者を人魚は待ち続けてくれていた。
 一緒に夢を見るために若者の側にいる道を選んで。そして、今、二人は同じ時間を過ごしている。


「瑛くん、はい。ハッピーバレンタイン♪」
 笑顔とともに差し出されたのは可愛らしくラッピングされた小箱と大きな包み。
「こっちはトリュフ。コーヒーに合う甘さに挑戦してみました」
 いつか珊瑚礁を再開するときに、お菓子の腕を磨くのだと言ってくれる彼女の存在が面はゆい。
「コーヒー、入れてやるよ。おまえも一緒に食おう」
「うん」
 瑛の言葉に嬉しそうに頷く。
「で、こっちは?」
「開けてみて」
「あ、ああ」
 期待と不安に満ちた瞳に少し、戸惑いながら、開けてみると中にはアクアブルーのシャツが入っていた。瑛の一番好きな色、だ。
「ど、どうだろ?」
「いいんじゃないか? 俺の一番好きな色だ」
 シンプルだけれども、着心地が良さそうな生地。ふとみると、襟に付いているタグがない。
「タグ、取ったのか?」
「ないよ。私が作ったんだもん。瑛くんに似合いそうな生地だなぁって思って買ったの」
「おまえが?」
 そう言えば、高校生の頃は手芸部で色々と小物を作ったり服を作ったりしていた。高校三年生の文化祭ではウエディングドレス姿を披露して見せた。
「サイズはほら、この間瑛くんのセーターを編んだときにはかったからわかってたし」
「そ、そっか」
 今、きているオフホワイトのセーターは彼女が編んでくれたもの。着心地がよくて、気に入っている。
「おまえ、器用だよな」
「ふふ。手芸はね。いつかね、瑛くんが珊瑚礁を再開するときにね、お店のもの作りたいって思ってるんだ」
「おまえが?」
「カーテンとかテーブルクロスとか。布から選ぶのもいいかなって思ってたりするの。もちろん、瑛くんの意見も聞かなきゃだけど。一緒に鍵を開くんだもんね、私にできることしたいじゃない」
 そう言って、笑う彼女に瑛はかなわない、と思う。ちゃんと一緒に未来を見つめてくれる。
「シャツも作ってくれるか?」
「うん。エプロンも作るよ」
「あ、シャツは俺のだけでいいからな。いつか、店員やとっても、おまえの手作りなんか、もったいなくて着せてやんねーから」
「うん」
 瑛の言葉に嬉しそうに頷く彼女。また、一つ、未来への約束。
「っと、待ってろ。コーヒー入れてやる」
「うん。ありがとう」
 手作りの甘いトリュフと香りのいいコーヒーと。そして、未来への約束と。満ち足りた時間。愛しい人といる時間。
 何よりも幸福な時間を過ごしている。自分が感じているのと同じように、彼女にもそう感じさせてやりたいと瑛は思った。

手芸部マスター設定。なので、新しい珊瑚礁はきっとおじいさんのとは違った暖かさに包まれてると思う。



| BACK |